記 録:学術創成セミナー 〔学術創成セミナー一覧
平成20年度
第5回学術創成セミナー
第4回学術創成セミナー
第3回学術創成セミナー
第2回学術創成セミナー
第1回学術創成セミナー
平成19年度
第5回学術創成セミナー
第4回学術創成セミナー
第3回学術創成セミナー
第2回学術創成セミナー
第1回学術創成セミナー
平成20年度 第5回学術創成セミナー
   日 時:平成20年12月11日(木) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
村中 孝史 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「近時の労働立法と法政策」
 本報告は、近時の労働立法と法政策を、戦後の労働政策の展開に位置づけるものである。
まず、戦後労働法の基本枠組みとして、集団主義的労働法、最低労働基準の保障、雇用政策の展開の三つが、ヨーロッパやILOの制度を参考に拡充されたことが確認された。
次に、労使関係の展開として、企業別労使関係の形成、終身雇用・年功処遇の形成、正規社員・非正規社員の区分といった日本的労使関係の特徴が指摘された。我が国の労働法は、枠組みこそ輸入したものの、1950年代から1960年代にかけて形成された日本の労働実務に合わせて、特殊な発展を遂げたというのである。
つづいて、行政改革と労働法として、いわゆる第二臨調以降の労働法の展開が概観された。第二臨調の時期には、三公社五現業の労働基本権が最大の問題であり、労働法の基礎が掘り崩されるようなことはなかった。男女雇用機会均等法の成立や労働基準法の改正など、外圧による規制強化の方向に進んでいたと言える。ところが、バブル崩壊後の行政改革によって、規制緩和が議論されるようになった。職業紹介事業・労働者派遣・有期労働契約・労働時間制度の規制緩和などがそうであり、これらの問題意識は小泉政権へと引き継がれることになった。小泉政権下では、人口高齢化と競争激化による企業淘汰サイクルの短期化が終身雇用を困難にするとともに、経済のサービス化や雇用形態の多様化に伴って工場労働者を前提とした労働基準法の規制が必ずしも適合的ではなくなっていることが認識された。そのため、職業紹介事業の規制緩和や、有期労働契約の拡大、裁量労働制の拡大といった改革が行われた。
 さらに、構造改革時における労働立法の特徴として、規制緩和と機会の平等、紛争予防・処理の強化、少子高齢化対策、規制手段の変化が指摘された。総体として、取締法規による労働者保護から契約による保護への移行が生じており、事後的な紛争の処理手段が整備されるとともに、規制手段としても「指針」が多用されるようになっているというのである。
最後に、将来の展望として、労働者の政治力が不十分であるため、規制緩和の全面的な巻き戻しは予想できないこと、機会均等はかなりの程度達成されておりこれ以上の進展は望みにくいこと、労働紛争の増加傾向はなお継続すること、規制手段としては契約が中心になる傾向が続くことなどが述べられた。
質疑応答においては、指針の法的効力やエンフォースメント手段としての評価、公務員の労働基本権、集団主義的労働法の基礎を成す労働組合の再生の可能性などについて活発な議論が行われた。
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平成20年度 第4回学術創成セミナー
   日 時:平成20年12月11日(木) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第2演習室
山 佳奈子 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「横領罪の諸問題」
 本報告は、刑法の保護すべき客体として情報が重要となってきている現状において、財物罪のような「古風な」犯罪を拡張することでこの客体を保護しようとする立法・解釈の傾向に対し、これに歯止めをかける原理を明らかにするべきであるという立場から、横領罪に関する近年の議論について検討を行うものである。第一に、横領罪の拡張をめぐって議論があり、@土地の利用権をもつ者の行為が横領罪となるか不動産侵奪罪となるか、A「横領後の横領」は可能か、B単に情報媒体を持ち続けることを営業秘密の不正利用として処罰するべきかが問題となっているとされた。第二に、歴史的に、横領罪の成立には、財物を利用するだけでなく費消することが必要であると考えられていたこと、また、ドイツにおけると異なり、日本では不動産も横領罪の客体となると考えられてきたことが指摘された。第三に、問題に対する考察として、委託の趣旨からはみ出る利用・処分の全てを横領罪として処罰するのではなく、ある程度は民事的解決に委ねることも考えられること、また、同一客体に対する行為は複数であってもひとつの横領罪をなす行為と解すべきであるとされた。第四に、初めに挙げた諸問題について論じられ、@「横領後の横領」については、一方で、横領をなす行為はある時点で終了するものと考えるべきであり、この行為について時効が成立すれば事後行為は処罰され得ない、他方で、行為が複数の行為から成る場合、既遂時期と終了時期が問題となるのであって、その際、価値の全てが侵害されていないときには横領罪ではなく背任罪と考えるべきである、A日本では不動産も横領罪の客体とするのが合理的であるが、この問題を考える際には民事法上の解決が整備されているかどうかも併せて考慮するべきである、B営業秘密の保護については、処罰のためには単なる不作為ではなく、偽り又は不正の行為などが必要である、といった点が述べられた。  質疑応答では、@刑法的処罰の是非を民事的解決の整備状況と関連させて考慮するならば、例えば「所有権侵害」といった概念が刑法と民法で一致する必要があるのではないかという質問に対し、刑法は処罰という重い効果をもたらすものであるので、民法上侵害があると考えられる場合であっても、刑法で処罰することは適切ではないという答えがなされた。A刑法で「占有」などの概念が問題になる理由は何かという質問に対しては、刑法では権利侵害の軽重との関係で論じられているわけではないという会場の意見を踏まえたうえで、電磁的情報の記録において媒体の概念が重要になるのは、電磁的媒体に記録した方が一度に大きな被害が生じるという考え方があるのかもしれないとされた。Bある法益を保護するのに民事的手段と刑事的手段のどちらが有効かは行為によって異なるのではないかという見解に対し、立証の困難などから、刑事的手段が有効な場合は必ずしも多くはないのではないかという答えがなされた。
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平成20年度 第3回学術創成セミナー
   日 時:平成20年11月7日(金) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第1演習室
服部 高宏 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「<正義/ケア>の対比から見えるもの」
 正義の思考とは、予め定立された一般的な準則を個別具体的な事案に適用することにより、紛争の事後的な適正処理を目指す思考であり、それは利害関係者のいずれに偏することもなく、一般的な原理に根拠付けられるという意味で合理的な決定を行おうとするものである。他方、ケアの倫理とは、理性的な判断が排除しようとする感情や情緒をむしろ重んじるものであって、普遍的・抽象的原理の適用よりも個別具体的状況への定位を基礎とし、階層的に配置された諸原理よりも直感的な道徳的理想に基づき、結論の論理的導出よりも他者との関係の形成や維持に配慮した思考をするものである。法はその本質上、正義の思考を基本とするが、福祉国家をはじめとする国家の作動方式(要するに、社会的・経済的弱者を類型化して法的なカテゴリーに仕上げ、それに該当する人たちに対し国や自治体が金銭やサービスの給付を行うというやり方)もまた、正義の思考に依拠するのが通例である。だから、法についても国家についても、それが基本的に依拠する正義の思考(その本質は「等しきものは等しく、等しからざるものは等しからざるように扱え」という形式的正義にある)からすると、「えこひいき」や「ただ乗り」が不当であること明らかではあるが、その反面、人と人との特殊な関係や、自然な情感に基づく思いやり・気づかい・愛情といったものに配慮を払うことは、その性格上たいへん苦手なのである。福祉国家においては、正義の普遍主義の特徴が共有されている一方で、その代償として、法的カテゴリーの網にかからない個別的で特殊な人間関係は意識的に考慮から除外されやすい。人と人とのつながりは、少なくとも促されることはないであろうから、たとえ身寄りのないお年寄りが隣家で一人暮らをしていても、隣に誰が住んでいるかにさえ気づかずにいることが、福祉国家の下では可能になるし、実際にもよく起こる。以上の対比をふまえて、本学術創成研究の課題との関連でこれが何を意味をするかというと、要するに、ポスト構造改革の時代にあって、かかるケアの思考の意義に改めて注目すべきではないか、その原点に戻りつつ福祉国家の再編を図るべきではないか、というのが報告者の基本的な見方である。しかし問題は、そもそも個別具体的な状況のなかで行われるケアの思考をどのように制度化するかであり、そもそもケアという制度化になじまないものの制度化を論じるのであるから、この問題はなおのこと難しい。これについては、パターナリズムとケアとを関連づける見解や、他者のケアへの跳躍を可能にする人の正義感覚に注目する立場など、種々のアプローチが提唱されているようであるが、報告者としては、とりわけケアを職務とする専門職の主体的な倫理に着目し、適切な専門職倫理・組織倫理の在り方が実現できるよう、それを間接的に支援する法との関係において、法と倫理と適切なコラボレーションを図ることが重要ではないか、というのがさしあたりの見通しである。かような報告に対して、福祉国家の捉え方が不十分ではないかとか、正義と対比されるケアとは何なのか、今後の見通しに具体性が欠けるのではないか、といった点につき活発な意見交換が行われた。
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平成20年度 第2回学術創成セミナー
   日 時:平成20年7月30日(水) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
齊藤 真紀 准教授 (京都大学大学院法学研究科准教授、研究分担者)
  「コーポレート・ガバナンスにおける規範形成」
 本報告は、コーポレート・ガバナンスにおける規範形成の多様性を論じるものである。
  まず、コーポレート・ガバナンスを論じるにあたっては、組織法と資本市場との関係に留意すべきことが指摘された。従来、コーポレート・ガバナンスは「支配と所有の分離を前提として経営者の監督を行うシステム」であるとの理解が一般的であった。大陸法の伝統的な会社法学は経営者の監督問題を会社内部の仕組みに限定して論じていたが、英米法では、企業とその環境、とりわけ資本市場との法的・事実的関係をも視野に入れた議論が展開されていた。そこで、暫定的な定義としては、「市場秩序の存在も視野に入れた上場会社の規律を指すもの」と考え、ソフト・ローや機関投資家の活動を通して形成される規範をも視野に入れた多様な規範形成を考えるべきだと言うのである。
 次に、具体例として、ニッポン放送対ライブドア事件の高裁決定並びにこれを受けた企業価値研究会報告書(平成17年版)・買収防衛策に関する指針、及びこれらを素材としたMilhaupt & Pistorの分析(Curtis J. Milhaupt & Katharina Pistor, Law and Capitalism: what corporate crises reveal about legal systems and economic development around the world, The University of Chicago Press, 2008)が紹介された。日本では、買収防衛策の発動を原則として認めない英国シティ・コード型ではなく、これを認める米国デラウェア州法型の買収防衛策が選択され、将来的には個々の関係者が自らの利益を追求する結果、日本独自の規範の均衡点を発見するに至るのではないか、というのである。
 つづいて、コーポレート・ガバナンスを巡る関心の共通の土俵として、会社の活動、国家が会社の規律に関心を有して来たこと、経路依存性のために常に外国の法移植との緊張が存するものの、会社運営の主要問題は共通していること、私人・民間団体によるルール・メイキングおよびエンフォースメントの類型などが論じられた。ここでは、とりわけ、従うことは強制しないが、従わない場合には理由の開示を求めるというcomply or explainの手法が取り上げられた。
 さらに、会社運営の規律の役割として、会社内部の経営者に対する監督スキーム、経営者と出資者の権限分配、開示規制、企業買収法制、機関投資家の行為規範と株主権の濫用、市場仲介者の役割とその規制といった諸論点が挙げられた。
 最後に、市場指向型のコーポレート・ガバナンス論が主流になりつつあり、我が国においても会社法の強行法規性が揺らぎつつあること、我が国における会社法にかかる規範形成は利害調整型であることなどが論じられた。
 質疑応答では、経産省の指針が策定されるに至った背景、米国ビジネス・ジャッジメント・ルールと日本における経営判断原則との異同、私人・民間団体のエンフォースメントの多様性、斯様な状況下で商法学の果たすべき役割などについて活発な議論が行われた。
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平成20年度 第1回学術創成セミナー
   日 時:平成20年5月29日(木) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
木南 敦 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
   「市場をめぐる法と政策―市場秩序法としての独禁法―」
 1905年の合衆国最高裁の判決、Lochner v. New Yorkは、重要であるが規範的に承認されないテクスト(アンチ・カノン) として扱われてきた。判決当時には社会改革運動の推進者によって、後にはニューディール期の改革者にとって批判の対象とされた。 そればかりか、1937年までの期間をLochnerの時代と呼び批判することはニューディール期以降の正統派の見解とまでなった。ところ が近年、この判決を再考し、こうしたLochner判決の扱いに疑問が投げかけられるようになった。
  1895年、ニューヨーク州はビスケット、パンおよびケーキ製造を規制する法律を制定した。この法律は、製造所において使用者が 被用者を週60時間(一週一日で平均10時間)を超えて働かせてはならないという労働時間規定のほかは、1863年制定のイギリスのパン 工場規制法を範とする製造所の衛生環境を規制する規定であった。この法律は翌年に一部修正のため改正された。この改正後の法律 は1897年の同州の法律整備法によって、労働法(Labor Law)と題するニューヨーク一般法律の第32編第8章として編纂された。
  Lochnerはニューヨーク州ユチカ(Utica)市でパン製造所を営んでいた。彼はこの法律の労働時間規定に反して被用者を働かせた として州裁判所に起訴されたところ、製パン業者の団体がこの刑事事件をこの規定の効力を争うテストケースとして利用した。Loch nerは第一審によって有罪判決を受けて控訴したが、控訴審も州最上級裁も有罪を維持したので、Lochnerは合衆国最高裁に上訴した。こ れがLochner v. New Yorkである。この事件では、ニューヨーク州の立法部によるポリスパワーの行使としてこの労働時間規定は有効 であるかについて、合衆国最高裁が判断することになった。
  ポリスパワーは、州が公益を実現するため州の内部の事項(州内の人と物)を規制する権限のことである。ポリスパワー行使によ り制定された法律の効力は前から州裁判所において争われてきた。そこでは、自由労働(free labor)という考えに由来する契約の 権利を恣意的に干渉することを理由として、立法がポリスパワーの行使として無効であるという主張が認められていた。自由労働( free labor)は、奴隷制度廃止論者が唱えた理論であり、年季奉公労働や奴隷労働を否定し、自由労働こそが自律と選択を確保し保 障するという考えであった。共和党の選挙スローガンであり、自由労働観は奴隷制度を禁止する合衆国憲法修正13条に盛り込まれた と解され、その修正14条もそれを前提としていると解する立場が強かった。これが、修正14条のいう自由は自由労働が予定する自立や 選択が含まれるという発想につながった。合衆国最高裁では、州のポリスパワーを行使して制定された法律が修正14条のデュープロ セス条項が使う自由を干渉すると論じた。
  Lochnerでは、最高裁は、労働時間制限規定は契約の権利に干渉するとしたうえ、その規定はポリスパワーによって達成される公 共の目的の達成に関連があるという主張を認めず、規定の効力を否定した。Lochnerのアプローチでは、裁判所がポリスパワーの行 使によって契約の権利と言う自由(基本的権利)が干渉されていると認めると、干渉をもたらす規定が達成するという目的を特定し、 その規定から目的が実際に達成されると認めなければ、手段を採用する規定の効力を否定する。この判定は事例ごとになされ、1917年 には、Bunting v. Oregonで、最高裁はLochnerでとった結論を事実上覆した。しかし1923年以降、最高裁は、裁判官構成の変更があり、 基本的権利とする権利を拡張し、このアプローチ自体を活性化させ、州の各種の規制を無効とした。これがLochnerの時代である。そ の時代の構想では、ポリスパワーによる権限が及ばない領域を裁判所が画定し、そのような領域ではコモンローは立法によって修正 されず、裁判所がコモンローの内容を確定して、コモンローによって自由が保障される。
  社会改革運動は、Lochnerの時代の裁判所のアプローチと親和性を持たない。立法を通じて改革しようとすると、立法部が目的と手 段を独自に選択することができなければならない。レッセ・フェールであろうが社会ダーウィン主義であろうが、このアプローチ自 体が立法による社会改革の妨げとなっていた。ニューディールという改革は、法による市場と社会の構造改革であるから、最高裁が このアプローチを手放した1937年以降、裁判所がなんであれ基本的権利を承認するアプローチは回避が努められ、立法部が目的と手 段を独自に選択することを認めるアプローチが正統派の地位を占めるようになり、この過程でLochnerがアンチ・カノンの地位を与 えられた。
 社会生活の広範な規制が始まって規制を受け入れる範囲を自由の観点から論じて、関心はLochnerのアプローチによって追求され た自由に向かった。法による市場と社会の構造改革が定着して政府の再分配機能が増大すると、関心は平等に向かうことになった。 平等な市民の地位を確保し、市民に等しく政府が提供する便益が提供されることを確保することが課題となった。この課題の転換が 定着するまで、Lochnerはアンチ・カノンとして扱われるけれども、新しいアプローチが定着すると、そのような扱いは必要ではない。
  社会と市場に秩序形成は、社会と市場を改革する立法が実現し、自由という憲法上の基本的権利に依拠する裁判所によるコントロ ールがもたらすものではなかろう。しかし、共同性は、共同性を確保する範囲で構想される共同体において、人間が平等な共同体の 構成員であると扱って論じることができることであろう。選択と自律は尊く、軽んじられてはならないが、自律から自立は自ず と生じるものではない。自立は、互いに平等な市民(構成員)であると見て、その間で便益が分配されることと必要とする。Lochne rがアンチ・カノンでなくなってきたとすれば、それには、平等と自立の実現も関わりがあろう。
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平成19年度 第5回学術創成セミナー
   日 時:平成20年3月21日(金) 13:00〜15:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
佐久間 毅 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「高齢社会と信託」
 わが国は、他国に類をみない高齢社会を迎えようとしている。たとえば、2030年には、75歳以上の老人単独世帯が、2005年のそれの倍以上になるとする推計もある。このような高齢社会では、とりわけ、(公的年金等の公的扶助に頼らない形での)老後の生活資金の確保が問題になる。なぜなら、その頃にはわが国の年金制度は実質的に破綻し、加えて子供に依存した老後生活の保障も望めないと考えられるからである。
 ところで、老後の生活資金を確保する術が残されていないわけではない。たとえば、現在有効に利用されておらず放置しておくと無駄なものとして、老人単独世帯には大きすぎる居住用不動産がある。この資産を流動化し生活資金の原資とする良策はあるか、そして、なお残された問題点は何か。
 従来から行われてきた居住用不動産の流動化のための代表的手法として、根抵当権担保借入方式のリバースモーゲージがある。バブル崩壊による不動産価格の顕著な下落による担保割れが続出したこともありリバースモーゲージはわが国で普及しなかったが、それ以外にも制度に内在するリスク――たとえば、長生きすることで生ずるリスクや金利変動リスク等――が高すぎる、商品としての魅力に乏しいといった問題点が、夙に指摘されていた。
 上で述べた従来型リバースモーゲージの問題点を克服するべく工夫された資産流動化の手法として、新信託型リバースモーゲージなる構想がある。制度の概略を述べると、次のようになる。まず、多数の委託者が居住用不動産を信託し、その見返りとして受益権を取得する。受益権は、利用受益権と価値受益権とに分割され、委託者たる利用者が利用受益権を取得する。価値受益権は証券化され、投資家に売却されて資金化され、制度運営資金に充当される。受託者は受託した財産等を合同管理・運用し、収益から費用・報酬等を差し引いた後に、利用受益者(たとえば介護サービス等の現物給付)・価値受益者(実績に基づいた配当)双方に受益させる。なお、利用受益者は、一度加入したら、自由に脱退できない――脱退の自由を認めれば、制度が立ちゆかなくなる――ものとする。
 新信託型リバースモーゲージには、受託財産のプール制を導入し利用受益権を一身専属化することで利用者が長生きするリスクを回避でき、さらに、価値受益権を証券化することで不動産価値下落リスク・金利変動リスクを軽減できるという利点がある。ただし、問題点も多く残されている。たとえば、法的な問題として、契約が過度に射倖的なものとなるのではないか、脱退の自由がないとすれば契約への不当拘束といえるのではないか、利用受益者に子供がいる場合に新信託型リバースモーゲージに加入したら当該子供との関係で遺留分の侵害という問題が生じるのではないか。法的なもの以外の問題として、価値受益権を取引する場は整備可能か、委託者が多数になることで機動的運営は阻害されないか、利用受益権の内容を現物給付とした場合はサービスの個別化が困難となったり契約締結時の説明義務が過度に重くなったりするのではないか、利用受益権の内容を金銭給付とした場合は単なる個人年金となるのではないか、等である。総じて見通しは明るくないが、しかし、新信託型リバースモーゲージを機能させるための処方箋を考えていく必要はあるだろう。
 引き続き行われた質疑応答については、本セミナーが今後展開しようとする研究のプロローグであるという性格に鑑みて、出された質問の項目のみ掲げる。@新信託型リバースモーゲージが一貫して供給しようとする諸種の役務をアンバンドルした商品を設計するという手法もありえるのではないか。A老夫婦が自分の生活資金を融通するために信託を設定する行為は、現行法上、子供の遺留分を侵害するものであると本当にいえるか。B遺留分を侵害する行為だといえるとして、減殺の対象となる行為はどれか。C信託するのではなく、全財産を拠出して老後の生活資金の面倒をみてもらう保険に加入した場合、遺留分侵害という法的評価に変化が生じるか。D信託銀行に、利用受益権の現物給付を行う能力はあるか、等である。
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平成19年度 第4回学術創成セミナー
   日 時:平成20年1月24日(木) 13:00〜15:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
森本 滋 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「会社法のもとにおける株主平等原則の機能について」
 本報告は、株主平等原則を規定したとされる会社法109条1項とその問題点について検討するものである。会社法制定に際して、同原則の法理的基礎ないし機能について十分に検討することなく109条1項の規定が設けられたため、2項(株主平等原則の例外を規定)との関係、株主の具体的な権利の平等にかかる規定との関係(両者を一般法と特別法として整理することができるか)、109条1項の解釈論としての株主平等原則と理論上の株主平等原則の関係など、様々な解釈上の問題点が惹起される。
 会社法109条1項は、株主の基本的権利に限定して適用されるのではなく、広く一般的に、会社と株主の間の法律関係の処理一般の基本原則として、株式会社が株主を平等に取り扱わなければならないものと理解されている。このように同規定の適用範囲を広範なものとすると、その運用は、公正(正義衡平)の理念から弾力的柔軟に対応せざるを得なくなる。しかも109条を全体として見たとき、その重点は2項にあるのであって、1項に実質的な意義を認める必要はなく、公開会社については、従来の株主会社における株主平等原則が妥当すると解することが合理的である。
会社と株主の権利関係は、出資者としての株主の持分権を保護するため持株に比例した厳格な平等原則、株主民主主義の理念と関連する株主の監督是正権、及び正義衡平の理念からの一般的な株主平等原則の三つに区別して整理される。持分権の平等及び監督是正権については、具体的な規定が設けられており、当該規定の趣旨を基礎に処理される。したがって、株主平等原則に関する会社法109条1項適用の中心問題は、法定事項以外の会社と株主の間の法律関係ということになり、原則として「株主処遇の公正さ」の問題であり、正義衡平の理念から公正妥当な取扱いを求めようとするものであると解するのが適当である。
 なお、憲法学説においては、法の下の平等原則は、相対的な平等原則(実質的公平)を定めるもので、同一の事情・条件の下では均等に取り扱うことを意味するとされており、恣意的差別が禁止される一方、社会通念上合理的な差別・区別は認められている。また、平等原則に違反するかどうかの審査基準として、必要不可欠な公共的利益基準、合理的根拠基準、実質的な合理性関連基準の三段階説が主張されている。このような憲法上の「平等原則」にかかる議論が「株主平等原則」とどのように関わるかについて検討する必要がある。例えば、伝統的に株主平等原則は、定款ないし株主総会の特別決議によっても変更できないと解されていたが、株主総会の特別決議ないし株主の圧倒的支持を基礎に必要性を推定することが認められるのであろうか。
 討論において、109条1項と個別具体的に平等原則を定める規定は、プリンシプルとルールの関係として理解することが合理的ではないか、憲法上の平等原則と私法上の平等原則を比較する際、慎重さが求められるのではないか、公正さを一般的に強調するのではなく、その具体的判断基準ないし手続を明確化することが必要ではないか等の意見が出された。
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平成19年度 第3回学術創成セミナー
   日 時:平成19年11月2日(金) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
高木 光 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「強制・制裁・サンクション―行政法学の観点から」
 ポスト構造改革の社会秩序構想にあたっては、法の遵守を実効的に確保するためのメカニズムをどのように設計すべきかが重要な課題となる。本報告ではその基礎作業のひとつとして、行政法学――法の実効性をいかに確保するか体系的に検討してきた学問分野――の観点から強制・制裁・サンクションをどのように概念的に整理するか、具体例として独占禁止法における「課徴金」をどう理解すべきか、また「行政強制」と「行政上の義務履行確保」をどう理解すべきかを中心に報告が行われた。
 報告者はまず、行政法学者の視点を法律学的アプローチと国家学的アプローチからなると特徴づけた上で、近年の独占禁止法研究会措置体系見直し部会への参加経験をふまえ、課徴金制度がどのように位置づけられるかを検討した。ここでは論点が二点ある。第一に、「課徴金は利益剥奪なのか制裁なのか」という二者択一の議論がある。この論点について宇賀克也氏は、混乱を避けるためまず「制裁」を定義し、その上で課徴金が「制裁」に該当するかどうか検討する、という手順を唱えている。同氏の定義(広義・狭義)にしたがえば、この二者択一論では「制裁」が狭義のそれ(違法行為前よりも不利益な状態に置くこと)として扱われている点に留意しなければならない。
 第二に、「課徴金は憲法で禁止されている二重処罰にあたるのではないか」という議論が出てくる。つまり、民事ならば不当利得(例えば、カルテルで得られる利得)より大きな金額は課されないはずであるところ、課徴金でそれより大きな金額が課されるのであれば刑事罰にあたるのではないか、という主張である。報告者はこれに対して、大陸法的な法体系論(憲法・民事法・刑事法・行政法の分類のもと行政法独自の領域を認める)の観点から、「制裁的機能」は刑法の専管事項ではなく行政法も重畳的に関与しうる(むしろ社会統制機能の多くは行政法システムが担っている)と主張する。
 報告では次に、より一般的な概念整理が試みられた。「行政強制」は「行政上の強制執行」と「行政上の即時強制」からなると理解できる。他方、「行政上の義務履行確保」は、「行政上の強制執行」と「行政罰」からなり、さらに分類すれば「強制徴収」「直接強制」「代執行」「執行罰」「行政刑罰」「秩序罰」からなる。「行政罰」と「執行罰」は、一回かぎりの制裁か否かという点で相違がある。このほか、義務履行を確保するための手法として、課徴金のほか、公表・給付拒否・環境税・排出賦課金が登場している。このように多様な展開を前にして、どのような捉え方ができるか。報告者は、「強制」でも「制裁」でも整理しきれない側面を視野に入れる試みとして、「実効性確保」という観点から畠山武道氏のサンクション論を、「法執行システム」という観点から曽和俊文氏の論考を紹介した。
 報告の最後では、90年代以降のドイツにおいてキーワードとして規制緩和や自主規制などが登場していることが紹介された。ここにはアメリカからの影響がみられ、日本はドイツ経由のアメリカ化をたどりうるのではないかとの試論が提示された。
 報告後の討議においては、刑事法・民事法や比較法(ドイツ法・アメリカ法)の観点をまじえて活発な意見交換がおこなわれた。主な論点としては、課徴金の額(カルテルで得られる利益よりも大きくなければ抑止力として機能しない)、現行独禁法における罰金額の少なさ、秩序罰の性格、Steuerungの概念理解、個人-行政-個人の三面関係モデル、エンフォースメントにおける裁判所の重要性の是非などが議論された。
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平成19年度 第2回学術創成セミナー
   日 時:平成19年9月26日(水) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
山本 敬三 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「基本権の保護と契約規制の法理」
 契約関係において基本権の侵害が問題となる場合は、決して珍しいことではない。個人の基本権が国家によってではなく他の私人によって侵害されるのは、これまでいわゆる憲法の私人間適用の問題として議論されてきた。そこでは、従来、間接適用説が通説とされる。しかし同説は、どの程度基本権の価値を考慮しなければならないのか、なぜ基本権の価値を考慮しなければならないのかが曖昧である。そこで、これらを克服するために、国家が個人の基本権を他人による侵害から保護しなければならないとする保護義務構成をとる。これによって、保護立法の存在意義が適切に捉えられ、裁判所の役割もはっきりする。しかも過少保護の禁止と過剰介入の禁止という観点から、それら立法、裁判に問題があるかどうかを判断するための枠組みを獲得することもできる。
 では、実際に基本権の侵害は契約関係においてどのように侵害されているのか。ここでは、契約時に当事者が自由に契約したとはいえない時の決定侵害型規制と、契約時には自己決定は侵害されていないけれども、その後、契約に拘束されることによって侵害が生じる自己拘束型規制に分けて検討する。
 決定侵害型規制は、さらに決定侵害の判断を個別的に行うか定型的に行うかによって分けられる。前者の個別的決定侵害型規制は、決定侵害があった場合にその侵害を受けた者を保護するために行われる。例えば、契約締結過程における詐欺・強迫による取消し等である。他方、決定侵害が定型的なものとしては、消費者契約法や金融商品販売法のように事業者(専門家)と消費者(顧客)との間に情報交渉能力格差がある場合の規制である(構造的格差型規制)。この規制は、さらに契約締結過程における規制と契約内容の規制に分けられる。前者の場合、詐欺・強迫に関する民法の規制であれば保護に不備が生じることから、それを補うための規制が考えられる。次に後者の場合は、交渉力の構造的格差のために消費者(顧客)はするはずのなかった契約をさせられる場合である。この場合もまた、最低限の規制が要請されることになる。
 他方、自己拘束型規制は、他者が保護を要求する場合と自分が保護を要求する場合がある。前者はパターナリズムの問題であり、それはさらにあまり問題とならない強いパターナリズムと行為能力の問題となる弱いパターナリズムに分けられる。一方、後者は、さらに資格要件が欠けている場合と幸福追求の基盤を破壊するような場合に分けられる。資格要件が欠けている場合は、一般的規制として行為能力制度の問題となるのに対し、特定領域においては適合性原則の問題となる。一方、基盤保障型の場合には、例外として拘束力からの開放を認めるべきである(例:ヤマギシ会)。
今後の課題としては、決定侵害の明確な構造分析を残している。
 質疑応答については、紙幅の関係上、二例を挙げるに留める。第一に、不実告知の位置づけについてである。報告者は、まず構造的格差型規制における今後の法改正の方向性として、消費者契約法における不実告知の一般化を主張する。すなわち、不実告知は、構造的格差のある当事者に限らず、対等な者同士でも起こりえる。そのことから、消費者契約法にとどまらず民法による立法論として、不実表示を信じた者は錯誤によって取消されると構成する。この結果、不実告知は、個別的決定侵害型規制の一種として位置づけられることになる。
第二に、金利規制についてである。これは、本報告の体系の中でどこに位置づけるか大変悩ましい問題のひとつであり、他の法分野においても複雑な問題であるとされた。
 そのほか、@情報提供義務のあり方、A基盤的保障の内容、さらにはB奴隷契約や代理母契約の本報告における位置づけやC労働者保護と憲法の私人間適用との関係、Dリバースモーゲージへの対応に関する質問等が出された。
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平成19年度 第1回学術創成セミナー
   日 時:平成19年9月6日(木) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
川濱  昇 教授 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「市場をめぐる法と政策―市場秩序法としての独禁法―」
 川M教授によるセミナー報告の概要は、以下のとおりである。
 構造改革を含め、規制緩和が実施されて以降、独禁法を中心とする競争秩序型規制が重視されるようになった。競争――市場秩序――を規整する独禁法は、政策的・法的二つの側面を持つ。そして、この両者が渾然一体となりつつも緊張関係をはらんでいるところに独禁法の特色があり、それと同時に問題をも内包している。
 ここでいう問題は、独禁法の目的は何か、独禁法が競争を推し進めるのは何のためか、競争プロセス(競い合い)への侵害行為を独禁法違反であるとするときに参照すべき基準(ベースライン)をどこに見出すのか、という論点――もちろん相互に連関している――に分解される。
 上記最後の論点で登場した競争プロセスへの侵害行為は、競争回避行為と競争(者)排除行為とに分けられる。成功すれば消費者厚生にあたえる弊害が明白な競争回避行為はさておき、一見すると真価に基く競争的な行為であるともいえる競争排除行為がどの段階で独禁法違反となるのかについて、衆目の一致するルールが存在しない。
この点、まず、問題とされる競争排除行為がもたらす(総)厚生に与える効果をみて、厚生を害する場合に独禁法違反とするというアプローチが考えられる。しかし、このアプローチには、@厚生に与える効果をみるタイムスパンの取り方次第では法的評価が替わりうる、A事後的に違法とも合法ともなりうるのであるから事前に遵守可能なルールを提示しえない、B直感的に不公正だと思われる行為――たとえば虚偽広告――であっても厚生増大効果を持ちうる場合に独禁法違反だといえなくなる、などの欠点があり、結局、効率性を基準とした比較衡量を行うよりも前に、競争プロセスを侵害する競争排除行為とは何かを決める基準を改めて設定せざるをえない。
 そこで、(A)略奪型競争排除行為に対する基準として、当該行為の経済学的有意味性を問うものや、同等に効率的な企業に対する脅威となりうるか否かを問うものが、また、(B)拘束条件付取引や抱合わせ取引といった垂直的制限型競争排除行為に対する基準として、当該行為が競争者の費用を引き上げ(RRC)かつ厚生を害するものであるか否かを問うものが、それぞれ提示されている。現状では、すぐ上で述べたように行為類型ごとで異なる基準を精緻化していくのが適切であろう。しかし、いずれの型にも分類可能な競争排除行為――たとえば、差別対価や忠誠リベート――の違法性が問われるケースでは、(A)(B)いずれの型に振り分けられるかによって論じられるべき違反要件が異なりうるという課題が、依然として残されている。
 引き続き行われた質疑応答の一部を要約すると、以下のとおりになる。
 疑問点として、第一に、排除型私的独占に対して課徴金を課す方向で法改正がなされる前提として、競争排除行為のうち特に法違反の疑いが濃い、いわばハードコア型排除行為なる行為類型を抽出する作業が行われるべきであろうか。第二に、問題とされる行為が独禁法違反であるとするときに参照すべきベースラインには種々のものが考えられるということであるが、では、いかにしてベースラインを確定するのか。
 以上二点についての考え方として、第一に、ハードコア型とまではいえないが、独禁法違反だと容易に認定できそうな行為類型としてcheap exclusionが挙げられる。例えば、標準化策定過程での欺罔的行為や、使用する意図のない商標を先占する行為である。第二に、たしかに、競争排除行為が独禁法上是認されるか否かを考えるためにはベースラインを確定せねばならない。この点、これまで経済学的知見――たとえば、完全競争からの逸脱に着目する立場や、いわゆる有効競争論が挙げられる――に依拠してベースラインを探求する営みが主流であったが、今後は、より規範的な見地から「ベースラインのベース」を求める作業をすべきであり、また、かような作業を通じてベースの発見が可能と考える。
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