記 録:国際シンポジウム/国際ワークショップ 
平成23年度
第7回国際ワークショップ
第6回国際ワークショップ
第5回国際ワークショップ
第4回国際ワークショップ
第3回国際ワークショップ
第1回国際シンポジウム
第2回国際ワークショップ
第1回国際ワークショップ
平成22年度
第10回国際ワークショップ
第2回国際シンポジウム
第9回国際ワークショップ
第8回国際ワークショップ
第7回国際ワークショップ
第6回国際ワークショップ
第5回国際ワークショップ
第1回国際シンポジウム
第4回国際ワークショップ
第3回国際ワークショップ
第2回国際ワークショップ(2)
第2回国際ワークショップ(1)
第1回国際ワークショップ
平成21年度
第7回国際ワークショップ(2)
第9回国際ワークショップ
第8回国際ワークショップ
第7回国際ワークショップ(1)
第6回国際ワークショップ
第5回国際ワークショップ
第4回国際ワークショップ
第3回国際ワークショップ
第2回国際ワークショップ
第1回国際ワークショップ
第1回国際シンポジウム
平成20年度
第4回国際ワークショップ
第3回国際ワークショップ
第2回国際ワークショップ
第1回国際ワークショップ
平成19年度
第2回国際ワークショップ
第1回国際ワークショップ
第2回国際シンポジウム
第1回国際シンポジウム
平成23年度 第7回 国際ワークショップ
  日 時:平成24年3月27(火)15:00〜17:30
 
場 所: 京都大学法経北館3階 第1演習室
Gunnar Duttge氏(ドイツ・ゲッティンゲン大学教授)
「正当化事情の錯誤―故意説と責任説の間で―
Der Erlaubnistatumstandsirrtum zwischen Vorsatz- und Schuldtheorie)」
 違法性を阻却する事実についての錯誤を犯罪論体系上どのように位置づけるかは、ドイツにおいても日本においても学説が多岐に分かれ、現在まで一致をみない問題である。ドゥットゲ教授は、学説の多くがこの論点についてだけの理由づけを試みている現状を批判し、問題の解決は全犯罪論体系から導かれなければならないことを強調する。こうした体系性の要請には、論理的・合理的な判断過程を確保することによって、アドホックで恣意的な法運用を防止するという実際上の意義がある。
 問題解決の出発点たるべき体系論上の前提としては、(1)「構成要件」「違法性」「責任」という3段階の区別、(2)「事実の錯誤」と「法律の錯誤」との区別、(3)不法・責任の程度に応じた処罰の程度、があげられる。これらをふまえると、従来、違法性を阻却する事実の錯誤の場合にも故意犯による処罰を肯定する(厳格)責任説は、(1)を正しくとらえているが(2)(3)の扱いに問題を有しており、他方、(厳格)故意説は、(3)において正しいが(1)(2)の点で疑問がある。
 違法性を阻却する事実を誤信した場合にも構成要件該当事実の錯誤と同じ効果を与える見解は、従来「制限」責任説と呼ばれ、単に結論の妥当性を図るために厳格責任説を制限したにすぎないものとされてきた。しかし、この問題は、客観的不法要素が備わるが主観的不法要素が完全でないというその実質から解決されるべきである。故意不法が充足されていない以上、故意犯による処罰は否定されなければならず、その考え方は「不法」説として積極的に根拠づけられる。
 講演後のディスカッションでは、不法説と違法性を阻却する事実のないことを構成要件要素とする「消極的構成要件の理論」との相違について質問があり、不法説は構成要件段階と違法性段階との体系的な区別を必須とする点に特徴があるとされた。また、故意犯の違法性が否定された後に過失犯の成立を認める見解は日本で「ブーメラン現象」と批判されているが、過失犯における構成要件該当性と違法性阻却とをどのように分けて判断するのかとの質問に対しては、過失犯での両者の区別は故意犯の場合と異なるとされた。すなわち、過失犯では、事実的問題としての注意義務違反はすべて構成要件段階での判断対象であり、違法性段階では事実に対する評価が問題になるとされた。さらに、不法説では誤想防衛の場合に故意犯の不法が否定されるにとどまることから、これに対する相手方の正当防衛がなお可能であるとされた。
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平成23年度 第6回 国際ワークショップ
 日 時:平成24年3月21(水)15:00〜18:00
 場 所: 京都大学法経北館3階 第6演習室
トーマス・ヴュルテンベルガー氏(フライブルク大学教授)
「ドイツにおける安全法制(テロ規制)の展開」
 フライベルク大学ヴュルテンベルガー教授による、治安法制のありかたについての講演。ドイツ国内の治安維持は政治的・法的伝統において高い位置づけを有しており、立法者は新たな危険に対処するための技術的可能性を広く活用する諸規定を制定してきたが、他方で連邦憲法裁判所はそのような立法に対し基本権の観点からの限定を積極的に加えてきた。この点に、ドイツ治安法制の特徴が見て取れる。コミュニケーション監視、治安にかかわる情報の処理、生活領域コントロールといった、脅威に対応する予防技術の進歩に関連して問題となる自由と安全のバランスにつき、連邦憲法裁判所は、基本権保護を目的として多くの形式的・実質的基準と衡量ルールを発展させている。基本権保護のための手続保障としては、a)警察の秘密捜査の際の裁判官留保、b)データの収集段階と利用段階の分離、c)公安官庁の活動に対する議会による統制、d)秘密裡の警察的措置の事後の開示、e)技術的基本権保護(捜査目的に不要なデータの即時抹消)、があげられる。秘密裡での基本権介入につき、連邦憲法裁判所は法律上の介入根拠の明確性、予測可能性および統制可能性を広範に要求している。
 警察によるデータ収集およびデータ処理に関し、連邦憲法裁判所は継続的に基本権保護を拡大してきた。警察の措置に不特定多数の人々が含まれてしまう集積的基本権介入や、特定人が多数の監視措置の対象となる累積的基本権介入につき、連邦憲法裁判所は、市民を全体的に記録する監視措置が手続的に阻止されることを要求している。従って公安官庁の活動が憲法上許容される閾値の決定は、危険に晒される法益の重大さ、基本権介入の強度、損害発生および損害回避の蓋然性によって規定される。
 情報テクノロジーの発展で可能となった情報監視の可能性に対し、連邦憲法裁判所は治安法に関する決定的なアクターとして、個々人の自由および社会の自由を保護し、情報取得および情報処理についての判決基準を継続的に発展させてきた。ヴュルテンベルガー教授は、基本的にはこの法展開を是認しつつ、同裁判所の判例が基本権擁護に傾きすぎ、新たな技術を用いた治安への危険に対処するには適合性を欠く面があるのではないかという批判も加えられた。
質疑応答では、連邦憲法裁判所の存在ゆえに立法者による法形成の余地がなくなっているのではないか、テロ対策としての航空機爆撃に関する法自体、日本では制定が考えられないのではないか、連邦憲法裁判所の治安に関する判例について国民は賛成しているのか、個人情報の取得に関し、人格全体を把握されない基本権といったものがあるのか、といった疑問が投げかけられた。
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平成23年度 第5回 国際ワークショップ
 日 時:平成24年3月21(水)14:30〜17:30
 場 所: 芝蘭会館別館2階 研修室U
アンスガー・オーリー氏(バイトイロ大学教授)
「ヨーロッパ不正競争防止法―消費者保護の調和と競争事業者保護の多様性」
 本報告では、ヨーロッパにおける不正競争防止法の平準化とその問題点が議論された。今日、EUでは、知的財産法等多くの領域で平準化が進んでいるが、その中で不正競争防止法は、法秩序間の著しい差異によって、平準化の試みは頓挫していた。本報告では、ドイツに代表される一元的システム、フランスに代表される二元的システム、イギリスに代表される懐疑モデルに区別することで、公正取引法の平準化がどれほど困難なものであるかが指摘された。そうした状況は2000年頃まで続いたが、2005年に不公正な取引方法に関する指令が採択されたことで、現在、平準化の試みが進展しつつあることが紹介された。ヨーロッパにおける公正取引法の平準化は、消費者保護のための不公正取引に関する指令と競争事業者保護に関わる誤認惹起広告及び比較広告に関する指令という二つの指令を中心に展開されている。本報告では、消費者保護については3段階モデルによって調和が進展しつつある一方で、競争事業者の保護については、現在もまだ各国の法秩序が大きく異なることを指摘し、ヨーロッパにおける公正取引法の平準化への期待とリスクが示された。
 以上のような報告を受け、質疑応答では、特に一元的システムと二元的システムについての差異や法典化との関係が議論された。また、そうした議論の基になる争点として、消費者と事業者の区別の問題についても指摘があり、議論が深められた。
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平成23年度 第4回 国際ワークショップ
【15日】
アンドレアス・M・フレックナー博士(マックス・プランク外国私法国際私法研究所 上席研究員)
 「株式会社の概念上のおよび歴史的基礎について」
マルクス・ロート教授(マールブルク大学法学部)
 「ドイツのコーポレート・ガバナンスの近時における展開」
【16日】
アンドレアス・M・フレックナー博士
 「取引所法―その基本理念、歴史、挑戦」
マルクス・ロート 教授(マールブルク大学法学部)
 「私的年金とコーポレート・ガバナンス」
 アンドレアス・M・フレックナー博士は、15日には、株式会社制度の制度的な基本要素および歴史上の起源について報告した。同博士は、株式会社が有する大規模な資本の集積機能に着目した上で、このような機能を果たしうる制度は、所有と経営の分離、出資者の個人財産の(事業にかかる債権者からの)保護、事業目的に使われる共有財産の(出資者の債権者等からの)保護および出資者たる地位の自由譲渡可能性という4つの要請に応えるものである必要があるとした。古代ローマにおいて資本集積機能を有する法制度としては、societas、societas publicanorum、peculiumが挙げられ、モムゼン等はこのうちsocietas publicanorumに株式会社の起源を求めるが、同博士の調査によれば、これらのいずれにも近代以降の株式会社に匹敵する規模で資本集積機能を果たしているものは見当たらず、このような意味において、古代ローマに株式会社の原型があったとはいえない。
 続いて16日には、フレックナー博士は、株式会社の大規模な資本集積機能を下支えする(株式)取引所の意義、歴史的沿革および現代の課題について報告した。取引所の機能的な意義は、対象商品の取引可能性を高め、交渉過程の標準化を促進し、株式の譲渡可能性を担保することにより、低コストの長期的な資金調達を可能とすることにある。現代の取引所がかかえる課題として、株式会社化後の営利目的の追求と提供するサービスの公共性の衝突、とりわけ利益相反の問題、サービスのグローバル化と外国における参入障壁の存在、代替的取引システムの普及による市場の断片化、コンピュータ発注の増加に伴う市場として機能の歪曲化などがある。
 マルクス・ロート教授は、15日には、ドイツのコーポレート・ガバナンスにおける近時の展開について、報告した。まず、ドイツの企業の株主構成の特徴に関する基本データを披露し、株式会社の二層制について整理した。続いて、現在、上場会社のコーポレート・ガバナンスのほとんどが、法律ではなくコーポレート・ガバナンス・コードで規律されているところ、近時は、監査役員が必要な専門性を備えるべきことの強調されていること、ドイツにおいてはコングロマリットが多く、また共同決定制度を採用しているという特殊性から、監査役員に大株主からの厳格な独立性を要求することには困難が伴うこと、多様性確保との関連で女性役員の登用促進が政策課題に挙がっているものの、その根拠および態様については意見が分かれていることなどが報告された。
 続いて16日の研究会においては、ロート教授は、私的年金制度とコーポレート・ガバナンスの関係について、報告した。同教授によれば、ドイツの(企業)私的年金の多くは、貸借対照表上に年金債務を負債として計上するという形で存在してきたため、企業年金基金がコーポレート・ガバナンスに関する議論の重要な促進役となることはなかった。これに対して、英米の国々においては、年金基金がコーポレート・ガバナンスに関する法改正や実務的対応を促してきており、近時では特に、企業経営の長期的な利益の重視、取締役の報酬の適正さ確保、取締役会の独立性の促進などを求めている。しかしながら、年金基金の投資先の重点も株式市場から代替的投資市場にシフトしつつあり、これにより年金基金のコーポレート・ガバナンスの監視役としての機能も相対化される可能性がある。
 両日とも、報告に続いて活発な質疑応答がなされた。
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平成23年度 第3回 国際シンポジウム
 日 時:平成24年2月24(金)14:00〜17:00
 場 所: コンソーシアム京都2階 第2会議室
トーマス・チェン氏(香港大学准教授)
「競争法の国際的収束をめぐって―批判的検討」
 本報告は、近年のグローバルな競争法の収斂を批判的に検討するものである。まず、収斂現象を手続き的、実体的、規範的なレベルに分け、それぞれの収斂のあり方が議論された。また、収斂のメカニズムとして、モデリングやキャパシティービルディング、相互的調整や一方的調整があることが先行研究を中心に紹介された。このような収斂現象の費用と便益は、収斂が起こる規制のタイプや規制受け入れの可能性によって変化すると指摘された。以上のような収斂についての基本的な分析を踏まえて、グローバル化によって収斂が進展するという一般論に対し、疑問が提示された。特に、競争法の分野では、競争概念の相違、消費者厚生と社会的厚生の対立などによって、各国内部でも分散の傾向があり、国際的な収斂にはさらなる困難が生じると言える。また、途上国では、排除行為規制よりも参入者の保護が、産業振興や貧困克服のためにも必要とされるなど特徴的な問題がある。以上のような考察から、カルテルや談合の禁止といった基本的な競争政策については合意が可能でも、欧米先進諸国が求めるような、それ以上の国際的収斂は難しく、少なくとも競争法の役割ではない、と結論付けられた。質疑応答では、中国や日本の現状を中心に規制の受け入れにかかわる問題が議論された。
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平成23年度 第1回 国際シンポジウム
  日 時:平成23年9月26日(月)9:30〜17:00
       平成23年9月27日(火)9:30〜17:00
       平成23年9月28日(水)9:30〜11:30
 場 所: 京都大学法経本館4階 大会議室
学術創成国際シンポジウム・日墺比較法セミナー
 Vienna University & Kyoto University:
 4th International Symposium of Austria - Japan Comparative Law
 Familienstrukturen und soziale Leistungssysteme

 ▼第1日目
   "Familienbilder - Familie in Oesterreich"
     Dr. Christiane Rille-Pfeiffer(ウィーン大学オーストリア家族研究所研究員)
   "Familie als Ort der Weitergabe kulturellen Wissens"
     Prof. Dr. Ingrid Getreuer-Kargl(ウィーン大学教授)
   "Neue Ueberlegungen zum Sozialrecht - aus Sicht des Modells der Familie"
     水島 郁子氏(大阪大学大学院法学研究科准教授)
 ▼第2日目
   "Familie und Bildung"
     Prof. Dr. Gudrun Biffl(ドナウ大学教授)
   "The General Theory of Market Equilibrium: Production and Consumption of Satisfaction (Value)"
     荒山 裕行氏(名古屋大学大学院経済学研究科教授)
   "Familie und Care-Netwerk in Japan"
     服部 高宏氏(京都大学大学院法学研究科教授)  
 ▼第3日目
   "Soziale Sicherheit im Wandel der Entwicklung von Familie und Gesellschaft"
     Prof. Dr. Wolfgang Mazal(ウィーン大学教授)
 クリスチーネ・リレ=プファイファー氏
 リルレ・プファイファー博士の報告は、共同体が変遷していく中で生まれてくる社会的な緊張が、家族という場においていかに現れているかを、第二次世界大戦以後のオーストリアを例に検討したものであった。報告は、まず、家族に関する定義の困難さを指摘するところから開始され、とりわけ、内縁関係などといった実質的な意味での家族関係が見落とされてはならないことが強調された。続いて、そうした問題意識の下に収集された統計的データに基づく分析が披露され、少子化が進展し、さらにはそもそも子のいない家庭が増加し、逆に四人以上の子を含むような多子家庭が減少していること、また、子を持つ家庭でも内縁夫婦や片親が増加していることの他、第一子出産年齢や初婚年齢の上昇や、複数人の子がいる場合の兄弟間の年齢差の減少など、出産の在り方にも変化が見られること、さらには、出生総数の減少および総出生率の低下、非嫡出子の割合の増大、結婚の減少と離婚の増加が起こっていることが指摘された。こうして、形態から形成の動機まで、家族をめぐる様々な面で多様化が進む中では、家族か仕事かといった選択を日常的なものと捉えたり、血縁を絶対視せずに人間関係を個人の選択の問題としたりするような傾向が出てきているが、他方では、こうした動きへの一種の反動として、ある場面では仕事よりも家族を重視するといった「反省的伝統化」の動きも見られるようになっている。以上の議論に対し、参加者からは、統計の取り方に関する質問や、EU内での移動の自由化以降における「家庭」の確定の難しさに関する指摘が提出された他、「反省的伝統化」には、そもそも別の伝統を有している移民の増加なども影響しているのではないかといった見解が提示された。
 イングリッド・ゲトロイヤー=カーグル氏
 続いて、イングリット・ゲトロイヤー=カーグル博士の報告では、日本の食文化の変遷を一つの題材として、「伝統的」家族というイメージが持つ神話的な虚構性が検討された。日本において伝統的食文化の衰退が叫ばれる時、しばしば持ち出されるのが米消費量の減少である。しかし、そもそも、米が一般家庭の主食として本格的に普及したのは一九六〇年代以降のことであり、日本が経済成長の中で自国の伝統のイメージを好意的に再構築していったことと関連している。貿易構造の変化による種類の減少や集合住宅の増加による摂取の機会の減少に加え、女性の社会進出による調理方法の伝達機会の減少が起こった魚のように、伝統の継受が滞ってきたのも確かであるが、同時に、理想の食生活と実際の食生活とがしばしばずれてきたことにも注意が必要である。それは食卓での団らんという家族イメージに顕著に現れており、一つのテーブルを囲んで家族が食事をするという光景は、基本的には、戦前に萌芽を持つ国家のイデオロギー政策が、高度成長期に物理的条件を満たす中で広めた虚構である。家族神話は、母(家庭)・メディア・国家の三者の間で繰り広げられる相互作用の産物と見るべきであり、日本の食文化にしても、直線的に崩壊に向かってきたと言うよりは、漸次的・継続的に変化してきたものと捉えるべきである。以上の報告に対し、参加者からは、自らの経験も踏まえた意見が出され、家族の団らんの在り方は親の職業の違いなどにも左右されるのではないかといった指摘や、伝統の創造においては個々人が自身の願望を積極的に表出させた側面もあるのではないかといった疑問が聞かれた。
 水島 郁子氏
 近年の家族変容は、世帯人数の減少、単身世帯の増加、高齢者世帯の増加、離婚の増加(及び非婚・パートナーの不在)といった内容を持って把握される。家族を重視する認識は高まっているものの、こうした家族スタイルの多様化は伝統的な家族モデルを動揺させている。水島教授は木村准教授が提示した三つの家族モデルを念頭に、家族の変容が進む中で今日なお伝統的家族観が支配的な、社会保障法制度・法政策の再検討を試みる。 木村准教授は、婚姻家族を家族法の標準に据える「婚姻家族モデル」、個人主義の観点から家族をとらえる「個人主義的家族観」、契約の観点から家族を捉える「契約的家族観」を提示する。社会保障法は、法律婚主義を原則とするうえで婚姻家族モデルを支持するが、医療保険や年金保険では事実上婚姻関係と同様の事情にある者にも保護を拡大している(但し、扶助や手当に対する不正受給の問題や、生活形態によっては保障から除外されてしまうという問題がある)。また、介護保険は社会による介護の視点を導入した点で個人主義的家族観に重なる。契約的家族観については現行の社会保障制度に直接対応するものはない。水島教授は、個人主義的家族観に対しては「社会が家族の役割を完全に代替できるわけではない」として限界を指摘する。また契約的家族観に対しては、家族が要保障状態になった場合に契約を解消するケースがありうること、その際に社会保障ニーズが発生することには違和感があるとする。 社会保障法は生存権(憲法25条)という個人の権利に根源を求められるが、水島教授は完全な個人単位化よりも、@個人のニーズに対する保障をした上で、A家族がいる場合に必要に応じて調整、というスタンスを取る社会保障法制度のあり方を提唱する。家族の観点を重視した社会保障法を展開する場合でも、「子育てや介護を媒介に家族の意義を考えなおすことは、一つの可能性である」とする。 質疑応答では、提示された家族モデルでは子どもはどう位置づけられるのか(木村准教授は婚姻家族モデルでは婚姻家族を形成することが子どもの養育に最適と考えられ、足りない場合に国家や社会が保護すべきと考えられると返答)、水島教授の提案に対し、社会給付の個人化は具体的にどう行なうのか、家族がいることを考慮した場合に公平・正確な調整は可能かといった、報告内容に対する質疑のほか、日本の社会保障の現状に対する質問がなされた。
 グートルン・ビッフル氏
 グートルン・ビッフル教授の報告では、家族環境と教育との関係に関する数量データを基にした分析が提示された。この問題を扱った従来の調査では、各生徒の成績といった指標にのみ焦点が当てられ、各家庭の親子間に認められる具体的な接触など、質的な問題が見過ごされがちであった。2000年代になって開始されたOECDのPISA調査はこうした側面までをも考慮に入れることを可能にした点で画期的と言える。そのPISAのデータを分析してみると、例えば学歴の低い親の場合、そもそも子に進学を期待しないといった傾向が、数量的に見える形で現れている。その上で、特に重要なのは、国や地域ごとの違いで、例えば、アメリカ、イギリス、フランスといった先進国の場合、片親家庭であることは子の教育に悪影響を及ぼしているが、旧共産圏や途上国ではこうした因果関係は認められない。ここから言えるのは、社会的共通資本の重要性であり、各社会とその中にある家庭及び学校のそれぞれについて、こうした共通資本がどの程度成熟しているかの総合的な結果が、教育に大きな影響を与えているということである。最後に、アジア諸国をも含めた多国間比較のデータが提示されることでこうした指摘に実証的な裏付けが与えられた。参加者からは、母親が働きに出ている家庭ほど子の教育水準が高いといったデータの結果について、直感的なところに反するが何故かといった点や、日本のデータについて、短大や高専を大学と一括して良いかといった点が指摘され、活発に議論が行われた。
 服部 高宏氏
 本報告では、日本における家族政策の欠如という視点から家族像をめぐる問題と家族政策の必要性が論じられた。まず、日本において、これまで家族政策という視点から家族というものについて十分取り組まれていないことがドイツやオーストリアとの比較から論じられた。また、少子化対策のような家族政策に相当するものはあるものの「家族政策」とは呼ばれてこなかった点について、戦前の家族制度との関係を通じて検討された。具体的には、戦後の家族制度は、戦前の「家」制度への警戒感からそれを全否定し、集団としての家族を法の表面から捨象したことが挙げられる。このような現行家族法は、その「先取り性」と「柔軟性」によって日本社会と家族の急速な変化に対応できた反面、必要な時期に公共的な議論によって何が法的に保護に値する家族であるべきなのかということが十分に議論されないという事態をもたらした。そのため、日本では統一的な家族の理解が採られてこなかったのである。今日、新たな家族観が提唱され、家族の位置づけに関する議論も多様な問題を抱えているが、こうした問題の原因の一端としても家族政策の貧困が指摘された。 以上のような報告に対し、まず、労働市場との関係からいくつかの質疑が行われた。その上で、企業での労働者の働き方、あるいは家族像の在り方について議論された。また、生命医療の領域でも家族像欠如が問題となっていることが指摘され、そこから現行の民法における家族像の規定、今後の改正に関わる問題についても議論が進展した。最後に、日本との比較として、オーストリアでも家族像について同意があるわけではないことが指摘され、EUにおける取組が求められていることが指摘された。
 ヴォルフガング・マーツァール氏
 Mazal教授の報告は、家族と社会の変化・変容は社会システムにいかなる影響を及ぼしており、それに対して社会はどう対応すべきか、という問題についてまとめている。 今日の社会の変容としてあげられるのは、@グローバル化、A個人化(オーダーメイドに対する要求の高まりと供給、また人生に主体的な選択が求められるようになったこと)、B人間関係の細分化、多様化である。個人にも合理化、個人行動における理性の重視(感情面の軽視)、市民の政治参加の度合いの高まり、といった傾向がみられる。オーストリアでは家族の構成も法制度も、多様化が進んでいる。 日墺で共通しているのは、介護や食事などの家族役割のアウトソース化が進んでいること、女性が高学歴となり、労働市場への参加が進んでいること等である。社会の資金繰りは次世代へツケを回す形で行なわれ、個人の労働負担、プレッシャーも大きくなっている。グローバル化の中で低賃金国への対応も迫られている。家族役割にはしつけや食文化の継承などの多目的意義があるが、家族サービスの労働市場への転嫁はこうした付随的効果を考慮に入れず、これまでの議論は経済的観点を偏重してきた。全体的な社会状況を見れば、個人化が進む個人の志向形態と社会規範は反目するか、同じ方向に向かってはいない。人生設計も、設計の実現も難しくなっている今日、家族・家庭の多様化を受容することが社会保障に求められている。原則的な改革を求められる国のほか、使用者・被用者団体、NGOといった立法に携わる機関も、家族変容への対応を迫られているといえる。 我々はどのような社会形成を行っていくべきか。具体的な状況の中で、誰がどのような機能を果たすべきなのかを考えていく必要がある。個人に対する社会保障が可能になれば家族や子を持つことができる。社会保障は、個人が自分の選んだ生き方を支えるものであるべきである。Mazal教授は、社会保障法と家族内の位置とのつながりを解くことができれば、多様化の中で社会保障法が家族に対して新たな地位を得ることができるとする。 質疑応答では、家族役割に対する期待の高まりがひずみをもたらしていること、色々な形があっていいというオープンな家族観を持つべき、支配層の価値観を押しつける手段としての法から解放されるべき、社会保障はなるべく自由を保持しつつ安全策も提供することが重要である、といった見解が出された。
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平成23年度 第2回国際ワークショップ
  日 時:平成23年8月9日(火) 13:15〜14:45
  場 所:神戸国際会議場 404号室
ルイス・アロヨ=サパテロ氏(カスティーリャ・ラ・マンチャ大学教授)
新倉 修氏(青山学院大学教授)
山 佳奈子氏(京都大学大学院法学研究科教授)   「世論と刑罰」
 アロヨ=サパテロ教授は、EU諸国などの統計データを基に、スペインにおいてマスメディアのキャンペーンが治安や刑罰に関する国民世論を大きく左右し、そこから政策形成への影響が生じる現象の起きていることを指摘する。現実には犯罪情勢が改善しているにもかかわらず、厳罰化を求める世論の圧力により刑務所人口が増加していることは問題であると結論づけられた。次に、新倉教授は、死刑に対する態度として、「世論が死刑を支持している」ことを理由にこれを維持してきた日本政府のあり方と、必ずしも世論が死刑廃止に積極的でなかったにもかかわらず誤審事件などを契機として廃止に踏み切ったフランス政府のあり方とを例として対比させ、そこから、世論と刑事立法政策とのかかわり方を類型化する。「世論は神様」とするAタイプ、「世論は従うべき対象としてのお上」とするBタイプ、「世論は宣伝の向けられる対象」とするCタイプが現実に見られる中、市民社会が目指すべきなのは「主権者としての世論」としてのDタイプでなければならないことが述べられる。最後に山教授は、ここ10年ほどの日本の刑事立法の動きが、被害者・遺族運動に端を発した世論の要求に強く後押しされたとする。裁判員制度、刑事訴訟への被害者参加、少年事件の成人手続化、交通事犯を始めとした厳罰化、殺人罪の公訴時効の廃止、検察審査会の強制起訴制度の導入などがその例であり、事件間・犯罪間の取扱いに不均衡が生じているとされる。こうした世論は、刑罰理論や死刑の効果などに関する無知に基づいている部分があることが問題として指摘された。
 以上の報告に続く討論では、スペインと日本の双方で、マスコミによる世論操作の余地が共通の問題になっていることが確認された。しかし、スペインを含むヨーロッパではすでに死刑が廃止されており、死刑廃止を世界の他の地域にも拡大しようとする動きが進みつつあるのに対して、日本や中国などのアジア地域の多くの国ではそうではないことをどのように評価するかという疑問が提起された。これについては、少なくとも日本では犯罪情勢や死刑の抑止効果に対して国民の間になお誤解が浸透している上、国際的な死刑廃止の潮流も知られていないことが指摘された。ただし、裁判員裁判の順調な運営にも示されるとおり、日本人は刑事の問題に関心を持っており教育水準も一般に高いことから、正しい知識が与えられれば今後世論のあり方も変化していく見込みがあるとの議論もあった。
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平成23年度 第1回国際ワークショップ
  日 時:平成23年6月17日(金) 10:30〜12:00
  場 所:京都大学法経本館3階 小会議室
モーリッツ・ベルツ氏(フランクフルト・アム・マイン・ゲーテ大学法学部教授)
  「『経営判断原則』の日独比較」
  本報告は米国の判例法に起源を有する経営判断原則が、日独両国においてどのような形で継受されたのかについて、多角的に比較検討するものである。要旨は、以下の通りである。
(1)各国における経営判断原則の内容
  米国の(デラウェア州)判例法における経営判断原則とは、「取締役の経営判断は、十分な情報に基づき、誠実に、会社の利益になるとの誠意ある信念のもとなされたものであると推定される」というものである。この原則は、利益相反行為・違法行為・不十分な情報収集に基づきなされた行為には適用されない。
  日本における経営判断原則は、東京地裁平成16年9月28日判決にも見られるように、審査基準が緩和されているように見える点、裁判所の後知恵的判断を抑止している点及び情報収集を重視し判断過程に着目している点で米国と類似しているが、判断内容にも審査が及んでいる点で米国とは異なっている。近時の最高裁判決においても、株式買取価格の適切性という判断内容にまで裁判所の審査が及んでいる。
  ドイツにおいてはアラーク・ガルメンベック判決において経営判断原則が承認され(もっとも、取締役の責任追及の訴え提起についての監査役会の判断には同原則の適用はないとされた)、その後、成文化された(株式法93条1項2文、116条)。その内容は、経営判断にあたって十分な情報のもと誠実に行為したことを取締役が立証すれば、義務違反はないとされる、というものである。
 (2)比較検討 経営判断原則の正当化根拠としては、@取締役に経営に関する判断が全面的に委ねられているという考え方、A経営判断の専門性、B不確実な情報のもとでなされる判断を後から非難すべきでないこと、C経営者の人材確保等が挙げられるが、@は日独では必ずしも当てはまらず、Aも同じく専門性を有する医師や弁護士との違いを説明できない。Bが比較的説得的である。
 経営判断原則が成文化されているかどうかという点はあまり重要ではない。ドイツでは成文化されているものの、文言が抽象的であり、これにより運用上の違いは必ずしも生じないからである。
 判断内容については米国では審査対象とはならないが(ただし、この点については質疑応答において異論も出された)、日本では審査対象となる。ドイツでは判断過程と判断内容とを区別して議論がされているわけではないが、取締役の判断が過度なリスクテイクに該当する場合には誠実性の要件を充たさないと考えられており、この限度では判断内容にも審査が及んでいる。
 立証責任の所在は、米国とドイツとでは、反対になっている。日本における立証責任の所在は、報告者にはよく分からない(米国に近いようにも思われる)。
 経営判断原則の目的は、取締役の説明責任の確保と適度なリスクテイキングの促進とのバランスを図ることにあると考えられ、日独における経営判断原則の法移植が成功したといえるか否かは、この目的が達成されているか否かという機能的考察により判断されるべきである。そして、同原則が上手く機能しているか否かの判断においては、独立取締役の果たす役割・株主からの責任追及のあり方・裁判官の経営判断能力等の各国それぞれの事情が考慮されるべきである。
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平成22年度 第10回国際ワークショップ
  日 時:平成23年3月8日(火) 15:00〜17:30
  場 所:芝蘭会館別館2階 研修室1
ベルント・シューネマン氏(ミュンヘン大学教授)
  「背任罪――高度に発展した経済社会における中核的な経済犯罪――」
"Der Straftatbestand der Untreue als zentrales Wirtschaftsdelikt der entwickelten Industriegesellschaft"
 社会の発展とともに犯罪にも発展段階があるとするシューネマン教授は、@産業革命以前の社会を特徴づける犯罪としての強盗、A産業革命段階に至った市民社会を特徴づける犯罪としての窃盗、Bポストモダンの高度に発展した経済社会を特徴づける犯罪としての背任、という仮説を立てる。物の帰属が物理的に定まっていた@段階では略奪の禁圧が重要課題であったが、大量生産により物理的所持が絶対的なものではなくなったA段階では「所有権」の侵害が暴力によらずとも可能になった。B段階では所有と経営とが分離し、背信的な財産管理が時代を特徴づける経済犯罪となる。
 物に対する所有権は侵害から刑法上包括的に保護されているといえるが、経済的利益としての財産は断片的にしか保護されてこなかった。しかし、財産の保持者と管理者とが分離する経済社会では、管理者による財産侵害を刑法により禁圧する必要がある。背任罪は、横領罪や窃盗罪の客体を財物から無体財産へと拡張する形で発展してきたが、1871年のドイツ帝国刑法典に至っても、断片的な処罰規定が設けられたにすぎなかった。
 内部からの侵害に対する財産の保護を図る際には、どのような内部関係を対象にすべきかが検討の対象となるが、法律行為の授権がある場合に限らず、他人の財産を侵害しうるあらゆる権限の濫用を含めるべきである。1933年のドイツ刑法改正案は、法律行為による財産侵害(権限濫用構成要件)の他に、経済的な財産侵害(背信構成要件)をも規定した。ところが、後者を極めて限定的に解釈する注釈や、相互に矛盾する裁判例などが出されたほか、「財産上の損害」要件についても経済的な評価を基準とせず成立範囲を限定する見解が多数ある。望ましい解決は損害を経済的にとらえた上で主観的要素により基準時を定めることであるが、文言上ドイツ刑法の解釈としては難しく、むしろ日本法の規定方法のほうが優れている。客観的に限定するとすれば未遂犯処罰規定を設けるべきことが結論づけられる。
 以上の報告に続く討論では、二重抵当に相当する事例や任務違背要件と会社法との関係などにつき、ドイツ法と日本法の実務および学説の現状がそれぞれ明らかにされた。また、損害要件の解釈において経済的財産概念を採用した場合に、基準時を主観的超過要素により定める方法として、未遂犯を処罰する(既遂故意が超過要素となる)か、日本刑法のように目的犯(図利加害目的)とするかについて、比較検討しつつ活発な意見交換が行われた。なお翻訳および通訳を島田聡一郎教授(上智大学)が担当された。
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 平成22年度 第2回国際シンポジウム
 共催:公正取引委員会競争政策研究センター・日本経済新聞社
  日 時:平成23年3月4日(土) 13:30〜17:30
  場 所:KKRホテル東京10階「瑞宝」
▼ 第1部
 基調講演
 テーマ:The system of merger control in the EU: How old is it?
 講演者:Prof. Damien Neven(欧州委員会・ジュネーブ大学教授)
 研究発表
 テーマ:「企業結合効果の実証分析による競争政策への示唆」
 講演者:小田切 宏之氏(CPRC所長・成城大学社会イノベーション学部教授)
 テーマ:「企業結合規制における効率性の位置づけ」
 講演者:川M 昇氏(CPRC客員研究員・京都大学大学院法学研究科教授)

▼ 第2部
 パネル・ディスカッション
 モデレーター:岡田 羊祐氏(CPRC主任研究官・一橋大学大学院経済学研究科教授)
 パネリスト:Damien Neven氏
        小田切 宏之氏
        川M 昇氏
        御立 尚資氏((株)ボストンコンサルティンググループ日本代表)
 本シンポジウムでは、経済のグローバル化に伴い企業結合規制の重要性が増している近時の状況に鑑み、企業結合規制のあり方に関して、特に企業結合における効率性をいかに勘案するかという困難な問題を中心に意見交換が行われた。
 第一部では、三氏による基調講演が行われた。まず、ダミエン・ネーヴェン氏から、EUの企業結合規制に関して報告があった。ネーヴェン氏の講演では、EUの過去20年における企業結合規制の変遷、特に2004年の企業結合規則の改正により企業結合規制の基準が変更されたことを受けて、現行のEUの企業結合規制がどのように機能しているか、ということを、単独効果、協調効果、垂直・コングロマリット効果の各類型につき具体的な事件例を挙げて分析された。そして、2004年改正により、企業結合規制における概念の整理とそれに伴う理論の整理が促されたこと、企業結合による効率性の検証がより十分に行われるようになったこと、などが指摘された。
 次に、小田切宏之氏から、2010年度において競争政策研究センターが実施してきた実証研究結果が報告された。研究の目的は、2000年以降の主要な企業結合を素材に、利益率、株価、研究開発支出、製品価格、の四点に着目して、現実の企業結合がどの程度効率性を達成しているか、を明らかにすることであった。実証分析の結果、利益率・株価を向上させるほど十分な効率性向上があったケースは多くなく、研究開発費について多くの事例では企業結合後に低下しており、製品価格についても上昇傾向がみられる、とされ、現実の企業結合が必ずしも効率性を上昇させていない、との結論が示された。このような実証分析を踏まえ、企業結合審査への示唆として、競争政策当局は、企業結合審査において価格や需要者への影響を重視すべきであること、また、審査に当たっては数量分析に基づいたより経済的、定量的な評価を活用することが必要であること、などが指摘された。
 最後に、川M昇氏から、企業結合規制における効率性の評価と位置づけの問題が報告された。効率性の評価基準については消費者余剰基準を原則に据えるべきであることや、企業結合規制において効率性を勘案する際に重要となるのは効率性の定量的な把握であるが、その定量的把握のためには反競争効果も定量的に把握されることが必要であること、また、このような定量的把握のために経済学的に洗練された分析がわが国の実務において必要であること、などが指摘された。
 第二部では、第一部の講演を踏まえ、パネル・ディスカッションが行われた。まず冒頭に、第一部の講演を受けて、御立尚資氏からコメントが行われた。御立氏のコメントでは、現代の経済社会においては市場におけるシェアと利益率が必ずしも連動しなくなっており規模のメリットが少なくなっていること、また各産業の境界が明確でなくなってきておりポジショニングのメリットも少なくなっていることが指摘され、企業結合において、単にシェアを高めることよりも、変化に対して企業が適応する力を高めることや合併後のコストマネジメントをいかに行うかということの方が重要であること、などが指摘された。
 御立氏のコメントの後、第一部の講演者と御立氏を交えてディスカッションが行われた。ディスカッションでは、シェアと利益率との関係、企業結合と効率性向上との関係、効率性向上のために企業が取りうる手段の多様性、企業結合ガイドラインの深化や国際的共通化の問題、などを中心に議論が行われた。
 最後に、フロアからの質疑を受けて、講演者・コメンテーターによる応答が行われた。
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平成22年度 第9回国際ワークショップ
  日 時:平成23年2月24日(木) 14:30〜18:00
  場 所:京都大学法科大学院棟2階 法科第3教室
ウルリッヒ・マグヌス氏(Prof. Dr. iur. Ulrich Magnus RiOLG・ハンブルク大学)
「国際物品売買契約条約(CISG)に関する実務上の諸問題と判例による指針の形成」
※ドイツ語(通訳つき)
 本講演は、国際物品売買条約(CISG)に関する重要な国際裁判実務を紹介するものである。
 まず、CISGが消費者売買を適用除外としていることについて、その目的が国内法規定による消費者保護を弱体化させないことにあり、純粋な個人用売買に限定されること、売買の時点で売主が個人的使用目的を認識できなければならないこと、買主が職業的使用を意図していれば、個人的使用が中心であっても適用除外を受けないこと、その際には通知義務を緩和することによって消費者の保護に配慮する必要があることなどが示された。
 次に、契約の締結に関する問題が約款を中心として論じられた上で、当事者の権利及び義務について、物の瑕疵を中心とした説明が行なわれた。例えば、転売目的の物品の場合には、売り物にならなければ、通常の使用に適さず、瑕疵があることになる。ただし、物品が瑕疵の疑いがあることだけを理由として売主側の国で取引から排除されている場合には、その疑いが客観的にも重大なものであり、十分な手がかりによって裏付けられなければ、瑕疵にはあたらないとされる。これに対して、買主側の国で取引から排除されている場合には、原則として買主が使用に関するリスクを負うことになるとされる。また、買主は検査及び通知の義務を負い、検査を怠った場合には、原則として瑕疵に基づく請求権を失うことになる。買主には、合理的期間内に、発見した瑕疵を特定して通知する義務もあるが、具体的な期間は物によっても国によっても異なっている。
 続いて、契約違反の場合の法的救済が取り上げられた。まず、買主に解除権が認められるのは、重大な契約違反(25条)がある場合に限られること、売主は追完権(治癒権)を有しており、瑕疵の除去が可能であり売主にその用意がある場合には重大な契約違反は認められていないこと、ただし、食料品の場合など、除去可能な瑕疵であっても重大な契約違反が認められる事例群があることなどが指摘された。次に、損害賠償について、契約違反だけが請求の要件であること、予見可能な損害だけが賠償の対象になることが示された。また、契約違反が債務者の支配・リスク領域外の原因に基づく場合の免責について、慎重にその適用を判断すべきことが指摘された。
 最後に、CISGに関する裁判例が全体としては統一的な発展をしていることが指摘された。
 本講演に対しては、継続的形成を受け入れる環境、CISG解釈の国際的な統一性、消費者保護問題とCISGの関係、ノックアウトルールとラストショットルールの関係などについて極めて活発な議論が行われた。
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平成22年度 第8回国際ワークショップ
  日 時:平成22年12月18日(土) 14:45〜18:00
  場 所:京都大学法経本館西棟1階 第11教室
ハンス・ペーター・ハーファーカンプ氏(Prof. Dr. Hans-Peter Haferkamp・ケルン大学教授)
「19世紀および20世紀の私法ドグマーティクにおける生との連関」
"Lebensbezuege in der Privatrechtsdogmatik des 19. und 20. Jahrhunderts"
 従来、19世紀における民事法ドグマーティクの展開は、法と生(Leben)の乖離として特徴づけられてきた。これに対し、ハーファーカンプ教授は、20世紀におけると同様、19世紀私法ドグマーティクにおいても法と生の連関は根本的な問題とされていたとする。その上で、19世紀・20世紀を通じて、私法学者は生・社会的現実と近しくあることを目標としつつも、そこでいう生・社会的要請は法曹により把握されたそれであったと結論付けられた。
 19世紀の民事法ドグマーティクにおいては、法と生の連関は、次のような形で問題とされた。まず、グスタフ・フーゴーによるならば、法は「慣習(Gewohnheit)」を通じて自ずと形成されることによって生との関わりを保つとされた(もっとも、フーゴーにおいては、ここでいう慣習は法曹が担うものとされた)。サヴィニーにおいては、法がフォルクの「必要性(Beduerfnis)」から生じることにより、規範と現実が架橋されるとされた。この「必要性」は、民族精神(Volksgeist)への参画によって認識されるとされ、「神の意思」(サヴィニー)、「信仰の道」(ベートマン=ホルヴェーク)によって直観されるともされた。他方で、1837年に見解を変更した後のゲオルク・フリードリヒ・プフタや1856年から1858年にかけてのイェーリングのように、法学と生の諸要請への応接とを分離し、学問法の生の諸要請への応接を、法実務の側でのその採用に係らしめる見解も見られた。これらに対し、ヴィンシャイトに代表される多くのパンデクテン法学者は、とりわけ1850年代以降法と生の連関という問いを改めて提起し、「実際の必要」「実務の要請」に焦点をあてることにより、生に即した解釈構成へ実際的に接近することを試みた。「必要」の認識に関して、「民族精神」や「法感情」によるのではなく、より分析的・学問的なあり方が志向され、ドグマーティクの生への連関を裁判実務に見出すことが問題とされた。
 もっとも、このような19世紀の民事法ドグマーティクの展開においては、社会における「必要」に関する理論(Theorie)が展開されたり、生の要請の経験的な(empirisch)認識が追究されることは稀であった。ヘーゲルの市民社会論やローレンツ・フォン シュタインの社会理論が多くのパンデクテン法学者によって社会の「要請」に関するものとして受け止められることはなく、また、多くの私法学者は社会における現実・法事実(Rechtstatsache)ではなく、現実に関わる価値(Wert)を志向した。
 19世紀末以降には、法律家の法的思考に際しての価値判断が主題とされた。例えば、フィリップ・ヘックに代表される利益法学は、社会現実に対する法律家の評価を経つつ、法律を変化した現実に慎重に適応させようとするものであった。1930年代以降には、価値判断の手がかりとなる単一の評価基盤があることを前提とする価値評価法学の隆盛が見られたが、価値がやはり社会的現実から裁判官により直観されるべきことを、ヨーゼフ・エッサーが1956年に述べたのであった。1970年代以降には、法と社会的現実の関連づけをめぐって、法事実研究の意義、一般条項の解釈、世論調査(Demoskopie)と法的判断の関係等が論じられてきている。
 以上の報告に続き、ハーファーカンプ教授が用いる「生(Leben)」の意義、経験(Empirie)や経験に関する他の学問への法学の関わり方、価値判断法学等の方法論と今日なお実体法学者が行う論理的作業との関係、サヴィニーがいう「必要性」の意義とサヴィニーの法体系の関係、法学の国際的な影響関係と報告の主題の関係、ドイツ民法典の制定と法学方法論の展開の関係をめぐって、活発な質疑応答が行われた。また、民事法ドグマーティクは社会的生そのものを十全に捉えようとするものではなかったというハーファーカンプ教授の結論が現代の法解釈についても当てはまり、ドグマーティクが正当性を保つ為にはその万端性(Redundanz)が志向されるべきであるとの意見が寄せられた。
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平成22年度 第7回国際ワークショップ
  日 時:平成22年11月27日(土) 14:30〜18:00
  場 所:京都大学楽友会館2階 講演室
ヘルムート・コツィオール氏 (Prof.i.R.Dr.Dr.h.c.Helmut Koziol・ウィーン大学名誉教授)
「ヨーロッパにおける損害賠償法の改革−立法の方法と過誤行為の帰責要素」
〔コーディネーター〕山本敬三氏(京都大学大学院法学研究科教授)
   ※ ドイツ語(通訳つき)
 本講演は、ヨーロッパにおける損害賠償法の改正を、動的システムによる立法方法の発展という視点から分析し検討するものである。
 まず、Koziol教授は、各国法における損害賠償法の包括的な改正の動向について触れ、ヨーロッパレベルでの平準化の試みとしてヨーロッパ不法行為法原則(PETL)と共通参照枠草案(DCFR)の二つを比較対照する。
 続いて、従来用いられていた立法の方法として、@詳細かつ固定的な規範を定める方法と、A具体化の必要な一般的規範を定める方法の二つを挙げ、それぞれを採用した立法例が概観された。もっとも、このいずれの方法にも欠陥があり、前者は社会的・技術的・経済的発展に即した順応と継続発展を妨げることになるし、後者は法典化によって判断の指針を示すという機能が達成できない。そこで、中間的な解決が必要となるとされる。
 ここで、Koziol教授は、このような問題を解決する手法として、「動的システム」の採用を提唱する。動的システムは、@相互に独立した基礎評価と目的──「要素」ないし「原理」と呼ばれる──の多元性を承認することと、A個々の要素が段階化可能であるという理解を基礎として、対立原理の協働作用によって法律効果を決定しようとする考え方である。動的システムに基づいて立法を行う場合、考慮されるべき要素を特定するとともに、基礎評価に対応した基本ルールを策定し、基本ルールから外れるために必要となる要素と法律効果のヴァリエーションを提示すべきことになる。このような方法が採られたのが、Koziol教授自身も関与した、PETL及びオーストリア討議草案であり、これと対立するのがDCFRであるとされる。
 講演では、これらを例として、不法行為法の領域においても相互に独立した複数の帰責根拠が協働作用を行うことを承認し、過失責任と危険責任が流動的に交錯するものと捉える考え方が紹介された。
 以上を前提として、講演では、とくに過誤行為の意味と段階化が取り上げられた。ここでは、行為不法説と結果不法説の対立や違法性と有責性の関係についての各国法の相違が紹介された上で、@侵害行為の構成要件該当性、A客観的注意違反、B有責性の各段階において考慮されるべき要素が説明され、最後に有責性の客観化に対する批判が行われた。
 本講演に対しては、動的システムと固定的ルールとの関係、契約責任と契約外責任との関係、損害賠償の範囲、比例原則やハンドの定式との関係など、多角的な視点からコメントと質問が寄せられ、活発な議論が行われた。
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平成22年度 第6回国際ワークショップ
  日 時:平成22年10月16日(土) 15:00〜17:30
  場 所:京都大学楽友会館2階 講演室
ルネ・オスティウ氏(ナント大学名誉教授)
  「公法と不動産所有権:一般利益概念に照らして見た所有権の変容」
〔コメンテーター〕亘理 格氏(北海道大学大学院法学研究科教授)
           吉田克己氏(北海道大学大学院法学研究科教授)
 オスティウ氏の報告では、「公法」、「不動産所有権」、「一般利益」という基礎的概念の意義について確認が行われた後、一般利益のために行われる不動産所有権の剥奪(収用)に関して、1970年代以降のフランス国内法における新たな裁判統制方法の発展、ヨーロッパ人権規約のフランス法への影響について考察が行われた。
 報告の前半では、収用を正当化する事業の「公的有用性」に関する行政裁判所(とりわけコンセイユ・デタ)の統制が、単純に事業の目的のみに焦点をあてる「権限濫用」の統制から、事業がもたらすプラス・マイナスの諸要素を分析・評価して行われる「費用便益衡量」へと変化したことが指摘された。オスティウ氏によると、この変化は、同一の事業が私的利益に関係すると同時に一般利益にも資する場合があることが認められるようになったことによるものである。費用便益衡量理論によれば、当該事業がそれ自体として担う利益に加えて、事業がもたらす私的所有権の侵害、財政的費用、環境への影響その他の社会的な影響等が具体的に分析・評価され、事業により期待される便益がその事業による様々なマイナスの要素に優位する場合にのみ、裁判官により事業の公的有用性が認められる。
 報告の後半では、ヨーロッパ人権規約が規定する「公正な手続を受ける権利」(同規約6条1項)、「財産の尊重を求める権利」(同第1付属議定書1条)が、フランスにおける収用法理に対していかなる影響を与えているかに論及された。ヨーロッパ人権裁判所は「公正な手続を受ける権利」を非常に広く解釈しているが、同裁判所は、フランスにおいて政府委員が関与して行われる司法裁判所による補償金額の決定が「武器対等の原則」に反するものであるとした。また、ヨーロッパ人権規約により極めて広い定義が与えられ、ヨーロッパ人権裁判所によっても創造的な解釈が与えられている「財産の尊重を求める権利」により、収用に関する多くの事案についてフランスの人権規約違反が宣言されている。
以上の報告の後、亘理氏からは、費用便益衡量理論に対するオスティウ氏の評価、フランスにおける収用手続、土地利用制限と損失補償の要否等について、また、吉田氏からは、収用法理の前提となる「公益」概念とその内容の確定、ヨーロッパ人権規約における財産保障について、コメントと質問が寄せられた。
 両コメンテーターからの質問に対してオスティウ氏による回答が行われた後、最後に、収用事案に関する司法裁判所・行政裁判所の管轄の関係、収用法と「公権力学派」・「公役務学派」の関係、収用事案に対する裁判統制において行政裁判官が実体的な価値判断を行うことの妥当性について、質疑応答が行われた。
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平成22年度 第5回国際ワークショップ
  日 時:平成22年10月15日(金) 15:00〜18:00
  場 所:法経本館西棟1階 第11演習室
Prof. Dr. Ingo Saenger氏(ミュンスター大学教授)
  「ドイツおよびヨーロッパの消費者信用法の今日的展開」
※ ドイツ語(通訳つき)
 本講演では、ドイツおよびヨーロッパにおける消費者信用法について、その内容を詳細に検討することによって、現在の法規制がかかえる問題点が指摘された。
 ドイツでは、2002年に、EU諸指令の国内法転換をきっかけとして、それまで個別特別法によって規制されていた消費者私法は、全面的にBGBに統合されることとなった。その後、2010年にドイツでは大幅な改正が行われたが、これは2008年のEU指令に基づくものであり、消費者法におけるヨーロッパ法秩序の完全な平準化を目的としたものであった。
 消費者信用法において重要であり、とくに関心が向けられるのは情報提供義務である。消費貸借契約の締結前について、貸主の情報提供義務が新たに規定された。しかしながら、これは非常に詳細な情報を提供する義務を課すものであり、その複雑性や検討期間が十分ではないことなどにかんがみると、消費者が実際にその内容を理解したかどうかが問題とされない点で、なお検討の余地があると教授は指摘する。  また、消費貸借契約の方式等も取り上げられた。特にここで問題となるのは、方式の瑕疵による法律効果であるが、消費貸借契約を無効にしても、それだけでは消費者を保護することにならない。無効にしても、契約上の請求権に基礎づけられないからである。
 ゼンガー教授は、以上に関する詳細な規定を説明した後、この新しい消費者信用法について、次のように評価した。消費者保護法は、消費者を守るために、消費者が容易に理解できるものでなければならないが、実際は、その逆に複雑な規定が置かれている状態となってしまっている。つまり、一般的な原則を立てずに、詳細な個別規定を定めることによって解決を図ろうとしているため、むしろ消費者に「害」を与えうるようなものとなってしまっているというわけである。
 講演後、ゼンガー教授自身から、ヨーロッパにおける共通参照枠(CFR)や統一法の関係について補足説明がされた。その後の質疑応答では、国内法における説明のためのひな形とヨーロッパ法との関係、消費者法の行政法的性格や、なぜドイツ民法典に消費者保護法が組み入れられたのかという問題について、日本法に置き換えた場合の問題や約款法との関連性などについて、活発な議論が行われた。
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 平成22年度 第1回国際シンポジウム
   日 時:平成22年9月13日(月)9:00〜17:30
        平成22年9月14日(火)9:00〜15:00
        平成22年9月15日(水)9:00〜17:00
   場 所: ウィーン大学法学部会議室
▼ 1部:家族と経済(Familie und Volkswirtschaft)
 Generational Accounting and Intergenerational Equity
   Prof. Gudrun Biffl(Donau-Universitat Krems)
 Family Type and Labor Force Participation in Japan
   荒山 裕行 氏(名古屋大学大学院経済研究科教授)
   杉浦 立明 氏(拓殖大学政経学部准教授)
 日本におけるファミリーフレンドリー施策の展開と評価
   瀧  敦弘 氏(広島大学大学院社会科学研究科教授)
 How to Invite Family to the General Theory of Market Equilibrium?
   荒山 裕行 氏(名古屋大学大学院経済学研究科教授)

▼ 第2部:刑法における家族(Familie im Strafrecht
 Kindesentfuhrung durch einen Elternteil(親権者による未成年者略取罪)
   中森 喜彦 氏(近畿大学法科大学院教授、京都大学名誉教授)
   酒巻  匡 氏(京都大学大学院法学研究科教授)
   高山佳奈子 氏(京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)

▼ 第3部:家族と社会保障システム(Familie und Sozialsystem)
 生命医療倫理における家族の扱いをめぐって―日本の現況についての批判的覚書―
   田中 成明 氏(国際高等研究所副所長、京都大学名誉教授)
 Kinder und Ehe im Sozial(versicherungs)recht(社会(保険)法における子と夫婦)
   Prof. Michaela Windischgratz(Universitat Wien)
 Familie und Pflege - Uberlegungen zur Rechtsgestaltung(家族と介護―法改革に関する検討―)
   Prof. Wolfgang Mazal(Universitat Wien)

▼ 第4部:家族と個人(Familie und Individuum)
 日本の家族法における非法律婚と非嫡出子
   木南 直之 氏(新潟大学法学部准教授)
 日本の社会保障法における家族と個人
   皆川 宏之 氏(千葉大学法経学部准教授)
 家族の変容と家族モデルの再検討
   木村 敦子 氏(京都大学大学院法学研究科准教授)
 Aktuelle Fragen des Osterreichischen Familienrechts(オーストリアの家族法の現代的問題)
   Prof. Brigitta Zochling-Jud(Universitat Wien)

【第1部 家族と経済
 ビッフル教授は、「世代会計と世代間平等」と題する報告で、財制政策がどのような世代間効果をもたらすかを教える「世代会計」が、財政赤字の伝統的計測方法を強力に補完し、持続可能な経済発展の指標としてより優れたものだと評価する。オーストリアでは、1970年から1995年にかけて社会保障支出等の増加により公債発行額が増えたが、その後はEMU加盟基準を満たすため減少に転じた。他方、日本はGDP比で192%の公債発行額となり、世界でも最高水準である。さらに、ビッフル教授は、オーストリアの歳出・歳入の現状を分析した上で、同国の財政政策の世代間・世代内効果について判定を下すために世代会計に検討を加える。そして、結論として、同国の財政政策が現代世代に有利な方向でバランスを欠いており、そしてこのアンバランスを課税により是正するなら、将来世代は今日の新生児に比べ83%も高い生涯課税負担が課せられることになる、と分析した。
 次いで、杉浦准教授は、荒山教授との共同報告において、過去数十年の日本における労働と家族生活の変化を各種統計資料、とりわけ労働市場における女性の状況を表わす統計や、時間配分についての人々の合理的選択に関する統計を用いて明らかにした。現在の日本社会のキーワードは高齢社会であり、戦後急速に高齢化したこと及びそのスピードが欧米諸国に比べて著しく速かったことを提示して、家族関係の変容を説明した。家族関係の変容として、男女別・年齢別の未婚率の変化、構成員数にみる家族タイプの変化、家族関係にみる家族タイプの変化、結婚希望年齢や結婚後の妻への就労継続希望にみる男女の違いとその変化、デートか残業かの選択にみる男女の違いとその変化、既婚・未婚別にみる年齢別就労状況(パート労働か否かの差異も含む)に関する男女の違いと年齢による変化などを統計資料から提示し、分析を行った。また、共同報告者の荒山教授は、本シンポジウムのテーマ全体に関連づけて、家族を労働供給の要素として加えた市場均衡に関する一般理論の可能性と展開について、自らの見解を提示した。
さらに、瀧教授は、家族の変容と社会・経済の変容の相関関係が企業にも影響を及すとの観点から、企業活動における女性労働力の活用がどのように目指されてきたかという問題を取り上げ、とくに近年の重要な政策課題となっているワークライフバランスの実現という課題に政府や企業がどのような取組みを見せているかを整理し、分析を行った。瀧教授は、長期的人材育成を重視する日本の雇用制度が女性を基幹的職種から排除してきたことを指摘した上で、ワークライフバランスの概念とその歴史的変遷に検討を加え、その上で、わが国のファミリーフレンドリー施策とその影響を整理する一方、その中でも女性のキャリア形成にとって重要とされる育児休業制度と短時間勤務制度を取り上げて、制度概要とその活用実績を確認し、検討を加えた。

【第2部 刑法における家族】
 高山教授は、中森教授・酒巻教授との共同報告において、国際的にもしばしば問題となる親による子の連れ去りを取り上げ、最近の3件の最高裁判例をふまえ、日本の刑事法がいかに対応すべきかについて考察を行った。墺・独・仏の類似の刑事立法と比べれば、日本の刑法224条「未成年者略取罪」及び226条「所在国外移送目的略取罪」は、未成年者を一律に扱っている点、親族等による行為も条文上特別の扱いをしない点、法定刑が重い点に特徴がある。子の連れ去りに関する近年の3つの最高裁判例(平成15年3月18日決定、平成17年12月6日決定、平成18年10月12日判決)では、一方の親が他方の親から子を奪取した場合に原則として未成年者略取誘拐罪の構成要件該当性が肯定された。しかし、未成年者略取誘拐罪の保護法益については、未成年者に対する監護権とともに、あるいはそれに代り、未成年者の自由もしくは安全またはその両方とする近時の有力説がある。高山教授らによると、かかる見解もふまえれば、判例理論のように、子の所在が一方の親のもとから他方へと移されることで直ちに法益侵害があったと見ることはできない。また、刑法と民法の関係から見ても、連れ去りが親子の情愛に起因することも珍しくなく、家庭裁判所による民事的解決を排除する仕方での刑法・刑罰の使用には疑問が残るとされた。

【第3部 家族と社会保障システム】
 田中教授は、生命医療倫理をめぐるいくつかの代表的な問題における家族の扱いについて、日本の現状をふまえ、問題点を指摘した。まず、臓器移植については、今般の臓器移植法改正により、本人が書面で提供意思がないことを表示していない限り、家族の同意での脳死判定・臓器提供が可能になったことなどを挙げ、家族・親族の責任・負担を一段を重くするもので、適切かどうか疑問であるとした。また、延命治療中止については、医師の刑事責任の問題としては、「患者の最善の利益」方式に基づく家族と医師の共同行為という構成を評価しつつも、終末期医療全体の適正化にはそれでは役立たず、たとえば成年後見制度の医療への適用領域の拡大を検討すべきではないかと説いた。さらに、生殖補助医療については、法的規制・ルールがなく、関連医学会等の自主的規制が必ずしも実効的でないという実情をふまえ、「脳死臨調」に匹敵する組織を内閣か国家に設置し、法的対応体制の整備が避けられない段階に達していると指摘した。
 次いで、ヴィンディッシュ=グレーツ准教授は、オーストリアの社会保険システムにおける家族、とくに子と夫婦の位置づけについて整理・検討を行った。同准教授によると、民間保険と比べた場合の社会保険システムの特徴は、所得を基礎とし、家族との関係する点にあり、保険料は所得の一定割合で算出される。もっとも、給付について所得を基礎とするのは、年金保険と失業保険のみであり、再分配の視点をもつ医療保険では、保険料額や個々のリスクにかかわりなく、すべての被保険者が必要な現物給付の請求権を持つ。他方、家族の特権については、医療保険では、子ならびに配偶者および登録パートナーも、家族として費用負担なしに共同保険の適用を受ける。年金保険においては、子と配偶者に対する遺族給付が定められている一方、生活最低費の保障に関しても、子とパートナーの存在が請求権の存否や額に影響する。
 さらに、マーツァール教授は、在宅医療看護の公的医療保険上の義務的給付化(1991年)、税を財源とする介護手当の導入(1993年)といったオーストリアの介護・世話給付制度の現状をふまえ、そこに見られる問題に鑑みて、社会の変化に対応した介護給付保障の制度改革について検討を行った。マーツァール教授は、人口や医療の予想される展開、連邦制をとる同国の憲法上の枠組み、さらに財政面の事情も考慮した上で、介護保険制度の導入を否定し、むしろ資金調達の仕方としては連帯に基づく確保の意義を強調する。そして、州による前提状況の相違に注意を払いつつ、一方では介護給付の組織や質における多様性と選択の自由を強調し、他方では要介護度の認定と管理機関・資金調達についてはオーストリア全土で統一すべきだとし、介護基金の創設などを具体的に提言した。

【第4章 家族と個人】
 皆川准教授は、日本の社会保障制度における家族の位置を説明した。まず、年金・医療・介護保険等には、負担と給付を「世帯」を単位に設計・実施する制度があり、これについては片働き・共働き・単身世帯との間の不公平感も指摘され、ライフスタイルの選択に対して中立的な制度となるよう、個人単位の制度への転換を説く見方も主張される。また、児童や障害者の場合のように、個々の家族構成員の特性・事情を考慮し、当該構成員の権利・利益の実現を家族の共同生活のみに委ねるのではなく、社会連帯の原理から当該構成員のために一定の保障を行うべき場合もあると指摘した。
 次いで、木南准教授は、現代の日本の家族法において、家族の中における個人の保護という問題が顕出する2つの典型的事例を紹介した。一つは、内縁または事実婚などと称される非法律婚関係であり、これを民法上の位置づけ(準婚理論を含む)、法的効果における法律婚との違い(氏、相続)等の点から説明した。もう一つは非嫡出子であり、下級審の裁判例や近時の最高裁の動向もふまえ、とくに憲法14条が定める法との下の平等との関係における問題点を指摘した。
さらに、木村准教授は、夫婦と未成年子からなる性別役割分業型の婚姻家族が、日本の家族法や社会保障法などにおける家族モデルとされてきたという指摘を挙げる一方、家族の多様化・個人化や個人のライフスタイルの尊重によって家族像が揺らいでいる今日の状況をもふまえ、近時の日本法学における家族像についての3つの見解、すなわち、(1)婚姻家族モデル、(2)個人主義的家族観、(3)契約的家族観を紹介し、これらの見解に対し、とくに、@婚姻家族デモルを維持するか個人に焦点をあてるか、A家族関係に対して法はどんな役割を果たすか、という2つの観点から検討を加えた。さらに木南報告を受け、各見解による事実婚の扱いについても考察を行った。
 最後に、ツェヒリンク=ユート教授が、夫婦財産契約とパッチワークファミリーに関する2009年のオーストリア家族法改正を取り上げ、新制度の内容と背景を説明し、未解決の問題点を指摘した。まず、夫婦財産契約に関する規定の改正により、婚姻住居に関する形成の自由が拡げられ、また事前の合意が夫婦の蓄財のみならず夫婦の使用財産にも許されることになった。他方、パッチワークファミリーについては、実親と婚姻したパッチワーク親(継親)には、その配偶者に対する補佐義務が課された。またパッチワークファミリーで家族生活を営んでいるすべての成年は、子の福祉を保護するために子に対する補佐義務を負うこととなった。これにより、夫婦財産契約における夫婦の形成の自由の拡大と、現代的な家族生活のあり方への配慮が進んだが、立法者のもともとの願望が完全に実現されているわけではないため、判例がこの問題に取り組む際にその立法者の願いを見失わないことが肝要であるとした。
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 平成22年度 第4回国際ワークショップ
  日 時:平成22年9月3日(金) 14:00〜17:00
  場 所:京都大学法経本館東棟4階 大会議室
グンター・トイプナー氏(フランクフルト大学教授)
「「それでも私はベルゼブブでもって悪魔を追い払うのだ、…」
        ―ネットワーク機能不全の悪魔学―」
  "So ich aber die Teufel durch Beelzebub austreibe, ...":
          Zur Diabolik des Netzwerkversagens.
 本報告では、ネットワークの機能不全に対する、法的な問題解決へのアプローチについて論じられた。
 ヒエラルキーの機能不全問題に対して、ネットワークの内的自律性は有効に機能し得たと評価される。しかしそのネットワークノードの自律性の調整に関して、私法学はその利点ばかりを強調するのみで、その問題点を主題的に取り上げることは今までしていなかったといえる。ネットワークの機能不全に対しては、分権的なその性質を保持したままで統合性を強化するような、ネットワークのための法が必要となる。
 その規範化に関して、ネットーワークとその法のポテンシャルとして、以下の4点が指摘された。
 第1は、自生的な秩序形成である。ネットワークは、契約か組織かというような二者択一的なものではなく、事実行動による社会的コンタクトに基づくものである。そのため、その法的な拘束については、事実的行動に基づきネット化された複数アクターに対し、効果を及ぼすことが必要である。
 第2は、カップリングの二元性である。ネットワーク利益は、たとえば組織間ネットワークのように、緊密なカップリングとゆるいカップリングの同時性によって、明白になるものである。この二元性は、その法的義務に関しても考慮されるべきであり、契約領域における厳密に特定された交換義務と、ネット領域におけるむしろ未規定な協力義務と情報義務という二元論として理解されうる。
 第3は、決定の反復である。特に法的なネット行為の反復は、(1) 時間的には法的行為の時間化、(2) 内容的には義務の状況特定的具体化、(3) 社会的にはネットによる分権的な決定の相互的受容、といった各次元において、ネットワークの不確実性を吸収しうるのである。
 第4は、集合体なき集合体志向である。ネットワークは、超主体的な集合ポテンシャルとして、集合的人格の行為能力とその代表単位との結合が切り離される。「多体的アクター」として、個々のノードのみを通じて行動するが、集合的アクターとしての特性を失うことはない。これに対して、法は、各ノードの環境とネット全体に対する反省的自律性を高めるために、法的義務をノードとネット全体に課す必要があり、それは規制ネットワークによるネットワーク規制という形式が望ましく、また、内部の調整の失敗に対しては、関与するノードの連帯債務に類似する責任規範で対応するという、インターフェース責任が適切である。
 このように、ネットワークとその法におけるポテンシャルを現実化していく際、機能不全となりうる不確実性は、その存在を受け入れ、またそのコントロール可能性を高めるように、目的志向的に対処すべき必要があると論じられた。
 報告後、質疑応答においては、ネット契約のメルクマールやその利点、契約結合との差異、インターフェース責任のネット性、ネットに対する外部関係の基準性など、盛んな議論が行われた。また、トイプナー教授自身からは、本報告におけるネットワークの、(1) 法律学的意義、(2) 時代性的把握、(3) 非全体主義的性質が、その補足として述べられた。
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平成22年度 第2回国際ワークショップ(2)
  【東京】 日 時:平成22年8月30日(水) 15:00〜
 場 所:京都大学東京オフィス
Christoph H. Seibt氏( クリストフ・H・サイプト教授、弁護士、ブツェリウス・ロースクール特別教授、京都大学招聘教授)
 東京: 「エンプティ・ボーティングと隠れた株式保有 −『忍び寄り』企業買収に対処するためのヨーロッパの最近の立法」
      
 "Empty Voting and Hidden Ownership Structures: New Legislation in Europe to Counter Stealth Takeovers"
 この10年ほどの間にデリバティブ市場における流動性が高まったため,投資銀行やヘッジファンドは,上場会社における株式における,議決権を行使しうる地位と経済的実質(株式投資より得られる収益およびそれに伴うリスク)を享受する地位を実質的に分割し、それぞれ異なる主体に帰属させることを可能とする技術が発展し、米国や欧州などで盛んに利用されるようになってきた。これらの技術は、@株主総会において、それに先立つ特定の日(基準日)に株主であった者に、(たとえその者が後日株式を売却し、総会期日に株主でなかったとしても)議決権行使を認める制度が存在すること、およびA多くの国においては、株式の議決権を保有する者が株主として扱われ,株式保有の開示義務の要件は議決権の帰属先を基準としている、という2つの法的側面に着目して考案されたものである。
 これらによって引き起こされる諸問題は、@議決権を行使しうる地位を有する者の行動が問題となる場合、すなわち株主として議決権を行使している者が、当該株式保有に伴うリスクを負担していないことが問題視される場合には、エンプティ・ヴォーティング(empty voting)と呼ばれ,A経済的実質を享受する地位にある者の行動を問題視する場合,すなわち株式保有に伴うリスクを引き受けつつ,他の主体に議決権を帰属させることにより,開示義務その他ブロック株式の保有に伴う法的規制を回避しようとする場合は隠れた株式保有(hidden ownership)と呼ばれる。
 エンプティ・ヴォーティングを行う者は,経済的リスクの負担に比べて不均衡に大きい割合の議決権を保有することにより,会社の行為(株式買取り,特別の配当等)による特別の利益の引出し,合併等における裁定行為等を行い,会社の利益や会社の他の株主の利益を害する結果をもたらすことが多い。隠れた株式保有が行われる主な動機には,企業買収規制の適用を免れ,秘密裏に株式を買い集めることにより,対象会社の対抗措置の発動や競合する買収者の登場を防ぎ,企業買収に必要となる買収プレミアムの支払総額を節約すること,外国人による直接投資に対する規制のような企業への資本参加にかかる法律上の制限を回避することなどがある。
 講演者のサイプト氏は,ドイツにおける実質的に最初の隠れた株式保有のケースである,シェフラー(Schaeffler)によるコンティネンタル(Continental)の買収劇において,対象会社である後者側の弁護士として,直接この問題に関わった。同事案において採用されたのは,シェフラーが,コンティネンタルの株式を買い集めるにあたり,メリル・リンチとトータル・リターン・エクイティ・スワップ(TRES)の合意をし,メリル・リンチがさらに9つの金融機関とトータル・リターン・エクイティ・スワップを締結し,実質的にこれらの9つの金融機関が小口で(3%未満)買い集め,スワップの決済を通じて,買い集められた株式(合計約28%)がシェフラーのものになるという仕組みであった。このようなデリバティブ取引の法的な取扱の難しさは,上記のスワップ契約には,金銭による決済が定められており,9つの金融機関が株式を買い集め,決済においてシェフラーに引き渡す法的な義務を負わない点にある(シェフラーが法的な引渡請求権を有する場合には,シェフラーに開示義務を負わせることは,法技術上(解釈によっても,立法によっても),難しくない)。ただ仕組み全体を見れば,当該取引を実施すれば,金融機関は経済的な要請から株式を取得してリスクをヘッジするであろうし,金銭決済ではなく,株式の引渡しによる決済が選ばれるであろう,と予測できるにすぎない。取引は非常に複雑な仕組みで作られているため,最終的に株式引渡しによる決済がなされることが予想される場合と金銭決済が期待される場合を類型化することは難しい。実際にドイツにおいても,本件においてシェフラーが開示を行うことなく買い集めを行った行為は,適法であるとされた(その後、ドイツにおいては,類似の問題の一部につき立法的手当がなされつつある)。
 本報告は,創造的な商品設計が進められる資本市場においては,その法規制も新しい技術を視野に入れて複雑化せざるを得ない事態を例示し,画一的な事前規制の構築の難しさを認識させ,事前規制と事後規制の望ましい連携を考える素材を提供するものである。報告の後,シェフラー/コンティネンタルのケースの事後処理の仕方,ドイツにおける企業買収規制等について活発な議論が行われた。
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 平成22年度 第3回国際ワークショップ
  日 時:平成22年8月20日(金) 14:00〜17:00
  場 所:キャンパスプラザ京都2階 会議室3
シルヴェーヌ・ペルツェット氏(トゥールーズ大学第一大学教授)
「EU競争法の私的執行―経済法および国際私法的観点から」
“Private enforcement of competition law in Europe”
 本報告では、私訴private actionによるEU競争法の執行に関する経済法および国際私法上の問題について全般的な解説が行われた。
 競争法違反行為からの被害者の保護(全額の賠償)の実現、反競争法行為の防止等の観点から、競争当局による公的執行を補うものとしてEU競争法の私的執行の重要性が認められるべきであるが、構成国間での関連する実体法・手続法の不統一、私的執行と公的執行の関連性が未だ明確化されていないこと等から、これは必ずしも容易ではない。
 以上の序論に続き、EU競争法の私的執行に関して議論されている点として、消費者が被害者である場合等の集団的な権利救済方法の必要性、証拠へのアクセス、競争法違反に関する各国の競争当局や各国裁判所の判断の私訴に対する拘束力、過失要件や損害の算定に関する構成国間での統一、転嫁の抗弁、時効、訴訟費用、リニエンシー・プログラムと私的執行の関係について、委員会提案の内容を含めて解説が行われた。
 次に、報告では、EU競争法の私的執行について生じる国際私法上の問題について、設例を交えて詳細に解説が行われ、この問題に関する国際私法上のルールを再検討する必要が指摘された。裁判管轄及び準拠法は、事件が契約に関するものか不法行為に関するものかに応じて、基本的に次のように定められる。裁判管轄については、ブリュッセルI規則(Council Regulation(EC)44/2001)により、当事者間に管轄合意がない限り、契約に関する事件については被告の住所地(同2条)又は問題となっている義務の履行地(同5条1項)、不法行為に関する事件については被告の住所地(同2条)又は不法行為が行われ又は行われ得る場所(同5条3項)において訴訟を提起することになる。準拠法について、契約に関する事件においてはローマI規則(Regulation(EC)593/2008)が適用され、当事者間の合意がない限り、契約類型に応じて準拠法が定められる(同3条、4条)。不法行為に関する事件においてはローマ規則II(Regulation(EC)864/2007)が適用され、影響を受けた又は受けるかもしれない市場地の法が適用される(同6条)。このような裁判管轄・準拠法の決定について問題となる点として、被告が複数いる場合にforum shoppingが生じ得ること、EU外の裁判所がEU競争法の私的執行の管轄を担う場合にヨーロッパ的な問題の解決をできないこと、契約に関する事件における準拠法に関してどの程度までEU法が強行法規(ローマI規則9条)として適用されるのか(例えば補償の範囲や要件についてもEU法が適用されるのか)が明らかでないこと等が挙げられた。
 報告後には、名誉毀損事件の国際裁判管轄に関するShevill判決の競争法違反行為への適用可能性、EU競争法におけるADRの意義付け、欧州の現実において私的執行が行われる事案が未だ多くないことの原因、報告において懸念が示されたforum shoppingの意義等について質疑応答が行われた。
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平成22年度 第2回国際ワークショップ(1)
  【京都】 日 時:平成22年6月30日(水) 15:00〜
       場 所:京都大学百周年時計台記念館 会議室W
  【大阪】 日 時:平成22年7月6日(火) 15:00〜
       場 所:大阪市立大学 梅田
Christoph H. Seibt氏( クリストフ・H・サイプト教授、弁護士、ブツェリウス・ロースクール特別教授、京都大学招聘教授)
 京都: 「ドイツにおけるコーポレート・ガバナンス−二層制ボードシステムと60年間にわたる従業員参加−」
     "German Corporate Governance: Two-Tier System with 60 years of Employees' Representation"
 大阪: "Corporate Governance und Mitbestimmung in deutschen Aktiengesellschaften"
  2010年6月30日京都において,また,同年7月6日大阪において,ドイツにおける株式会社の経営機構を素材にワークショップを開催した。
 ドイツの株式会社においては,会社の経営を担当する取締役は,監査役会に選任されるが,この監査役会の構成員の一部は株主総会により,一部(三分の一,従業員が2000超の企業においては半数)は従業員により選任される(いわゆる企業レベルの共同決定制度)。
  このようなドイツの共同決定制度に関しては,ドイツ国内においても賛否両論ある。共同決定制度の長所としては,事業遂行上のノウハウや(産業別労働組合から派遣される従業員代表により)当該企業を超えた各産業部門全体を眺める視点が監査役会にもたらされること,従業員代表は監査役会でなされる決定を従業員に伝える仲介役として機能する結果,国際的にみてドイツにおいてはストライキの割合が非常に低いことなどが挙げられる。一方,その短所としては,ドイツの監査役会は,人数が法定されていることにより規模が大きすぎること,共同決定制度はドイツ国内の従業員の保護のみを目的としており,今日の国際企業の実情に合わないこと(従業員代表の選挙権および被選挙権はドイツにおいて従事する従業員にのみ与えられる),従業員代表は,従業員の利益代表として,人事や社会保障に関する事項にのみ関心を見せること,監査役会の決定に時間がかかること,従業員代表と取締役の間のなれ合いから,兼任が禁止されることにより担保されるべき監査役会による取締役の監督が徹底できないこと,諸外国になじみのない制度であるため,外国の投資家にされにくく,有利な資金調達を妨げることなどが挙げられる。
  このような観点から,講演者のサイプト氏は,日本の株式会社の経営機構について,以下のように言及した。日本の会社法改正論議においては,従業員により選出される役員の導入の可否が議論される際に,従業員の経営参加の代表例としてドイツの共同決定制度が引き合いに出されることが多いが,適法性監査を職務とする日本の監査役(会)と,重要な経営上の戦略の判断を行うドイツの監査役会は,全く異なる地位にある。また,日本における従業員代表監査役に関する提案をする論者は,その目的として,従業員による情報提供機能も挙げる。しかし,議論すべきなのは,経営者から独立した者による監視の確保である。ドイツにおける共同決定制度のメリットとして,前述のように従業員の有する知見の獲得や従業員との仲介の確保が挙げられるが,これらは,取締役会がほとんど当該会社の従業員出身者で占められる日本においては,遙かに小さな意味しか持たない。日本の企業内労働組合の位置づけを見ると,従業員の利益が経営上の判断に反映される仕組みを確保されているように思われる。
 京都におけるワークショップにおいては,日独における経営者のリクルート方法の違い、報酬の額を立法で規制することの困難さ,ドイツにおけるコーポレート・ガバナンスの規範形成における主なアクター等について質問が出された。一方,大阪においては,ドイツ法学の様々な分野を専攻する研究者の参加を得て,日独の私的・公的団体における制度設計の考え方やリーダー像の違い,従業員の社会的地位の違いなどについて熱心に議論がなされた。
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平成22年度 第1回国際ワークショップ
  日 時:平成22年4月9日(金) 15:00〜
  場 所:キャンパスプラザ京都6階 第8講習室
Armando Irizarry 氏(米国連邦取引委員会(FTC)、知的財産専門官)
 「米国における「知的財産権と反トラスト法」:近時の動向」
 本報告は、米国の連邦取引委員会(FTC)における初の知的財産専門官として活躍されているIrizarry氏による、米国におけるFTCの活動、ならびに米国における反トラストと知的財産権をめぐる近時の動向を紹介するものであった。
 まず、知的財産に関わるFTCの活動について紹介された。FTCの活動内容は、大きく分けて、反トラスト法の執行、政策分析、ガイドラインの作成、裁判所やその他の機関へのアドボカシー(唱道)、の4つに分けることができる。FTCは、これらを通じて、ともにイノベーションや消費者厚生を増大させる反トラストと知的財産につき、両者の調和的な政策の発展を図っている。
 続いて、知的財産に関するFTCの主要な活動分野につき紹介がなされた。その中でも、近時FTCが非常に重要視している問題の一つとして、リバース・ペイメントの問題について特に詳説された。リバース・ペイメントとは、製薬の分野において、先発医薬品の特許を有している製薬会社が、後発医薬品開発会社に対して、後発医薬品の市場への不参入ないし参入時期を遅らせる合意とともに和解金を支払うことをいう。このような合意は反競争効果を持ちうるが、他方で先発医薬品開発会社の有効な特許権の保護という観点が交錯することが、この問題を困難なものにしている。これまでの多くの裁判例ではリバース・ペイメントが必ずしも反トラスト法に違反しないとされてきたが、FTCはこれが反トラスト法に違反するという立場を取っており、またこれを法律によって規制する道を模索している。
 次いで、N-Data事件が紹介された。本事件の特徴は、特許の有効性判断に踏み込むことなく反トラスト法違反を認定したことと並んで、その認定に当たり、シャーマン法(1・2条)に依拠することなく、FTC法5条(「不正な競争方法」)のみが適用されたことである。本件においてFTCの取った措置自体は概ね好意的に受け止められたが、この「不正な競争方法」という要件を限定する原理が何であるのか、という懸念が同時に惹起されることとなった。Irizarry氏は、この解明は今後の課題である、と指摘された。  さらに、近時の注目すべき一連の連邦最高裁判例が挙げられ、特にKSR判決(2007)とeBay判決(2006)がその重要なものとして紹介された。KSR判決は、特許要件の一つである自明性の有無の認定につき、それまでの連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)の判断基準よりもより柔軟なアプローチを採るべきであるとした。また、eBay判決は、特許権侵害に対する救済として恒久的差止を認めるかどうかにつき、CAFCの従前の基準よりも厳格な、伝統的なエクイティ法上の四要素テストを適用するとした。これら一連の判決に対して、これらは米国のプロパテントの時代の終焉を意味するものではなく、これまでのCAFCの行き過ぎを調整するものである、とのIrizarry氏の評価が示された。  引き続き行われた質疑応答では、特許と標準化機関の問題に関するラムバス事件における、米国の審決と欧州委員会の審決の相違、などに関して質問がなされた。
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平成21年度 第9回国際ワークショップ
  日 時:平成22年3月28日(日) 15:00〜
  場 所:京都大学百周年時計台記念館2階 会議室W
アンネ・レーテル氏 (ブツェリウス ロー・スクール教授)
 「高齢者と自律 ―比較法的視点からみた将来の世話を目的とした代理権の事前付与、患者による処分および 臨死介助―」
 本報告では、まず、ドイツで高齢化が進行し、自律能力の減退した者にもなお自己決定を保障しつつ、かつ、医療に関する患者の処分や自己の将来の世話に関する代理権の事前付与のように、事前の処分を可能にする制度が要請されているという前提が述べられた。
 ドイツにおいては、1992年の成年者保護法で、要支援成年者を保護するための世話制度と、将来の世話を目的とした代理権の事前付与の制度が導入されていたが、2009年秋の民法改正により、諸制度の明確化と変更が図られた。将来の世話を目的とした代理権付与は口頭でも可能であるが、医療的決定(一定の措置の不実施も含む)についての代理権付与には内容を特定した証書を要するとされ、少額の手数料で公証可能になった。これは成年者によることを要する。連邦通常裁判所の判例は、開眼昏睡状態にある患者について、本人のかつての意思表示に基づいた治療中止が認められるとしていたが、2009年改正法はこの内容をも盛り込んでいる。ただし、嘱託殺人など刑罰法規に反することは、そもそも本人の処分権の対象でないため、認められない。意思表示の基礎が維持されていることも必要である。内容について、病気の種類や段階による制限はできない。あらかじめ助言を受ける義務は登録・改訂の義務はないが、証書の作成にあたって不当な圧力がかかった場合には無効である。ここでは、劣位に置かれた配偶者による保証が無効だとされるのと同様の考慮が必要となる。
 イギリス法においても、身上の事務をも内容とする代理権の事前付与が認められてきたが、ドイツとは異なり、方式要件が厳格になっている。ドイツ法の影響を受け、スイスでも、将来の世話を目的とした代理権の事前付与および患者による処分の制度を導入する民法改正が予定されている。オーストリアではすでに両者に関する法改正が成立しており、方式要件が厳格である。なお、積極的臨死介助を不処罰とする余地は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイスで認められている。
 こうした自律の促進は家族を個人から切り離す傾向を有するが、家族の負担も増大しており、本人と家族との間の利害対立も問題となる。今般のドイツの法改正は自己決定能力について楽観的な評価を示しているが、家族の影響力が大きい日本などでは直ちに同じ制度が機能するとはいえないと考えられるとされた。
 報告を受けて、本人の真の意思に従った処分を可能にするためにはいかなる方式が望ましいか、時間が経過したときに必要な措置は何か、また、日本においては家族の影響の大きさにどのように対処していくべきかなどの問題について、活発な議論が行われた。
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平成21年度 第8回国際ワークショップ
  日 時:平成22年3月27日(土) 15:00〜
  場 所:メルパルク京都4階 研修室1
トーマス・チェン氏 (香港大学法学部教授)
 "Recent Development in Competition Law in China and Hong Kong"
 本報告は、中国の独占禁止法を中心に、香港における競争法関連の諸問題を補足的に検討するものであった。
 2007年に制定、2008年に施行された中国独禁法は、価格法等における既存の競争関連規定の影響を受けつつ整備された。同法は、@独占協定、A市場支配的地位の濫用、B企業結合の3規制を基礎に、C行政独占(administrative monopoly:行政機関による競争阻害行為)をも規制するものである。執行機関としては、最上位に独占委員会が置かれているが、@ACを工商総局が、Bを商務部が、@Aのうち価格に関するものを中心とする一部は発展改革委員会が担当するという三執行体制で行われており、これまでのところ、@ACについて申告例はあるものの行政による執行例はほとんどない。これに対して、Bの企業結合規制は活発に行われている。
 まず、Cの事件で、行政による利用強制が行政独占に該当する疑いが強かったものの裁判所がそれを認容するには至らなかった中国国家質量監督検験検疫総局(AQSIQ)事件等に係る行政独占規定の例が説明され、ついで、企業結合の事例について説明された。特に電池市場に係るパナソニックと三洋の企業結合事例については、市場画定の方式や反競争効果の認定方法などが初期のコカコーラ事件等と比して急速に洗練されたものとなってきたことが指摘された。
 また、実際に独禁法違反とされた例はないもののAの事例として、行政申告と私訴が並行したBaidu事件が説明された。そこでは、検索エンジンサービスは市場を構成すると解しつつもその供給者の支配的地位の濫用が否定された。ついで、著作権の行使に関連して支配的地位の濫用を否定したSursen Electronic Technology v. Shanda Interactive Entertainment事件、支配的地位の濫用事例を和解調停で解決したZhou Ze v. China Mobile事件、それから支配的地位自体が否定されたLi Fangping v. China Netcom事件等もあることが説明された。
 このように、中国独禁法においては、証拠手続に問題があるため、原告にとって負担が多く勝訴事例はないものの、私訴が大きな役割を果たしている。
そのような中国独禁法の諸規定が、1国2制度下の香港に適用されるのかもひとつの課題である。報告者は、裁判管轄の違い等を理由として中国独禁法の適用には否定的であり、オーストラリア法の参照可能性やスイス法に基づく競争審判所または英国法もしくは香港消費者委員会に基づく競争委員会の制度構想等が検討された。
 以上の報告の後、私訴に依存する中国独禁法のエンフォースメントの背景事情、独占禁止法の発展過程からすると発展段階で規制例が見られるはずの企業結合規制が活発であるのに、なぜ独占禁止法の原初形態である価格協定事件等の規制例がないのか、AQSIQ事件の証拠手続の詳細、中国の裁判所の証拠認定の基準、倍額損害賠償制度導入の是非、市場支配的地位の判断基準、知的財産権の濫用等に関して活発な質疑応答が繰り広げられた。
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平成21年度 第7回国際ワークショップ 第1部
  (関西労働法研究会共催)
  日 時:平成22年3月27日(土) 15:30〜
  場 所:キャンパスプラザ6階 講習室(龍谷大学)
リューディガー・クラウゼ氏 (ゲッティンゲン大学教授)
 「ドイツにおける派遣労働の法規制 ―自由化と労働者保護の狭間にある雇用促進手段としての労働者派遣」
 本報告は、ドイツにおける労働者派遣の法規制とその変遷を概観するものである。
まず、本報告は、シュレッカー事件(労働者に不利な条件で雇用するために、従業員を一旦解雇し、同社幹部が設立した派遣会社を通して雇い入れた事件)を素材として、派遣労働には、基幹労働者を安価な派遣労働者で代替する、単なる賃金ダンピングになる可能性があると指摘した。
 次に、労働者派遣の禁止を違憲とした連邦憲法裁判所の判断を契機とした規制緩和の流れや、1972年の労働者派遣法の施行と改正が説明された。
 つづいて、本報告では、連邦雇用庁の不正発覚を契機とした2003年1月1日の労働者派遣の改革が紹介された。第一ハルツ法から第四ハルツ法の制定によるこの改革は、@派遣可能期間の上限の撤廃、A1日目からの均等待遇原則の適用、Bパーソナル・サービス・エージェンシーの導入を骨子としたものである。ただし、Bは、成果がなく廃止された。
 本報告によれば、これらの改正の結果と折からの好況を受け、労働者派遣は劇的な増加傾向を見せた。しかも、派遣労働は安定した雇用への橋渡しとして機能し、労働者派遣法に関する第11次報告書も、組合の批判はあるものの、派遣労働の増加は基幹労働者の減少を伴わない雇用創出的効果を有すると結論づけている。
ところが、2008年の金融・経済危機によって、派遣労働者が激減することになる。そこで、2009年の景気対策協定は、経済危機における派遣労働者の保護のために、@操短手当を派遣労働者にも適用し、A派遣労働者の継続訓練を支援する可能性を創設するなどの改革を行った。
 さらに、本報告では、以下のような現今の課題が指摘された。一つは、第一ハルツ法が、派遣労働に特有の保護規定を廃止したために、パートタイム労働・有期労働契約法に基づく期間設定に関する一般規定が適用されるようになったことである。いま一つは、法律が前提とする均等待遇原則が労働協約と協約開放条項によって、ほぼ一律に排除されていることである。このような問題は、派遣労働者が独自の労働者集団とは見なされておらず、組織率も極めて低いことに起因する。そのため、各産別組合は協約団体を形成し、派遣労働が適用される可能性のある分野をカバーしている。また、この領域の特徴として、協約団体にドイツ労働総同盟(DGB)とキリスト教労働組合(CGZP)の二系統があり、後者が前者に対して下方競争を行っていることが挙げられる。
 最後に、本報告は、現行規制には、賃金の引き下げと常用労働者の代替に利用される危険があることを指摘し、フランス法における安定した雇用の存続が得られない場合の不安定手当のような制度の導入を示唆した。
 本報告に対しては、労働協約を中心として極めて活発な質疑応答が行われた。
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平成21年度 第6回国際ワークショップ
  日 時:平成22年3月16日(火) 13:00〜
  場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
クリストフ・シェーンベルガー氏 (コンスタンツ大学教授)
 「主権 ―国法上の古典的概念の意義とフーゴー・プロイスによる根底的な批判について―」
 ディアン・シェーフォルト氏 (ブレーメン大学教授)
 「多層システムにおける同質性 ―フーゴー・プロイスをとくに顧慮した議論発展の連続性と整合性―」
 シェーンベルガー氏は、フーゴー・プロイスによる主権概念批判の問題点を指摘した上で、主権概念の現代的意義について論じた。国家が国民に対して包括的な支配権限を有し、内政問題について他国から介入を拒絶できるとする主権思想が、法を国家の生産物とみる公法実証主義の思想的基盤をなすことを見抜いたプロイスは、師ギールケの仲間団体論に立ち、人間の共同生活がこそ法を生みだすと考えた。それゆえ、そもそも様々な層の法が併存し入り組みあうのであり、連邦制のなかで主権が国家と各邦のいずれにあるかという議論は彼には不要であった。だが、彼の主権概念批判には、(1) 君主制官憲国家のみならず民主制国家のそれも併せ、国家が法を強制する契機を説明できない、(2) 各層の法形成をいかに調整するかが明らかでない、(3) その法生成理解が虚構と思えるほど調和的すぎる、という問題点があった。EU法は自律的か、加盟国の法から導かれるのかという問題は、主権をEUに認めるか、加盟国に認めるかという問いに構成でき、現代の国際法は国家が自国を包括的に統治することを頼みにしている。法形成層の間で亀裂が生じた場合にも、問題を主権をめぐる紛争と捉えるのが便宜であり、それゆえ主権概念はなおも意義を失わないとシェーンベルガー氏は主張した。
 シェーフォルト氏の講演「多層システムにおける同質性」は以下のようなものであった。システムをサブシステムと上位システムに階層化する多層システムは、国家と自治行政、国家とEUなど超国家組織、国家と国家の関係で問題となるが、主権論のもとでは、国家に主権者としての特別の地位を与えてきたため、国家より下位の自治行政は間接的な国家権力の行使として、国際法による任務遂行は関係各国の自己規制としてみるしかなく、各層の同質性は否定される。しかし、システム間の構造を同質化する動きは、歴史的には、連邦制のもとでの個別邦国の政治体制、群・県レベルでの自治行政制度の改革、国際法主体の民主化にみられた。支配の契機を個々の人格が総体人格へと協力し、結びつくことだと解したフーゴー・プロイスは、国際法共同体を特定の領域内で国家とは別個の総体人格が形成されたものと捉え、国内においても地方自治を基盤とした人民国家を構想した。プロイス理論の帰結は、同質な階層的システムによる民主制である。ハンス・ケルゼンは、プロイスの批判者であったが、根本規範による法秩序の統一的な形成の構想は、総体人格の意思形成を法ではなく政治の問題としたことを措けば、多層システムによる民主制を志向するものといえる。シェーフォルト氏によると、多層システムは民主的同質性を要請するのであり、国際的および超国家的領域においても民主的同質性が必要である。ヨーロッパにおいて1975年以来EU市民により直接選挙された議会が存在し、その権限が増大していることや、リスボン条約がEUレベルへの民主制原理の適用を詳細に、欧州人民発議の可能性や各国議会のEUレベルでの決定への関与に関する規定に至るまで定めていることは、同質性の要請に沿うものと解される。とはいえ、EUの改革は各加盟国による批准が必要であり、そのかぎりで、EU条約も各加盟国の主権性を認めている。それはEUレベルでの決定構造の民主化が十分でないことを補うものだとみる向きもあるが、個別国家へと民主制を撤退させても、超国家的および国際的レベルの民主化の代替にはならず、問題の解決はEUレベルでの民主化によるしかない。
 以上の2報告のあと、質疑応答が行われ、仲間団体(Genossenschaft)とローマ法に由来する「抽象的な法人格の集まり」たる社会(Gesellschaft)との違い、プロイスとケルゼンの相違点、主権の概念と高権(Hoheitsrecht)概念の違い、ハイエクの思想との違いについてなど、活溌な意見の交換があった。
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平成21年度 第5回国際ワークショップ
  日 時:平成22年3月11日(木) 14:30〜
  場 所:京都大学法経本館1階 第11教室
ジョセフ・ホフマン氏 (インディアナ大学教授)
 「アメリカ合衆国における陪審制度と刑事手続」
 ホフマン教授は、アメリカの陪審制度の根底にある考え方と日本法への示唆について述べられた。米国における司法手続への市民参加には長い歴史と様々な制度がある。そのうち一般市民のみで有罪判断を行う刑事陪審制度は、ほぼすべてのアメリカ人によって支持されている。これには3つの興味深い理由がある。
 第1は、国家権力に対する不信である。米国の独立は、人々が武器を取って国家権力と闘い勝ち取ったものだという歴史があり、「権力は危険である」という基本的発想がある。そのため、検察官は公選で裁判官のコントロールに服するものであり、裁判官自身も権利を濫用しないようコントロールされる必要があると考えられている。不当に拘禁されている(手続違反の場合も含む)者の身柄釈放のための人身保護令状 habeas corpus 制度もその1つの手段である。陪審裁判は刑事事件全体のうち2%程度についてしか実施されていないが、陪審が不当な権力行使から人々を守る砦になるという「神話」はなお広く共有されている。
 第2に、陪審は不当な制定法に対する歯止めにもなると考えられている。大陸法がエリートの制定法であるのに対し、コモンローは平均的市民の判断の積み重ねにより形成され、「法は自分たちのものだ」という意識を生んでいる。陪審は理由を付さずに有罪・無罪の評決を下しうるため、書かれた法の内容を無効化することもできる。陪審は評議の前に裁判官から、法に従って判断するように教示を受けるものの、不当な制定法に該当するように見える事件で、無罪の判断ができる(検察側からの上訴や再起訴は不可能)という伝統がある。
 第3に、映画「12人の怒れる男」のイメージに代表される、正義の実現における市民個人の役割の理解がある。100人の犯罪者を無罪としても1人の無実の者を有罪にしてはならず、そのためには権力に対抗する責任を果たすべきだとの信念がある。
 これらから得られる日本への教訓は、第1に、裁判員制度などの法的ルールが社会的文脈をふまえて形成されなければならないこと、第2に、新しい制度は意図しなかった帰結をももたらしうるということである。たとえば裁判員制度導入により対審構造が強化され、刑事司法における伝統的な社会復帰志向が弱まる可能性がある。社会の変化が司法制度を変化させ、また司法制度の変化が社会の変化につながることに留意する必要がある。
 以上の講演を受けた討論では、陪審裁判では実体的真実発見が必ずしも最優先ではないこと、しかし犯罪事実の認定は陪審員の専権事項であって職業裁判官による量刑の領域へと恣意的に移されてはならないこと、被害者から陪審への不当な影響を防ぐという観点からは日本の被害者参加制度には疑問があることなどが活発に論じられた。
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平成21年度 第4回国際ワークショップ
  日 時:平成22年3月5日(金) 15:30〜
  場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
フランツ・ユルゲン・ゼッカー氏 (ベルリン自由大学教授)
 「ヨーロッパ労働法のドイツ労働法への影響 ―国家の労働法とグローバルな企業主決定との衝突について―」
 本報告は、ヨーロッパ労働法のドイツ労働法への影響について概観するものである。
 第一に、本報告では、オープンな市場経済におけるヨーロッパ労働法とドイツ労働法の役割が論じられた。まず、ヨーロッパでは、競争的で効率指向の市場経済と、強固な解雇制限及び共同決定による社会国家的平等という「非両立のプログラム」のために、投資が妨害されており、経済成長の障害となっているという。ここで、報告者は、労働法によって効率性を指向する市場経済システムの目標を阻害してはならないと指摘する。労働法は、世界的な経済秩序に適応したものでなければならないというのである。報告者は、労働者保護法制が雇用創出を阻害したり、企業の競争力を殺いだりする例として、ドイツポストや自動車産業を挙げ、EU労働法は外国の投資家が事業所をヨーロッパに設置することを困難にせず、ヨーロッパの企業が他地域に逃げ出さないようなものでなければならないと指摘する。
 第二に、本報告では、経営上の理由による解雇が規制されている結果、従業員の構成が悪化することが指摘された。
 第三に、本報告では、反差別ルールが成績重視型の昇進に対するブレーキとなっていることが指摘された。ドイツ国内法とヨーロッパ裁判所の判例によって蓄積された反差別ルールによって、採用と昇進に成績を考慮することは困難になり、「官僚主義的」になっているというのである。報告者は、硬直的な反差別ルールの適用が、かえって画一的な社会をもたらす危険があると警告する。むしろ、従業員との目標合意によって、報酬を、個々人の業績に結びついた個別的報酬へと変えていくべきだというのである。
 第四に、本報告では、ドイツ法では、労働保護の多くの基準、有給休暇期間、病気時の賃金継続支払いが、ヨーロッパ共同体の基準よりも改善されていることが指摘された。そのため、ドイツの社会給付移転は非常に大きなものになり、社会保険料を通じて、間接的に企業に大きな負担をかけているというのである。このように、高止まりの失業状況・高額な賃金継続支払い・短時間就労手当のコスト・失業者に対する再教育コストにより、ドイツでは、賃金外の付随的人件費がヨーロッパでも最も高くなっている。その上、同一労働同一賃金equal payの原則によって、これらの負担は外国人労働者の場合にも生じる。そのため、競争力を維持するためには、賃金の上昇を抑えるしかないというのである。最後に、報告者は、公務員の賃金を民間に近づける方策として、目標合意の達成度を基準とした賃金決定システムを示唆した。
 本報告に対しては、差別禁止、とりわけ障害者の雇用義務や目標合意などについて質疑が行われ、盛会のうちに終了した。
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平成21年度 第3回国際ワークショップ
  日 時:平成22年1月26日(火) 17:00〜
  場 所:京都大学法経本館3階 第1演習室
エリック・ミヤール氏 (パリ・ナンテール大学教授)
 「家族と憲法」
 本報告ではまず、「家族と憲法」という問題設定が3つの異なる側面を持ちうることが指摘された。第1に、民法の憲法化一般にかかわる「家族法の憲法化」は、家族法においては憲法的規制によって個人の自由を制限する面のあること、また、憲法の介入により民法的な理念が不明確化するおそれのあることが問題である。第2に、家族に適用される憲法とは何かを問題とする「憲法的家族法」については、歴史的理由によりフランス憲法の中には家族に関する規定があまりなく、家族はむしろ税法や行政法など憲法以外の公法の領域の中で扱われ、家族に関する規定は憲法上の権利の形ではなく、政策的な目標に関するものとして置かれている(1946年憲法前文)。第3に、「家族の法的理論構成と憲法」は、法制度化されていない部分も含む問題領域である。個人主義原理に基づく民法典には家族の地位を直接に定める条文はなく、個別の制度のみが置かれている。憲法が権利・利益の主体とするのも個人であって、集団としての家族ではない。このため、憲法院も、重婚の扱いなど個別の法制度の解釈を通じてのみ規制を及ぼす。他方で、婚姻や相続は1人ではなくつねに集団の問題であり、正統な家族を社会制度として保護する視点が出てくる。とりわけ、どの範囲の人に子をもつ権利があるかは、同性カップルや生殖補助医療のあり方に関連して重要な問題となっている。子に関係しない成人同士の関係の問題はそれよりは重要性が低く、契約的で多様化している。
 1999年に導入された新しい制度PaCS(民事連帯協約)は成人2名のパートナー契約であり、立法者は政治的な意図から、様々なケースに用い得る普遍的な制度であるとしていたが、憲法院はPaCSが異性及び同性のカップルに関するものである旨を明確にした。「正常な家族生活を送る権利」につき、憲法院は、欧州人権条約が婚姻の権利を個人の自由に含めるとしつつも、正常な家族の範囲を制限的に解する。すなわち、PaCSはパートナー関係として婚姻に劣後し、婚姻と同様の親子関係も認められない。フランスへの移民の母国の多くが認める一夫多妻も禁止される。憲法院はPaCSを性的関係に基づくものに限定し、国籍取得のための偽装カップルを防止しようとしているが、性的関係の調査は困難だという問題がある。また憲法院はPaCSカップルには養子を取る権利がないとしたが、2008年に欧州人権裁判所はこれが原則として差別にあたるとの判断を下したため、議論を呼んでいる。
 報告を受けた討論では、憲法院が念頭に置く正統な家族像が生殖を前提とし、一定の宗教・人口政策に基づいているのではないか、欧州人権裁判所と憲法院との判断の相違をどう解決するか、制度化されていない親子関係が多く実在することに取り組む必要があるのではないか、等の問題について活発な議論が行われた。
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平成21年度 第2回国際ワークショップ
  日 時::平成21年12月9日(水) 13:30〜18:00
  場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
フェリックス・シュテフェク氏(Dr. Felix Steffek: MPI研究員)
 「企業再建および倒産の比較法的分析 ―金融危機下における
    規制の課題、企業グループの倒産問題と倒産法制間の競争」
 ('Corporate Rescue and Insolvency in Comparative Perspective
   - Regulatory Challenges in the Time of the Financial Crisis, Group Insolvencies
   and Competition among Corporate Insolvency Law's
')
シュテファン・エンケルマイヤー氏 (Prof. Stefan Enchelmaier: ヨーク大学教授)
  「英国会社法と大陸会社法にかかる比較法的検討―少数株主保護を素材として―」
 ('Some comparative remarks on English and continental company law
   -minority shareholder remedies as an example'
)  
  Steffek氏の報告においては、会社の倒産と再建に関する英国とドイツの規制のさまざまな側面について分析が行われた。第1パートにおいては、会社の倒産について、@破産手続きの開始、A取締役の責任と義務、B取締役の資格剥奪・資格制限、C公的な調査、D株主の責任という5つの視点から分析がなされた。その結果、ドイツでは倒産分野を主として強行法規で規律するのに対して、英国では私的アレンジメントによる債権者の自衛を重視することが指摘された。英国のアプローチには、私的アレンジメントにより、硬直性と過剰規制を避けるというメリットがある。他方で、私的アレンジメントの重視は銀行のような強い交渉力とモニタリング能力を有する債権者がいればうまく機能するが、そうでなければ零細債権者が自衛することは困難であり、保護が薄くなるというデメリットがある。英国とドイツの規制の違いは、各関係者の自由を民事責任をともなう義務によってそれぞれ制限するべきか(ドイツ型)、関係者に広い自由を認めつつ、一部の者に対してのみ厳しい制裁を加えるべきか(英国型)という問題提起だととらえることができる。第2パートにおいては、会社の再建についての分析がされた。古典的問題として管財人は誰が選択すべきか、現在の問題としてドイツの株主・債権者の再建手続き中の同意原則や英国における債権者の集合行為問題の解決策、国際統一倒産法の可能性について、将来の展望として私的整理や倒産手続き開始前に事業の売却等を決定しておくPre-packsについて論じられた。
 報告の後、「取締役は誰に対して責任を負うか」という議論が倒産手続きに与える影響や、「会社の存立を破壊する侵害にかかる責任」についてなどの議論がされた。
 次に、Enchelmaier氏の報告においては、英国(主にイングランド)とドイツの会社法の規制態様の違いについて、@法源、A経営機構、B資本制度、C倒産という4つの領域に関して論じられた。@法源に関しては制定法と判例法、コモン・ローとエクイティについて、A経営機構に関しては株主総会と取締役会の権限やコーポレート・ガバナンス・コードないし統合規範について、B資本制度に関しては最低資本金規制や株券の意義について、C倒産に関しては申立て手続きの違いや、裁判所の介入度合いの英独間の相違について分析がされた。そして、英国では歴史的な経緯に基づく法がパズルのように組み合わさっているが、同時にプラグマティズムが息づいているのに対し、ドイツでは整然とした、抽象的な概念形成がなされた法体系であることが指摘された。そして、Enchelmaier氏は裁判所の判断に研究者の考え方が採り入れられることがあり得る点でドイツの方が望ましいと述べた。
 報告の後、英独のコーポレート・ガバナンスの実態についてや、英独の司法制度の違いを踏まえた法形成のあり方についてなどの議論がされた。
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平成21年度 第1回国際ワークショップ
   日 時:平成21年10月31日(土) 14:00〜
    場 所:京都大学東京オフィス会議室T
ゲラルド・シュピンドラー氏 (Prof. Gerald Spindler: ゲッティンゲン大学教授)
 「金融危機と欧州資本市場法の展開」
 ゲラルド・シュピンドラー氏の講演は、第一に、EUの構成国における国内規制の内容は、ヨーロッパ・レベルの規範形成の動向に大幅に依存していること、第二に、規制の運用につきEUが直接介入しうる程度が高まってきていることを欧州およびドイツの資本市場規制を例にとり、描写するものであった。まず、市場組織について、伝統的にドイツにおいては、証券取引所は公法上の機構として規律されてきたが、EUの金融商品取引指令の国内法化により、市場運営者には、証券取引所としての認可を得て各州の監督に服するか、私法上の運営形態をとり、連邦金融サービス監督機構の監督に服するかの選択肢が与えられることになった。また、市場区分の設置についても、証券取引法の改正により従来以上の広範な裁量が認められることになった。
 金融業の監督体制について、ドイツにおける金融業(銀行・証券・保険)は、州と金融横断的な監督機関である連邦金融サービス監督機構による並立的な監督の下に置かれている。ヨーロッパ・レベルにおいては、これまで中央集権的な監督機関は存在せず、欧州中央銀行が支払決済の監視等一部の権限を有し、他方で、銀行・証券・保険についてそれぞれ設けられた委員会(証券部門については、欧州証券監督者委員会)が金融監督の統合および調整のプロセスを促進することが予定されている。しかし、たとえば、欧州証券監督者委員会はアメリカ合衆国のSECのような影響力を有する機関とはほど遠いものである。ヨーロッパ・レベルの機関は、一定の政策を諸構成国に実施させる意図で、法的拘束力を有しないガイドライン、勧告等の「ソフトロー」を用いることが多いことが観察される。このような状況は、金融危機に直面して一変し、既存の諸委員会は、欧州監督機構(European Supervisory Authorities)と呼ばれるより強力な権限を有する機関に改変され、併せて欧州システミック・リスク委員会が設置された。これらの機関による直接の介入権限はいまだ乏しいが、将来的にEUが欧州資本市場の監督を先導する第一歩となる可能性がある。
 次に市場の透明性については、上場における透明性(目論見書)、大量株式取得に関する通知義務、適時開示等が問題となる。目論見書の正確性を担保する手段としては、民事責任が重要である。古くからドイツの判例は、契約締結上の過失の法理を基礎に、潜在的な証券取得者に対する発行者の情報提供義務を導き出していたが、その後、責任を負う者の範囲、請求権者の範囲、因果関係の有無の判断基準および損害の算定方法等の論点につき、一部は判例法理が発展し、一部は立法により解決された。大量株式取得に関する通知については、ヨーロッパ法により課される通知義務があるが、2008年に制定されたドイツのリスク制限法が、通知義務違反者の議決権停止という追加的な規制、および仏・米にならった大量保有報告書制度を導入した。適時開示については、目論見書責任と同様、民事責任に関連する諸問題が存在する。この領域につき、ヨーロッパ・レベルにおける統一的な規制は存在せず、ドイツの判例法理が若干存在するものの、その内容は、目論見書責任に比べて原告である投資家の側の負担が多いものである。
 市場仲介者については、金融危機を契機としてその監督方法およびインセンティブ構造が問題視されている。格付会社については、国際通貨基金および証券監督者国際機構の勧告をモデルに、勧告が起草され、また、登録制の導入を目的とする規則案を策定した。一方、ヘッジ・ファンドについては、空売りの制限・報酬システムの適正化が目下の主な関心事であるが、国際的な活動を展開するファンドの監督権限の所在も議論の対象となっている。
 質疑応答においては、証券販売会社の関係者が負う責任の法的構造、日本における企業経営者の報酬規制、ドイツと日本の経営者の気質の相違、外国法の遵守義務等、多様なテーマにつき、活発な議論が展開された。
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平成21年度 第1回国際シンポジウム
   日 時::平成21年9月7日(月) 9:00〜17:00
              9月8日(火) 9:00〜15:00
              9月9日(水) 9:00〜18:00
   場 所:芝蘭会館別館2階 研修室2
テーマ:「家族の変容と社会」
 ▼第1部 「家族と国家」
  イングリッド・ゲトロイヤー=カーグル氏(ウィーン大学教授)
  木村 敦子氏(京都大学大学院法学研究科准教授)
 ▼第2部 「家族と刑法」
  スザンヌ・ラインドル=クラウスコプフ(ウィーン大学准教授)
  山 佳奈子氏(京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
 ▼第3部 「家族と国民経済」
  グートルン・ビッフル(ドナウ大学教授)
  荒山 裕行氏(名古屋大学大学院経済学研究科教授)
  杉浦 立明氏(拓殖大学准教授)
  瀧  敦博氏(広島大学教授)
 ▼第4部 「家族法と労働法」
  ミカエラ・ヴィンディッシュ=グレッツ氏(ウィーン大学法学部教授)
  村中 孝史氏(京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
第1部 家族と国家
 本研究会では、日本における家族と国家の関係について、近代化以降現代に至るまで、理論的あるいは判例・学説上どのような変容が見られたのかに関して報告がなされた。
 まず、ゲトロイヤーカーグル教授は、明治期の日本において民法の制定以来、国家による家族への介入が行われてきたことを指摘した。これは戸主制度を採用した父権主義的なものであると共に、妾を容認する性差別的な制度でもあった。刑法においても姦通罪の適用に関して男女差が設けられていた。これに対して自由主義的な観点から福沢諭吉や森有礼らによる批判がなされたことにも言及がなされた。しかし当時の家族国家観によれば、家族は個人ではなく国家のものであり、女性は家庭においては夫に仕え社会においては国家に仕えるべきであり、同時に良妻賢母としての男性への服従と家庭の維持の理想化がなされた。自由主義・社会主義・個人主義の隆盛に対抗して国家権力を維持する必要性から、家族と国家が結び付けられたのである。そして、このような状況で母性保護論争を展開した4人の対照的な女性が紹介された。与謝野晶子は国家や社会に依存しない自立的な女性像を主張したのに対し、平塚らいてうは母性を社会的なものと捉え、むしろ国家による保護を要求した。山川菊枝は社会主義の立場から資本主義社会では母性が実現されないと主張したのに対し、保守主義者の山田わかは母性こそ社会的秩序の基礎と考えた。戦後の新民法は相当進歩的で現実的なものになったが、彼女らの主張は、たとえば仕事と家庭の両立のように現代における家族に伴う問題に対しても大きなレレバンスを持っていることが指摘された。次に木村准教授は、現代における家族の多様化が、家族法の変容に与える影響を、離婚問題とそれに伴う財産分与制度の観点から考察した。第一に離婚問題については、判例および学説が、消極的破綻主義から積極的破綻主義へと移行してきた過程が検討された。消極的破綻主義の背景には、有責者からの離婚請求は、婚姻・離婚の倫理観に反するという考え方があり、これは、性別役割分担という家族観に基づいていたが、積極的破綻主義において愛情に基づいたより個人主義的な家族観への移行が見られた。第二に、財産分与制度に関して、清算・扶養・離婚慰謝料という3つの要素から検討がなされた。清算の割合は経済的な寄与にかかわらず2分の1ずつにする見解や、扶養の意義を、婚姻を終生の結合とする見方から婚姻生活に伴う損失の補償として再構成する見解のように、家族法が家族の保護から個人の保護へ、女性の保護から自立の支援へと軸を移してきたことが確認された。
 質疑応答においては、離婚の調停や裁判において依然として良妻賢母的な発想が押し付けられる可能性について、日本の伝統的な家族観は必ずしも男尊女卑的あるいは儒教的なものではなかったことなどについて指摘がなされた。

第2部 家族と刑法
 ラインドル=クラウスコプフ氏の報告では、オーストリア刑法典を中心に、@刑法が家族関係自体を、民法が制度として認める限りで保護していること、A犯罪現象が家族の内部で生じた場合に、刑法は親族特例など諸々の特別扱いを認めていること、最後に、B家族内の上下関係に基づく不当な干渉に対応すべく、近年、様々な刑事立法がなされていることが報告された。オーストリア刑法には重婚罪があること、扶養義務の懈怠が処罰されること(以上、@)、家族間で財産犯罪が行われた場合の親族特例が内縁関係にも認められていること(A)、近親相姦に刑事罰が科されること、家庭内におけるハラスメントに「権威的関係の濫用罪」が適用されること、いわゆるドメスティック・バイオレンスには2009年新設の「継続的暴行罪」が適用されること(以上、B)など、同国における刑事規制の概観が得られた。
 山氏の報告では、わが国の刑法が家族をめぐる現代的諸問題にどのように対処すべきかについて、判例の変遷を紹介しつつ、問題ごとの検討が加えられた。主なものでは、@夫による性交の強制を強姦として処罰せず、且つ、夫が留守中に妻が招き入れた愛人を住居侵入とするなど、従来の判例の立場は、事実上夫の利益のみを擁護しているに等しいものであった。Aわが国では、近親相姦を処罰する規定はなく、13歳以上の者を対象に保護者の地位を濫用して性交に応じさせる行為は不可罰とされている。B近年の判例は親族間で行われた財産犯に積極的に介入する姿勢を見せており、例えば内縁関係への親族特例の適用を否定したり、後見人となった親族が被後見人の財産を横領した事例で親族特例の適用を否定したりしている。しかし、親族特例が現状に合わないのならば、法改正すべきである。C親族が子供を奪い合う場合、判例上、奪ったほうの親族に未成年者略取罪が成立するとされているものの、その後、このような紛争に刑事司法が介入することに慎重であるべきだとの見解を示した最高裁判決も出ている。山氏の見解では、親族による未成年者略取は、子供の安全を危うくする場合にのみ認めればよいとされた。
 ディスカッションでは、13歳以上の未成年者を相手とする近親相姦につき、オーストリアでは近親相姦罪が成立するのに対して、わが国では、せいぜい青少年保護育成条例による処罰にとどまるという両国間の相違が話題となった。ほかにも、オーストリアでは、非ヨーロッパ系移民が自らの価値観に基づき、嫁ぎ先から逃げ帰った女性をその親族が殺害するという「名誉殺人」のように、家族に対して犯罪を行うことが社会問題となっており、外国の価値観をオーストリア法がどこまで尊重すべきか、同国法の基本的な価値観が問われていることなどについて、多方向から活溌な議論がなされた。

第3部 家族と国民経済
 第3部では、国民の経済活動あるいは経済理論において、家計や家事労働あるいは家族政策がどのような役割を果たしてきたのかが検討され、さらに経済的な視点から今後の家族のあり方に関して討論が行われた。
まず、ビッフル教授の報告では、国民経済計算(SNA)では市場(例外として公的部門)によって生産され価値づけられた経済活動のみが含まれ、家庭内部で消費される家事労働は排除されていたことが指摘された。家計は、財やサービスの消費あるいは労働力の提供者としては考慮されていたが、
 それ自体で独立した部門ではなかったのである。そこで、GHP(gross household production)の指標が示された。家事労働の価値づけの基準は機会費用や専門家が提供するサービスの価格などによって判断され、それによればオーストリアではGHPは全経済規模の44%を占めている。しかしこのような家庭内労働は、伝統的には多くが女性によってなされ、それは現代にも続いていることが指摘された。また家族政策が家族形態にどのように影響するのか、他の政策分野とどのような関係にあるのか関しても考察された。そして、社会が産業化するにつれ、家事は市場部門へと移転され(アウトソーシング)、それがGDPの成長や家事労働の機会費用の上昇をもたらし、さらに社会の生産性を高め経済成長を促進し、あらゆる技能レベルの人に雇用の機会を提供すると主張された。
 次に瀧教授の報告では、日本において家族政策という概念が従来あいまいであったこと、しかし家族形態の変容を伴う少子高齢化社会においてその重要性が高まっていることが示された。
 さらに荒山教授は、膨大な統計的データを駆使して家族の形態・離婚・平均寿命・高齢化・子育てに関する国際的な比較を行い、さらに日本における労働形態と男女間役割分担のあり方が近年どのように変化してきたのかを詳細に検討した。また男女の時間の使い方の変遷を紹介することで家族生活が具体的にどのように変容してきたのかが紹介された。最後には経済学理論において家庭の経済がどのように説明できるのかが示された。
 質疑応答においては、教育政策と家族政策の関連について、また非正規雇用と正規雇用という労働形態の違いの重要性について、さらに理論と経験的な調査との非対称性などについて、家族政策にとどまらず労働政策や人口政策・社会保障政策など幅広い観点から指摘がなされた。

第4部 家族と労働法
 ミヒャエラ・ヴィンディッシュ‐グレーツ教授の報告は、労働者の家族の利害がオーストリア労働法でどの程度考慮されているかを概説するものであった。
 すなわち、その「家族」概念が家族法より広範な場合もあることを前提として、@家族状態等に関連した性差別の禁止(性的志向への差別含む)が歴史的反省から均等待遇法によって徹底されていること、A妊婦へのいかなる差別も性差別として禁止され、時に極端な保護が判例によって与えられていること、B育児休暇又は子どもが一定年齢に達するまでの労働時間短縮等(育児パートタイム)のみならず、死に瀕した家族に付き添うための休暇等も、その間の報酬請求権なしに(別途社会保障法上の措置あり)、特別解雇保護付きで法定されていること、C家族行事への参加等によって短期間労働できない場合には報酬請求権を保持できる場合もあること、D通常の労働時間帯の決定等に際しても、子どもの学校への送迎等家族としての義務に配慮しなければならないことが紹介された。
 その上で、以上の制度を利用することに伴う不利益への懸念が特に男性側に見受けられること、労働者の満足度が高い企業の業績は高いという実例の存在が併せて指摘された。
 村中孝史教授の報告では、高度成長に伴い確立したいわゆる日本的労使関係が労働者の家族の生活にも多大な影響を及ぼしたが、当該関係が近年変化しつつある中で、家族がいかに変化し、これに対して労働法がいかなる対応を示してきたかを検討するものであった。
 その趣旨を要約すると、まず、労働者の解雇を強く制限してきた判例は終身雇用慣行に一種の社会規範を見い出したと言える。他方、例えば夫の配置転換に際して妻側の事情を重視しないというように、判例は、夫は会社で働き、妻は家庭を守るという家族を前提にしたルール形成を結果として行ってきたとも言える。しかし、そのような判例の動向は、夫婦がともに非正規従業員であったりする家族が必ずしもイレギュラーであるとは言えなくなっている現在、必ずしも妥当でない。また、男女雇用機会均等法、育児・介護休業法等によって労働者の家族状況への使用者の配慮が義務付けられるようになっている。もっとも、家族の変化に対する労働法の変化は始まったばかりであり、労働法の議論において「家族」という視点はなお中心的な役割を演じるものではないが、家族の多様化が進展する中で、今後無視できない考慮要素になると考えられる。
 以上の報告に対しては、日本における配置転換、オーストリアにおける結婚女性の退職慣行や通勤スタイル、育児パートタイムの詳細等に関する活発な質疑応答が行われた。
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平成20年度 第4回国際ワークショップ
 ラインハルト・ツィンマーマン教授講演会
   
日 時::2008年11月1日(土) 14:00〜18:00
    場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
Prof. Dr. Dr. h.c. mult. Reinhard Zimmermann, FBA FRSE
  (ラインハルト・ツィンマーマン教授)講演会
 マックス・プランク外国私法および国際私法研究所 所長
 "Europaisches Vertragsrecht: Generalbericht(ヨーロッパ契約法)
 本講演は、ヨーロッパ契約法の統一について、多様な角度から概観を提供するものである。
 まず、ヨーロッパ契約法の統一の背景として、契約法が他の民法領域に比べて国際的な性格を有していることと、共通の歴史的・哲学的基盤を有することが指摘された。 次に、統一が様々なレベルに亘ることが説明された。すなわち、@法学教育における共通の知的基盤であるユース・コムーネ、APECLに代表されるヨーロッパ契約法の「リステイトメント」としての学術的プロジェクト、Bユニドロワ国際商事契約原則やCISGといった「グローバリゼーション」の影響、Cフランス破毀院の動向やドイツ債務法改正に見られる、ヨーロッパにおける法発展の収束、D伝統的な私法の領域における20に近いEC指令による統一、Eヨーロッパ司法裁判所による限定的かつ部分的な統一、FEU委員会の活動である。
  このうち、EU委員会の活動については、Christian von Barを議長とするヨーロッパ民法典のスタディ・グループ、現行EC私法に関するヨーロッパ研究グループ(アキ・グループ)、現行の8つの指令の見直しを基礎として新たな消費者法指令を準備する動きの3つが説明された。
  つづいて、将来への展望として、以下のような提言が行われた。@大学教授については、法学教育や法律文献の執筆にあたって、PECLなどを用いることによってヨーロッパ法に言及すべきである。A裁判官については、国内法をヨーロッパ法と統一的に解釈することが期待される。B立法者については、ヨーロッパ委員会の活動には透明性が欠けているし、仮に選択できる法典の編纂を試みているのだとすれば、そのような必要性は認められない。EU委員会は、指令という手段による最低限の統一を求めるべきである。たしかに、消費者契約法の分野における指令は混乱しているが、これに対しては、消費者に関するアキの再整理と見直しを行うべきである。その際には、消費者契約法においても、契約自由が指導理念であり、私的自治を維持するために規制が行われることを銘記すべきである。
  最後に、DCFRに対して、@一般条項と不明確な法概念の多用によって明確性を欠いている、A数多くの定義規定を置いているが、これは法典と教科書の区別を無視しているだけでなく、定義が明確ではないために法的安定性を欠く、B現時点ではコンセンサスが存在していない領域まで覆ってしまっている、C複数の規律が調整されないまま別個に規定されている、D消費者法のアキについてきちんとした見直しが行われていないといった、鋭い批判が加えられた。
  質疑応答においては、@ヨーロッパ域外における私法統一の可能性、Aヨーロッパ域内における私法統一の限界、とりわけDCFRが実質的に「ヨーロッパ民法典」編纂作業を行っているかに見えることへの評価、Bユース・コムーネの内容と機能、C契約自由の原則の沿革と限界、D消費者法を民法典に取り込むことへの評価などについて質問が行われ、活発な意見交換が行われた。
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平成20年度 第3回国際ワークショップ
 クラウス・J・ホプト教授講演会
   日 時:平成20年9月12日(金) 10:30〜11:30
   場 所:芝蘭会館別館 研修室2
Prof. Dr. Dr. Dr. h.c. mult. Klaus J. Hopt, MCJ (NYU) (クラウス・J・ホプト教授) 講演会
  マックス・プランク外国私法および国際私法研究所 所長
  "Law and Ethics - The Concept of the Fiduciary or Trustee
   and the Call for Ethical Behavior of Board Members and Professionals
    like Banks, Brokers, Lawyers, Auditors and Advisors"

  「法と倫理―受託者概念と取締役および銀行、金融商品取引業者、弁護士、
    公認会計士、コンサルタント、その他の専門家の倫理的行動を求める声」
 本ワークショップにおいては、マックス・プランク外国私法および国際私法研究所長であるクラウス・J・ホプト氏が、法と倫理というテーマの一環として、企業活動の倫理的側面をめぐる問題について講演を行った。その概要は次の通りである。
 (1)「尊敬すべき商人」のイメージが伝統的に定着していたドイツでも、取締役が膨大な額の報酬を受け取るようになるなど、利益を全ての物事の尺度とする利益最大化の概念が、企業の取締役の活動や銀行家、金融商品取引業者、弁護士などの専門家の活動を導くようになっている。そして、利益最大化のため、賃金の切り下げ、職や工場の海外移転、環境における損害の原因を外部に帰することなどを企業が行っているという批判が現在これまでになく高まっており、利益最大化概念の問題は、倫理的な次元におけるのみならず法的な問題にもなっている。(2)ドイツを含む大陸法においては、取締役や専門家の利益相反取引に関する立法や判例は伝統的に少なかったが、歴史的経緯から取締役を一般的に会社の「受託者」として扱い、会社の取締役に受託者の義務を課す英米法の考え方がヨーロッパにも広がった。(3)この問題に取り組むため、まず、人間に利己心の追求それ自体を禁止することは困難であるが、取締役による隠れた自己利益追求のいくつかには、duty of loyalityまたはTreuepflichtの名のもとで法的制約が課されている。例えば、自分の会社との競業、会社の機会の奪取、職業上の秘密の濫用とインサイダー取引などである。ただ、高額化しているといわれる取締役らの報酬の問題については、自己利益の隠れた追求の禁止の要請が同様に働くが、報酬が原則として市場での自由な交渉によって決定されなければならないという点で特別の考慮を要する。(4)(3)で検討されたものよりも複雑な問題として、利益最大化概念(株主価値の概念)と、企業の社会的責任概念が両立するかという問題がある。理論的には二つの概念は両立し得ないと考えられてきたが、実際的には、この二つの概念は両立し得る。企業は経済的圧力だけでなく社会的政治的圧力にもさらされており、賃金を不当に削ったり環境への損害に注意を払わなかったりすれば、長期的に見ればそのコストを負担することになるため、企業は、長期的利益を考慮し、労働問題や環境問題に取り組まずにはいられないと考えられるのである。長期的利益の考慮によって決着のつかない問題は、予め基本的決定を行い、そこから演繹的に答えを出すことによってではなく、利益の衝突を事案ごとに慎重に分析することによって解決されなければならない。(5)取締役らの倫理的行動を規律する法的戦略としては、最も自由や競争に介入せず、また法と倫理を架橋する円滑かつ民主的な方法と思われる開示、とりわけ特定の行為をしているか否かの開示が考えられる。ただし、ドイツにおける取締役の個別報酬の開示のように、「開示せよ、さもなくば説明せよ」が機能しない場合――取締役に自主的な遵守を期待できない場合がある――に、法によって強制された例もある。法による倫理的に望ましい行動の義務づけよりも穏当な手段として、利害関係人の承認を得ることを法によって要求する同意戦略が考えられる。
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平成20年度 第2回国際ワークショップ
 キャス・R・サンスティーン教授 レクチャー・セミナー
   日時・場所
    :平成20年6月7日(土) 14:00〜17:30
      青山学院大学青山キャンパス 総研ビル第19会議室
    :平成20年6月8日(日) 14:00〜17:00
      南山大学名古屋キャンパス J棟1階特別合同研究室
    :平成20年6月9日(月) 14:00〜17:00
      京都大学吉田キャンパス 百周年時計台記念館2階国際交流ホールV
<関連行事> (IVR日本支部、日本法哲学会主催、学術創成研究費後援)
 東 京 平成20年6月7日(土) 14:00〜17:30
 神戸レクチャー: Beyond Judicial Minimalism(司法ミニマリズムを超えて)
 〔講 師〕 キャス・R・サンスティーン教授
 〔コメンテーター〕 宇佐美 誠氏(東京工業大学)、長谷部 恭男氏(東京大学)

<学術創成研究主催行事>
 名古屋 2008年 6月8日(日) 14:00〜17:00
 セミナー: Beyond Judicial Minimalism (司法ミニマリズムを超えて)
 〔講 師〕 キャス・R・サンスティーン教授
 〔コメンテーター〕 大森 秀臣氏(岡山大学)、大屋 雄裕氏(名古屋大学)、
  瀧川 裕英氏(大阪市立大学)、松尾 陽氏(京都大学大学院法学研究科研究員(科学技術))

<学術創成研究主催>
  京 都 2008年6月9日(月)14:00〜17:00
 セミナー: Libertarian Paternalism (リバタリアン・パターナリズム)
 〔会 場〕 京都大学百周年時計台記念館2階 国際交流ホールV
 〔講 師〕 キャス・R.・サンスティーン教授
  〔コメンテーター〕 亀本 洋氏(京都大学)、嶋津 格氏(千葉大学)、
   鈴村 興太郎氏(早稲田大学)、森村 進氏(一橋大学)
  現代のアメリカ合衆国を代表する憲法学者の一人であるキャス・サンスティーン氏(シカゴ大学ロースクール)を迎えて、東京・名古屋においては、「司法ミニマリズムを超えて」というテーマで、サンスティーン氏の講演、それに対する各氏のコメント、会場参加者からの質問とそれに対する応答がなされ、京都においては、「リバタリアン・パターナリズム」というテーマのもと、サンスティーン氏の講演、それに対する各氏のコメント、フロアからの質問とそれに対する応答がなされた。
  「司法ミニマリズム」とは、サンスティーン氏が主として合衆国の連邦最高裁の憲法判例を記述し正当化するために主張している理論であり、そこでは、裁判所・裁判官が法的判断を行うときに取り扱う問題を広く扱わないこと(判決の狭さ)と判決を理論的に深く正当化することを控えること(判決の浅さ)の有用性(民主政の促進、裁判所の能力の限界、相互尊重など)が説かれる。1990年代半ばから、この司法ミニマリズムの記述性・規範性に関して合衆国では議論が進んでおり、2000年代になってもその意義と限界が問われている中での、今回のサンスティーン氏の来日講演となった。
  東京においては、その理論の有用性を評価しつつも、不完全な理論化された合意に完全な正当化が必要か否か、司法ミニマリズムの戦略の一つである類比的推論には深い理論が必要なのではないかというコメントがなされて、サンスティーン氏は完全な正当化も必要ではなく、犬の「犬性」を知るためには深い理論は必要ではないと応答した。
  名古屋においては、サンスティーン氏が4人のコメントに対する全般的な応答としてミニマリズム(合衆国、ハンガリー)を他の謙抑主義(キューバ、英国)・完全主義(ナチス期のドイツ、南アフリカ)の2つの立場と対比してその比較法的位置を明らかにし、また、ミニマリズムは普遍的に妥当するものではなく、一定の制度を前提にしているものであるとした。個別のコメントへの返答として、解釈を経ないルール理解が可能であること、日本のような裁判官のキャリアシステムが採用されている国家にもミニマリズムが妥当しうること、ミニマリズムに徹しても民主政を促進する可能性があること、司法ミニマリズムは立法への信頼と司法への不信という前提に依拠していないこと、不完全な理論化戦略は理由付与を否定するのではなくその理由の性質(理由の浅さ)に関わること、司法ミニマリズムから議会主権を採用しないこと、などの指摘がなされる一方、司法ミニマリズムの基底にあるべき価値がどうあるべきかに関しては、サンスティーン氏自身、それが十分に示せていないという課題があることを認めた。
  他方、「リバタリアン・パターナリズム」とは、選択を阻むことではなく、選択の自由を認めつつ、厚生を促進する方向へと人々を誘導するための戦略であり、大きな政府か小さな政府かという二者択一ではなく、よりよい統治のあり方を探求する試みである。サンスティーン氏は、人々が明確で安定した十分に整序された選好を欠いていることを前提としつつ、デフォルト・ルールが人々の選択に与える影響の不可避性と国家によるデフォルト・ルールの設定の不可避性とから、パターナリズムが避けられないと説き、そのうえで、よりよきパターナリズム、すなわちリバタリアン・パターナリズムという方向性を探求するのである。このアイデア自体は最近出されたばかりで、米国でも話題になっており、その内容がどのように発展していくのか未知の部分が多い中での今回の講演となった。
  講演では、ダイエット、テロリズムに対する恐怖など様々な例を用いつつ、リバタリアン・パターナリズムが撞着語法ではなく、ありうる選択肢の一つであることが強調された。リバタリアン・パターナリズムについては、4名のコメンテータから様々な意見が出されたが、それらに対してサンスティーン氏は、デフォルト・ルールを提示する政府も責任を負いうること、信教の自由の保障に関してデフォルト・ルールを用いることが許されないのは確かであること、政府の提案方法において競争原理を入れることは望ましく、その意味でリバタリアン・パターナリズムは市場の役割を認めるものであること、といった応答がなされた。
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平成20年度 第1回国際ワークショップ
 ユルゲン・バゼドウ教授 講演会

   日 時:平成20年4月16日(水) 17:00〜18:30
   場 所:芝蘭会館別館 研修室2
Prof. Dr. Dr. h.c. Juergen Basedow, LL.M. (Harvard Univ.) (ユルゲン・バゼドウ教授)講演会
  マックス・プランク外国私法および国際私法研究所 理事
  "Civil Liability for the Infringement of European Competition Law"
  (ヨーロッパ経済法違反に対する民事責任)」
 EC競争法(EC条約81条・82条)違反行為の被害者による損害賠償請求訴訟を考える上で、どのような問題があるのか。
 そもそも、これまでのECでは、EC競争法違反行為に対する損害賠償請求は、EC法上認められた請求権ではないと考えられてきた。しかし、1990年代のEC拡大の動きや一連の欧州司法裁判所判例――2001年CourageCrehan事件、2006年Manfredi事件――を受け、今では、EC競争法違反行為に起因する損害の賠償を求める請求権がEC法上認められていると考えられるようになり、具体的な訴訟制度の設計について、EC委員会を中心に議論が行われている。
  制度設計にあたっては、第一に、EC競争法違反だとして訴訟を提起する民事訴訟当事者のインセンティブに与える影響を考慮に入れるべきである。民事の損害賠償請求訴訟を活用することでEC競争法のエンフォースメントを強化しようとするのであれば、EC競争法違反行為の被害者が、訴訟を提起しようと思えるような期待利益を(潜在的な原告に)付与する制度にしなければならない。
  その他の問題点として、EC競争法違反行為による損害額をいかにして算定するか、「損害転嫁の抗弁」――EC競争法違反行為に起因する損害の金銭的賠償を求める原告が、(原告が)需要者である市場の供給者が行なった価格協定により引き上げられた費用分を自らが供給者である市場(downstream market)の需要者に転嫁できた(から原告は損害を被っていない)、という(被告による)抗弁――を認めるか否か、損害賠償請求訴訟の当事者適格をどのような要件で認めるか等があげられる。
  まず、損害額の算定についてである。算定手法はいろいろ考えられるものの、いずれにせよ、違法な価格協定により生じた厚生損失を全て把握することはできない。協定された高価格では商品役務の供給を受けない、という需要者は必ず生じる。しかし、何も買わなかった需要者が訴訟を提起しようとしても、(価格協定がなければ当該商品役務を)購入したであろうということについて裁判所を説得するのは現実には極めて困難であり、結果として、損害賠償請求が可能な範囲は、違法な価格協定が総厚生にもたらす現実の損失全てに及ばない。したがって、実損の2倍額損害賠償を認めるのが適当であろう。
  次に、損害転嫁の抗弁についてである。不法行為法の目的は、違法行為――ここでは競争制限行為――が持つ外部効果を内部化するところにある。とすると、損害転嫁の抗弁を認めないとする方が、損害転嫁の抗弁を認めるとするよりも価格協定の被害者はいくらかの賠償を得られるという意味で、不法行為法の目的に沿っている。損害転嫁の抗弁は、EC競争法のエンフォースメントの実効性を確保――訴訟を提起する原告のインセンティブを確保――するためにも斥けられなければならない。
  最後に、損害賠償請求訴訟の当事者適格についてである。商品役務の流通過程の最終段階に近づくほど需要者の数が増加するので、引上げられた価格分を転嫁されることで下流市場の間接的な購入者(最終消費者)が被る損害はどんどん小さなものとなる。したがって、間接の購入者に当事者適格が認められたとして、複雑な独禁訴訟を提起しようというインセンティブはごく限られたものである。この問題への対処法として、消費者団体に損害賠償請求訴訟の当事者適格を拡張したり、あるいは、オプト・イン式団体訴訟を採用したりすることを検討すべきである。
  報告を受けて、次のような問題について質疑が行われた。第一に、訴訟提起のインセンティブを促進するために、ECレベルと加盟国レベルとそれぞれについて、具体的にどのような制度を構想しているのか。第二に、ある商品役務の価格が引き上げられたことにより消費者が当該商品役務を購入しなかったという「資源配分に対する効果」を損害と観念できるか。かりに観念できたとして、私人によるエンフォースメントを促進するためにインセンティブを付与するという政策的目的のみでは、私人の一方から他方への財産的利益の移転を正当化するには不十分でないか等である。  
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平成19年度 第2回国際ワークショップ
 カール・E・シュナイダー教授(ミシガン大学)を迎えて

   日時・場所:
     平成20年3月24日(月) 14:00〜17:00/京都大学法経本館3階 小会議室
     平成20年3月26日(水) 14:00〜16:30/京都大学東京連絡事務所 会議室
カール・E・シュナイダー教授 (ミシガン大学)
  Can Consumers Direct Health Care?
  
ヘルスケアにおける自己決定と規制
 第2回国際ワークショップは、ミシガン大学ロースクール教授であるカール・E・シュナイダー教授を迎え、平成20年3月24日は京都、平成20年3月26日は東京において開催した。両日とも、ヘルスケアにおける自己決定と規制という題目のもと、医療のサービス市場における消費者としても患者の選択を推進し医療の質を確保しながら医療コストを抑制するという現在アメリカ合衆国で提唱されている方策を扱った。ここでは、患者が消費者として行動することが期待される医療サービス市場像と、社会にとって望ましい医療の内容と政策を取り上げた。
  医療のコストの上昇をコントロールしつつ、医療の質の向上をはかることはいずこでも重要な課題である。医療コストの上昇をコントロールするためにアメリカ合衆国において試みられたことは、最初に、医療コストの上昇に大きく寄与している要因と見られた高価な機器の導入を制限し、その利用によるコストの増大を抑制することであった。提供する医療サービスを決定する立場にある医師が、新しいテクノロジーを利用することを制約することから、この方法はうまく行かなかった。次に試みられた方策はマネッジド・ケア(managed care)の導入であった。この方法は、患者が選択できる医療サービス提供者と、提供者より受けることができる医療の内容を限定することによって患者の選択を限定し、さらに、提供者に対してコストを低減する動機を与える報酬体系を定め、低価格で良質の医療を提供することであった。患者が受けることができる医療に関する選択を失ったと感じ、また、医師もその仕事の一部を失ったと感じたことから、これもうまく行かなかった。
  医療機器導入の制約でも、マネッジド・ケアでも、医療サービス市場におけるサービス提供者側を通じてコストを抑制するという方策であった。提供者はサービスを提供し、その対価として報酬を受け取り、サービス提供高が大きいと報酬が多く、報酬が多いと収入が多いという構図のなかで、提供者側はサービスを決定していたことから、コスト抑制は、提供者に影響を及ぼし達成されようとした。いずれもうまく行かなかったことから、医療サービス市場における購入者側に影響を及ぼしてコストを抑制しようとする試みが始まった。この試みは、患者を消費者として扱おうとする。
  これは消費者主義の導入である。消費者である患者は、みずから支払おうとする価格でみずからが好むサービスを選択して購入するので、こうしてできる市場では競争が生じ、それによって患者の選択の幅が広がりコストも低減されるという考えである。この考えによると、第一に、消費者である患者はその必要と懐具合にもっとも適した健康保険を選択して購入することが求められる。そこで、健康保険提供者の間に競争が生まれる。第二に、患者は医師や病院など医療サービス提供者を選択することが求められる。ここで、患者は質とコストを考慮して選択することが期待される。第三に、このような患者は検査と治療を購入する。この際に、患者が倹約を旨として選択することが期待される。そこで、患者は費用を相当額まで自己負担することになり、高額医療費は保険により支払われるとして、このような選択の誘因が作り出され、所得課税上の優遇もはかられる。この考えは、市場による価格の規制と質の確保を好む立場にも、患者が医療をコントロールする原理を好む立場にもなじむ。
  この消費者主義によれば、患者が、インフォームド・コンセントにおいてするとされる決定に加え、検査や治療に要する価格を考慮し選択の上、購入するサービスの内容を決定することが期待されることになる。これは、患者が治療を受けるときに、みずからの選好に応じて治療に関して決定するだけでなく、その値段も考慮に入れて受ける治療について選択することを期待する。インフォームド・コンセントが唱えられているようにうまく行っていないことはよく知られたことである。そうすると、この消費者主義に成功の見込みがあると考えられるのか。患者の必要と懐具合に応じた健康保険、提供者および治療に関して十分な選択が可能な状態にあるということを前提にする。提供されているサービス、その質およびその値段が信頼できるところから入手できるのか。
  選択ができるということと、選択をするのに必要とされる情報が存在し、それが利用可能な状態にあることは別のことである。病院の診療報酬はcharge masterとして定められている。ここには現在、45,000以上もの項目が含まれている。このcharge masterを見ることができ、その内容を理解することができたとしても、それを当てはめることが必要である。それから値段を導くには、患っていると考えられる病気が分かって、それに対する治療を予想しなければならない。アメリカ合衆国の現状では、利用する健康保険ごとにまた病院ごとにcharge masterは内容が違う。これが示唆するように、価格は複雑であり、それに関する情報はほとんど存在しない。質に関する情報は価格情報と同様に、信頼でき、利用できるものはないに等しい。
しかし、治療の価格と質に関して必要な情報が役に立つ形で提供されていて、消費者である患者が治療をその価格と質に基づいて購入する決定をするのに利用できるとしよう。患者は、診療を受ける医師と、診断のための検査と治療の内容について会話し、その際にそれぞれの値段について話をする必要がある。医師と患者の間では、医師が会話を支配することはよく知られている。患者は値段の話を持ち出しにくい。医師と患者が値段の話をすることになるとしても、それに割かれる時間には限度がある。
  消費者である患者は、診断のための検査と治療について、医師をはじめとして各種の情報源から情報を得て、そのリスクと利点を理解するだけでなく、その費用も理解することが求められることになる。このような理解には入手した情報を分析する能力が必要とされる。インフォームド・コンセントの実際が示唆するように、患者がこのような能力を備えていることは期待できない。このような患者に能力が備わっているとしても、そのような患者がいつも決定することを欲し、うまく決定するということにならない。普段と違って病気になったときには、普段は決定をしようする者でも決定を避け、また、決定をしようとしてもうまく決定しにくいことが指摘されている。消費者である患者は、このような決定のなかで、さらに、費用のことまで決定に取り入れることが求められる。
 市場は良質の商品やサービスを良い価格で提供できる仕組みである。そこからもっとも裨益するする人たちは、みずからやっていける人であり、最善の取引を求めて交渉することができる人である。患者に消費者として行動するよう求める方針からは、教育を十分に受けられなかった人たち、年齢の高い人たち、そして、病気にかかっている人たちは得るところがほとんどない。
 しかし、医療のように、それが人の生活にとって基本的な資源であり、多くの人々にとって資源であるからには、社会の責任について幅広く考慮しなければならない。市場や情報提供の強制を通じてみずからのヘルスケアのコントロールを個人にもたらそうとすることは道徳上望ましいとしても、それがヘルスケアを支配する原理とされると、市民の間で相互の責任感を発展させることを妨げることになる。それはまた、良き医療と良きヘルスケアの重要な要素を促進することにもならない。インフォームド・コンセントと同様に、患者に消費者として行動するよう求めることは、社会が求めることに応じることにつながらないことになる。
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平成19年度 第1回国際ワークショップ
   日 時:平成20年3月19日(水) 14:00〜18:00
    場 所:京都大学法経本館4階 大会議室
▼第一部:テーマ:「不公正な取引方法に関するEU指令
     ―ドイツ不正競争防止法への転換(国内法化)問題―」
   (Die EU-Richtlinie ueber unlautere Geschaeftspraktiken
    - Probleme der Umsetzung in das deutsche UWG

   ◇報告者:ハンス-ユルゲン・アーレンス氏
          (Prof. Dr. Hans-Juergen Ahrens, オスナブリュック大学教授)
   ◇コメンテーター:川角由和氏(龍谷大学法科大学院教授)
   ◇コーディネーター:山本敬三氏(京都大学大学院法学研究科教授)
   ◇通 訳:中田邦博氏(龍谷大学法科大学院教授)
  ▼第二部:テーマ:「消費者法に関する共同体法の蓄積:
     ヨーロッパ契約法の準備作業とヨーロッパ消費者保護法の見直しとの関係について」
  (Der verbraucherrechtliche Acquis Communautaire:
   Ueber das Verhaeltnis zwischen den Vorarbeiten fuer ein Europaeisches Vertragsrecht
   und der Ueberarbeitung des Europaischen Verbraucherschutzrechts

  ◇報告者:マリー-ローズ・マクガイアー氏
         (Dr. Mary-Rose McGuire, オスナブリュック大学研究員) 
  ◇コメンテーター:松岡久和氏(京都大学大学院法学研究科教授)
   ◇コーディネーター:山本敬三氏(京都大学大学院法学研究科教授)
   ◇通 訳:中田邦博氏(龍谷大学法科大学院教授)
 アーレンス氏の報告は、2005年5月11日のEU指令を国内法に転換する際の2007年6月20日の参事官草案に関する紹介であった。
 2004年現行ドイツ不正競争防止法(UWG)によれば、保護される主体の範囲は、競争事業者、消費者およびその他の市場参加者と規定されている(同法1条1項)。ここでいう消費者概念は、ドイツ民法の消費者概念と同じであり、職業上の目的で契約を締結する自然人も消費者とされている(ドイツ民法13条)。この消費者概念は、後述の指令のそれに対応する概念よりも広い対象を捉えている。また、不正競争防止法上の取引方法は、競争行為という概念を用いており、それがドイツ民法823条以下の一般不法行為と、不正競争防止法という特別不法行為との境界を定めている。この概念によって、不正競争防止法によって保護される者には、市場で不正な行為を行う事業者の競争事業者も含まれることになる。さらに、不正競争防止法は、どのような競争行為が不正となるかを定義していなかった。
 これに対し、2005年EU指令では、一般条項として不公正な取引方法の禁止を定め(EU指令5条1項)、消費者 とは、2条a項の定義によると、職業としてあるいは業として行為しない自然人に限られる。つまり、営業上の購入者は、最初から除外されているが、このことを、アーレンス氏は、法政策的には明らかに誤っていると批判する。次に取引方法については、その2条d号において「事業者またはその代理人が、広告及びマーケティングを含むコマーシャル・コミュニケーションの過程でなす、消費者への製品の販売促進、販売もしくは供給に直接結びつく、あらゆる作為または不作為」と定義し、指令の規定が適用される対象の範囲を確定している。なお、この取引方法は、取引において想定されている平均的な消費者の経済的行動に本質的な影響を与えるものでなければならないとされる。不正に関しては「職業上の注意義務が求めるところに違反すること」と定義している。指令では、不正となりうる重要な場面として、誤認惹起的行為、誤認惹起的な不作為を規定するとともに、攻撃的取引方法についても不正とされる。
 これまでの考え方に拠れば、不正競争防止法は、それが市場参加者の決定環境を不正な影響から保護する限りで、契約締結の時間的段階を捉えることになる。それは、とりわけ、契約準備段階における市場での情報の伝達の場面で規律してきており、その具体例として広告が挙げられる。契約締結および契約の履行は、伝統的な理解によれば、契約の準備段階とは法的に分離されている。契約の履行は、契約の相手方の個別的な契約法上の保護に服しており、競争法上の市場行動規制のもとには置かれないのである。つまり、不正競争防止法は、契約締結以前の契約準備段階を取り扱っているのに対し、指令は、「取引行為の前の、その途中の、またその終了後の」不公正な取引方法に適用されるのである。連邦司法省の見解によれば、こうした判断については、指令に基づいて変更する必要性は何らないものとされている。しかし、これについては、アーレンス氏は、たいへん疑わしいと考えている。学説上でも、契約の締結や履行の際における取引行為を取り込むために、むしろ不正競争防止法の法文を変更し、競争行為の定義を拡張することが求められている。
 続いて、マクガイア氏の報告に移る。
 ヨーロッパ私法の成立過程は、2つの発展によって特徴づけられている。ひとつは、ヨーロッパ共同体による命令、とりわけ消費者保護法の領域における数多くのEU指令である。もう1つは、共通参照枠(GGR)という形態で、あるいは、将来、ヨーロッパ契約法典となるかもしれない形態で、ヨーロッパ一般私法の平準化を達成しようとするものである。
 前者の消費者保護に関しては、70年代中旬以降、ヨーロッパ共同体によって展開されており、それは指令という方法を用いて行われてきた。しかし、多数の指令がヨーロッパ共同体によって出されるようになった結果、消費者保護を目的とする諸指令に、相互の内容的不整合が生じたり、個々の指令の適用領域が部分的に重なってしまう場合が発生した。さらに、各種指令によって、規制の下限を平準化することにつながったことも見逃せない。
 一方、ヨーロッパ一般私法の平準化については、80年代初頭からヨーロッパ私法の統一を目的としてランドー委員会が設立された。同委員会は、ブラックレタールール、すなわち制定法の規定を比較的簡潔に表現した基本的諸原則、解説付きのコンメンタール、および比較法的見地に基づくコメントの3つからなる「ヨーロッパ契約法原則(PECL)」を作成した。このPECLは、経済界および実務界に広く受容されており、当該原則が欧州連合における契約法の平準化にとって有する意義は大きい。しかし、PECLは、現存のアキ〔ヨーロッパ法〕に適応しておらず、また消費者保護法とも全く別のものとして体系立てている。
 そこで、ヨーロッパ委員会は、ヨーロッパ契約法のための報告書およびこれに続くアクションプランを持って、一般契約法を平準化するという理念を取り込み、さらに、上記アクションプランおよびこれに基づく共通参照枠プロジェクトによって、一般契約法と消費者保護法についての問題を全面的に解決しようとした。しかし、その後、委員会は、消費者保護法に関するアキ・コミュノテールの見直しのための2007年グリーン・ペーパーによって、この全体計画から消費者保護法の現代化を取り出し、まずは、この目的をアキ・コミュノテールの現代化作業として追求している。
 質疑応答においては、とりわけ、消費者概念についての認識や消費者保護法とヨーロッパ契約法との位置づけに関する質問に基づいて、活発な議論が行われた。
平成19年度 第2回国際シンポジウム
 「間接保有証券に関する法制度の過去、現在及び将来」

  日時・場所:
   平成20年3月10日(月) 13:30〜17:30/日本銀行本店 新館9階第1会議室
   平成20年3月11日(火) 9:00〜17:30/キャンパスプラザ京都 第1会議室
 我が国では、平成21年1月より、上場会社が株式に発行している株券をすべて廃止し、株式の譲渡及び質入れ(担保権設定)や株主権の管理が証券保管振替機構及び証券会社等の金融機関に開設された口座を使って管理されようとしている。これは、一部の社債及び国債に関して生じている状況である。現在でも、上場会社の株券は約8割が証券保管振替機構において保管されているといわれ、そのような株券に表されている株式は金融機関に開設された口座を使って譲渡され質入れされている。このように証券を現実に引き渡すことなく、金融機関に開設された口座を利用して証券に表される権利を譲渡及び質入れすることは上場会社の株式だけでなく、国債や社債その他の金銭債権のほか各種の権利にも及び、また、このような方法はこの種の権利の譲渡及び質入れに関して世界の各国で観察される共通の傾向である。
 本シンポジウムで取り上げている間接保有証券では、証券という言葉は株式や社債その他の権利のことを指すことばとして使用され、金融機関に開設された口座を利用する方法で譲渡及び質入れがされることを前提にして、権利者が保有している株式や社債その他の権利のことをいうことばである。間接保有とは、権利を証券に係る義務者と権利者の間で、金融機関がそこに開設された口座を利用して、権利の譲渡及び質入れやその管理のために媒介することを言う。この媒介によって、権利を表す証券は現実に引渡す必要がなくなり、発行されても集中して保管され、また、発行されることもなくなる。我が国の現状はこのうち前者であり、平成21年1月より発行済の株券は意義を失わされることになる。世界の諸国において、このような金融機関の媒介を利用するために株券など証券の扱いは、個々の国における経緯の違いが現れている。さらに、金融機関に開設された口座によって譲渡や質入れができるとするために用いられる法も諸国において異なり、それにも各国の経緯の違いが反映している。
 しかし、株式や社債その他の権利に投資する者は、国境とは無関係に、それが望ましいと判断したポートフォリオを実現するためこのような権利を売買し、保有している権利を担保として提供するために質入れする。このような投資者がクロスボーダー取引をする場合、同じく金融機関に開設された口座を使って譲渡及び質入れをするとき、それに適用される法は国を単位に異なることになる。国々の間で、取引に適用される法を決定するルールも、取引に適用されるルールもなるべく一律であるよう希望されることになる。そのような希望に応じるように二つのプロジェクトが企画されてきた。その一は、ハーグ国際私法会議における作業の産物であり、適用される法を決定するルールを扱う条約の提案である。もう一つは、ユニドロワ(UNIDROIT)における作業の産物であり、取引に適用されるルールを扱う条約が提案されようとしている。本シンポジウムはこれらのプロジェクトを我が国の法制の評価の手がかりを得ることも狙って扱った。
 本シンポジウムの第一部では、ペンシルヴェニア大学ロースクール教授のCharles W. Mooneyが、ユニドロワにおける作業について報告した。Mooneyは、アメリカ合衆国を代表してユニドロワにおける作業に加わり、草案起草に深く関わっている。アメリカ合衆国で株式や社債その他の権利を金融機関に開設された口座を使って譲渡及び質入れする法制の整備にも関与した経験から、Mooneyは、ユニドロワにおける作業の経緯、主要な内容の諸国の間の意見の相違点及び今後の課題を紹介した。第二部では、東京大学大学院法学政治学研究科教授の神田秀樹が、ハーグ国際私法会議における作業からできあがった法適用に関する条約を中心に、ユニドロワにおける作業と日本の対応について報告した。神田は、日本国を代表してハーグ国際私法会議における作業にもユニドロワにおける作業にも加わってきた。社債、株式等の振替に関する法律の立案やハーグ国際私法会議の提案した条約に関する法制審議会部会における審議にも関与した経験から、神田は、我が国における扱いをユニドロワの作業の枠の中で説明しつつ、ハーグ国際私法会議の提案した条約が我が国にとって持つ意味合いについて報告した。
 本シンポジウムには、ユニドロワにおける作業を現在ヨーロッパ委員会で担当しているPhilipp Paechが出席した。彼は以前ユニドロワにおいてこの作業の担当者であった経験もあり、金融機関に開設された口座を使って譲渡及び質入れする法制の整備に関してEU加盟国が直面している課題を論じた。また、スイス連邦を代表してユニドロワにおける作業に加わっているジュネーブ大学法学部教授のLuc Thevenozも出席し、スイスを中心とするヨーロッパの状況とユニドロワにおける作業の課題を論じた。
 本シンポジウムには、中華人民共和国において間接保有証券を扱う中国証券登記結算有限責任公司の法務部で法制整備を担当する牛文?が出席した。牛は、中華人民共和国が、間接保有証券についてすべての投資者の口座が中国証券登記結算有限責任公司に開設され、投資者の取引の結果がその取引を実行した証券会社によってこのような口座に記録されるという制度を採用していることを紹介した。そして、牛は、この仕組みを前提として法制整備をするに当たって、ユニドロワにおける作業が有益である点、それが中華人民共和国で採用されている制度の中で用いにくい点や調和させ難い点を個別に論じた。
 なお、本シンポジウムに先立ち、平成20年3月10日午後1時30分から午後5時30分まで、日本銀行本店において、日本銀行金融研究所と共同で同名の集会を国際ワークショップとして開催した。ここでは、Mooney報告につき、Thevenoz、牛、Paechがコメントを提供し、ユニドロワにおける作業内容について意見を表明した。神田報告について、木南敦(京都大学大学院法学研究科、研究分担者)、森下国彦(アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー、弁護士)、西向一浩(証券保管振替機構)、浜野隆(日本銀行)がコメントを提供し、我が国の状況について意見を表明した。
 冒頭で述べたとおり、我が国では、すでに、社債及び国債について金融機関に開設された口座を使って取引されている。来年1月からは上場会社の株式はそのようにしてのみ取引されるようになる。個人の投資者にとっても、株式等に投資しようとすれば、この環境で取引するほかないことになる。ここで生じることが予想される各種のリスクが周知され、それを最小限に食い止め、食い止められないリスクについてそれを適切に分散する方策をとることが、投資を促進するほか、この仕組みから生じる便益を高めるためにも欠かすことができないことであろう。
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平成19年度 第1回国際シンポジウム 「カナダ・日本・韓国の市民社会と社会政策を考える」
   
日 時:平成20年2月19日(火) 9:00〜17:30
■シンポジウム全体の概要
 小泉構造改革は既得権益や規制ネットワークを打破し、市場メカニズムを最大限活用しようとするものであった。いわゆる「55年体制」下における利益誘導や仕切られた競争、護送船団方式などといわれる調整システムは、その手続き的不透明性・不公正を批判されてきたが、それがまた西欧先進諸国の福祉国家とは異なる、わが国特有の社会的保護・救済システムを提供してきたことも事実である。しかしながら、グローバル化のなかでそのようなシステムを維持することは、わが国政治経済にとって桎梏となるとの認識・危機感が強まり、それが構造改革を推進する大きな力となったといってよい。
 構造改革のこうした歴史的意味と意義は正しく評価されねばならないが、他方市場のみによって社会統合の調達が不可能であることも事実である。ロック流所有自由主義をバックボーンとするアメリカ合州国のような市場モデルは、他国において見られないものであるし、また今日アメリカ社会が深刻な社会統合の危機に直面し、社会資本やコミュニティの再建が活発に論じられていることは周知の事実である。
 カナダはアメリカと同様自由主義の国と見なされることが多く、それは概論としては間違っていないが、加米には無視できない違いがある。たとえば、アメリカがいまだに全国民をカバーする公的医療保障を持たないのに対して、カナダでは全国民をカバーする普遍主義的な医療保険が確立されて40年近く経つ。また年金においても、貧困者への補足年金が存在し、これがカナダ社会の二極化を和らげているといわれる。カナダにおいては、社会政策は国家・社会統合両面において重要であった。世界で最も分権的といわれる連邦制システムをもつカナダでは、連邦政府の支出権に支えられた社会政策が各州の分離傾向を抑制し、求心力を高める不可欠の手段となった。またカナダは、アメリカ同様移民国家であるが、アメリカ以上に少数民族の独自性や権利保護に熱心であり、多文化主義が揺るぎない原則として確立している。
 スウェーデンのような社会民主主義原則を確立することが難しく、アメリカのような反政府的個人主義・自由主義原則に拠って立つこともできないわが国が、カナダの社会保障モデルに学ぶべきところは少なくない。またわが国がカナダのような多文化主義社会になることは想像し難いにしろ、グローバル化、さらには高齢化のなかで、マクロ経済パフォーマンスを維持しようとするならば、避けられないアジア諸国からの大量移民労働力の受け入れを考えるとき、その移民統合政策は、大きな教訓となるはずである。
 オンタリオ州はカナダ最大の州であり、かつ民族的文化的多様性を示す国際都市トロントを抱えるが、Vasanthi Srinivasan報告は、同州における移民・ジェンダー・社会政策、各々への取り組みを、具体的に紹介し、社会主義政策が多文化主義、ジェンダー平等実現にどのような役割を果たしているかを検討している。これら三つの関係は、単純ではない。たとえば、社会政策によって少数民族の価値観の尊重を実現したとしても、それが結果としてその民族内部におけるジェンダー的抑圧を保護してしまう結果になることもありえる。こうした緊張関係を踏まえ、取り組みが遅れているジェンダー平等実現のために社会政策が果たすべき、果たしうる役割に関する研究の必要性が指摘された。またKeith Banting報告は、カナダにおける帰属感の問題を取り上げ、多文化主義が社会的絆、社会資本を弱めるとする通説を退け、むしろ少数民族においてカナダへの帰属感が強い場合も見られ、複数集団への帰属が直線的ではないにしろ、螺旋的にカナダへの帰属感を高める可能性を示唆した。
 他方韓国をみれば、通貨危機に対するIMF勧告の受け入れとその後の急速な自由主義化は、日本の構造改革の比ではない。また出生率の急激な低下により、今世紀中葉にはわが国と同じレベルの高齢化率に達すると考えられる。このように韓国は日本と同じような問題を抱えるが、問題がより深刻かつ急速に進行した/しているため、対応が日本よりも迅速かつ包括的に行われている。またアジア経済発展のなかで、両国の経済的相互浸透ガ今後一層進むであろうことを考えれば、韓国の経験は、わが国のポスト構造改革の秩序形成を考える上でも、大いに示唆に富むものといえる。
 Eunyoung Choi報告は、過去5年間の間に、女性を保護すべき(したがって男性とは対等ではない)か弱い存在とみなす男性稼得者モデルからの政策的離脱が見られ、ジェンダーの平等を基本とする女性労働市場参画政策および子育て支援策が展開されてきたことを紹介し、しかしながら社会的にはジェンダー平等の考えがなお十分に受け入れられているとはいえない現状、さらには近年増加傾向にある外国人労働者や移民の中での女性の低い地位という新たな問題が浮上していることを指摘した。Dong-Hoon Seol報告は、ソウルオリンピックが開催された1988年を大きな転換点として韓国では移民労働力が増加するようになり、1990年代には国際結婚の急増によって、韓国が他民族化、多文化社会化していると指摘し、移民およびその家族の社会的包摂が大きな課題として浮上してきている現状を、個別事例を盛り込みながら説明した。
 落合報告は、長年にわたる東アジアの家族像の変容に関する共同研究に基づくものであり、西欧におけるPre-modernityModernity、High Modernityという三段階が、アジアでは2段階に圧縮されていると指摘し(日本は短期のModernityを持つ)、そのような歴史的パースペクティヴから東アジアの人口構成、女性労働力化、ケア問題の特徴を明らかにし、今後必要となる社会政策の方向性を示唆した。新川報告は、日本が生産年齢人口を維持していくために、今後移民労働力を受けいれていくと仮定した場合に、どのような移民政策が必要となるかを、いわゆる在日朝鮮・韓国人の市民権問題を事例に検討し、国籍=市民権という狭隘な理解が実は戦後平和国家日本を支えた同質性神話の裏面であり、排除の論理となっていることを指摘し、これを超えるために多層的市民権概念が求められるとした。 
*     *
   なお本シンポジウムはカナダ大使館の協賛を得て行われた。その経緯を、最後に簡単に紹介しておきたい。日韓加の社会政策比較研究の構想は、2007年3月カナダ大使館参事官(広報部長)のChristine Nakamura、トロント大学Ito Peng教授の呼びかけに応じて、韓国ソウル大学のSoonman Kwon教授、国立社会保障人口問題研究所の金子能宏氏、そして新川などが参集した準備会議の場で提起され、2008年2月に東京で第一回国際シンポジウムを開催することが決定された。その背景を辿れば、1999年カナダのクレティエン首相が訪日の折、小渕首相との間に両国の社会政策上の協力を謳ったコミュニケが作成され、それに沿って両国での実務家や研究者が集う会議が開催されてきたことがある。またこの間、加韓の二国間会議も立ち上がり、今回これら二つの流れが合流し、三カ国共同研究体制が生まれたわけである。
 東京会議を準備する段階で、その趣旨が本学術創成研究のテーマと重なるところが大きいことから、新川個人ではなく、創成研究として組織的にこの会議を支援し、さらに京都でのシンポジウムを開催することが決定された。したがって、2008年2月16日にカナダ大使館において開催された「多様化する高齢社会にける医療、仕事と家庭の両立および所得再分配のあり方」は、カナダ大使館・京都大学大学院法学研究科・国立社会保障人口問題研究所の共催であり、本シンポジウムではカナダ大使館が協賛団体として、人的物的な援助を提供してくれた。カナダ大使館の支援がなければ、本シンポジウムは成功しなかったであろう。記して、深謝したい。
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■個々の報告等の内容
 ▼題 目:カナダにおける社会政策、ジェンダー、多文化主義の現況とオンタリオの立場
   報 告:Vasanthi Srinivasan氏(カナダ・オンタリオ州保健省保健制度計画・調査室長)
   コメント:Hyekyung Lee氏(韓国・延世大学教授)
 本セッションにおいてVasanthi Srinivasan氏は、自身の政策立案者としての立場からカナダ・オンタリオ州における社会政策・ジェンダー・多文化主義の現況について、報告を行なった。
 まず、多文化主義やジェンダーをめぐる背景の説明がなされた。カナダにおいては、多文化主義政策の下で、カナダ多文化主義法の制定(1988年)をはじめ、理念的にはあらゆる出自の個人・共同体のカナダ社会への参加の促進が定められた。その一方で多文化主義法が掲げる理念と社会の実態の間には、いまだに隔たりが存在している。また現在ではヨーロッパにおいて多文化主義が焦点となりつつあるが、カナダでは限定的なものに止まっている。
 ジェンダーの面では、ジェンダー本位の分析(Gender-Based Analysis;GBA)が政府により実施される全ての政策・立法・サービスにジェンダー要因を考慮させるのに貢献している。GBAは、連邦政府機関である「カナダ女性の地位(Status of Women Canada)」が開発した分析ツールであり、女性の社会的・経済的参加の促進のための政策・プログラム実施に必要なデータを整備し、ジェンダーの衡平性(equity)を確保せんとしている。オンタリオ州では、州政府や利害関係者に対する建議や女性保健の地位改善などの権限を有する、女性保健評議会が設置されている。この機関は社会政策の展開に際して、ジェンダー問題との統合を図るのに重要な役割を果たしている。
 多文化主義やジェンダーのような概念を政策に取り込むためには、ヴィジョンや政策ツール、立法の面でのリーダシップが不可欠である。そして、このような問題に関する議論は、社会的・経済的・政治的観点とは異なる、さまざまな要因に応じて展開していくことが予想される。また、オンタリオ州のように多文化主義が現実性を有しており、ジェンダーの差異が持続している地域において社会政策を実施するためには、その根拠となる実体的なデータや調査の透明性・説明責任がさらに必要となる。すべての政策影響は、あらかじめ定められた指標や体系化されたパフォーマンス報告によって計測する必要がある。現在においても計測方法の発展は進行しており、連邦レヴェル、州レヴェルにおいて、さまざまな部門での政策パフォーマンスの報告が義務化されている。
 この報告に対して、討論者および出席者から、他の先進国と比較したカナダの生活水準(Quality of Life)の高さ、連邦国家としてのカナダにおける連邦と州関係がカナダの福祉国家にどのような影響を与えるのか、ジェンダーイシューの争点化とデータ整備の必要性などが指摘された。
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▼題 目:韓国のジェンダーと社会政策
   報 告:Eunyoung Choi 氏(韓同・清州国立大学児童福祉学部教授)
   コメント:Ito Peng 氏(カナダ・トロント大学社会学部教授)
本セッションでは、韓国の盧武鉉政権における女性政策の背景、成果、今後の課題に関する報告と討議が行われた。
 まず、盧武鉉政権における女性政策の背景に関して述べよう。背景として、人的資本への投資を軽視してきた発展国から脱して社会福祉への投資が要請された点があげられる。こうした背景で、盧武鉉政権は国政課題12項目の中で女性平等という問題を掲げたのである。
 次に、盧武鉉政権における女性政策の成果に関して述べよう。女性政策は、学界と女性家族部という行政機関が中心になって推進されたが、女性と男性の平等的な子育てと家事に関する正当な評価が主な問題であった。これとともに共稼ぎが増えつつある状況の中で、社会的に子育てをいかに支援するかという問題も重要な問題であった。女性家族部は、このような問題を認識しつつ、女性の就労活動を支援する政策と、職場での差別を防ぐ法律を立案したのである。また、子供は必ずしも父親の名字を使わなければならないように規定した法律(韓国では、結婚しても女性の名字はそのまま使うので、父親と母親の名字が異なる)も改正された。それによって、離婚した女性と子供の権利が保護されると言われている。このような過程の中で、女性団体が大きな役割を果たしていた。
 最後に、盧武鉉政権における女性政策の今後の課題に関して述べよう。上記で言及した女性政策に関する進歩にも関わらず、依然課題は残っている。まず、女性家族部は、母親の権利を進めたとはいえ、父親と平等な職人としての母親の権利までは至っていない。また、女性問題に関する地方政府と中央政府との緊密な関係が見られていない。しかも、女性権利の拡大に関する否定的な世論をいかに変えるかという問題も残っている。
 このような報告に対して多様なコメントと質疑があった。カナダの観点からは、社会投資(social investment)の手段としてジェンダー問題が挙げられている点、ジェンダー問題をめぐる地方と中央政府の関係、女性団体がジェンダー政策に大きな影響を与えている点、金大中政権と盧武鉉政権が経済政策と社会政策を連結し、ジェンダー問題に取り組んだ点が興味深いというコメントがあった。金大中政権と盧武鉉政権において、新自由主義政策と福祉政策が同時に追求されているが、これをいかに解釈すればいいかという問題が争点になった。
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▼題 目:「日本のジェンダーと社会政策」
   報 告:落合 恵美子氏 (京都大学大学院文学研究科教授)
   コメント:Susan A. McDaniel氏 (米国ユタ大学公共‐国際関係研究所及高齢化問題センター教授)
本報告は日本と東アジア5ヵ国(中国、タイ、シンガポール、台湾、韓国)との比較を通して、特に育児に関する日本の社会政策の含意を問うというものである。
 「近代化」の過程において、西欧社会と日本は「専業主婦化housewifization」と呼ばれるジェンダー役割の変化を経験した。それは公領域と私領域の分割、すなわち公領域で労働する一家の稼ぎ手としての男性と、私領域で家事と育児に専念する主婦としての女性の分割である。このことは女性の労働市場からの追い出しを意味する。しかし近代化がさらに進むと、女性が外で働く、いわゆる「女性の社会進出」という現象が1970年代以降起こり始めた。これを再び女性のジェンダー役割の変化という意味で、「脱‐専業主婦化de-housewifization」と呼ぶ。この現象に伴って先進諸国では、法律婚の減少、離婚の増加、婚外子の増加など、近代において規範とされてきた「近代家族」が揺らぎ始め、先進諸国の合計特殊出生率は低下し始めた。こうした状況に危機感を覚えた各政府は、働く女性に適応するような、つまり子どもの両親以外による育児の社会的ネットワークの充実をもたらすような社会政策を打ち出すようになった。こうした社会政策の結果、これらの諸国では出生率が再び上昇し始めた。
 しかし、西欧社会とほぼ同じ時期に近代化を果たした日本ではこのような「脱‐専業主婦化」は進行せず、ジェンダー役割はほとんど変化しないままであった。それは女性の年齢別就業率を表すグラフにおいて、女性は出産したら仕事をやめ育児を終える頃再び働き出すという「М字型曲線」と呼ばれる形態を2000年でも示していることから明らかである。その一方で日本の出生率は低下し続けており、さらに日本の特徴として「育児不安」を挙げる女性が多い。こうした日本の特徴はどこから来るのか? 社会政策の影響なのか、それとも欧米とは違うアジアという地域に関連する特色なのか? こうした観点から、日本と欧米諸国との比較ではなく、日本と東アジア諸国5ヵ国との比較を通して、「近代化」と家族とジェンダーについて考察した。
 まず、6ヵ国のアジア諸国の住民調査から、女性の就業率については3種類あり、タイプ@が中国とタイで逆U字型、タイプAがシンガポールと台湾で右肩下がり、タイプBが韓国と日本でМ字型であることが分かった。タイプ@とAの国では女性は子どもを産んでも働き続けるが、タイプBの国では女性は出産したら仕事をやめる傾向が強いということである。この違いはどこから来るのか? 調査の結果、中国系の社会(中国、シンガポール、台湾)では親族(父母以外の親族、祖父母など)のネットワークが強く、育児に非常に協力的であり、また保育園などの施設が果たす役割が大きいのは女性労働力活用政策をとる中国とシンガポールであり、家事労働者(ベビーシッターなど)の役割が大きいのは外国人家事労働者導入の政策をとるシンガポールであった。そしてタイプBの韓国と日本では育児の負担が主に母親のみにかかり、その他の社会的ネットワークが貧困である。こうした社会的ネットワークの貧困さが、育児は母親の役目であるというジェンダー役割の固定化を招き、主婦にのみ重い負担がかかり、その結果、女性は育児不安を抱き出産を忌避する、つまり出生率が低下するという現象が起こることとなったといえる。つまり、社会政策が個人に与える影響は大きいということであり、日本や韓国において社会政策の充実が待たれるという結論であった。
 本報告に対して、育児の担い手は誰かといった状況は「文化」であると説明されることが多いが、文化は決して伝統ではなく、個人の行動を社会政策が規定している場合が多いということを明確に示した本報告は非常に興味深い視点であるとのコメントがあった。また、日本は本当に最悪のケースなのかという指摘も行われた。
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▼題 目:帰属:カナダにおける多文化主義と社会統合
    報 告:Keith Banting氏 (カナダ・クイーンズ大学教授)
社会統合は保たれているのか?多民族化が進展する先進諸国において、社会統合を巡る課題は大きな問題となってきた。その一方で、カナダでは、移民による多民族化と社会統合を巡る問題は、これまでそれほど大きな課題とは考えられてこなかった。移民および多文化主義政策は、国民のコンセンサスを得ており、政治的な論争に繋がる事もなかった。
 しかし、この状況には近年変化の兆しが見られる。最近の移民集団は、社会統合にあたり、より困難な状況に直面しているとの指摘がなされる。カナダ人もまた、社会統合に関して困難な状況を迎えねばならないのだろうか?本研究はこの問いに答える事を目指している。本研究では、二つのサーベイ調査の結果から、社会の多様化と統合という二つの側面に焦点を当てた分析を行う。社会の多様化は、カナダにおいても社会統合に影響を与えているのだろうか?
まず、社会の多様化を測る指標として、民族を採用する。ここでは、カナダ人を8つのカテゴリーに区分し、英語系カナダ人/西ヨーロッパ出身/ケベック外のフランス語系カナダ人のグループと対照する事により、分析を行う。次に、社会統合を測る指標としては、6つの指標を採用する。最初の二つは、国民意識に関するもので、国に対する誇り、帰属意識からなる。次の二つは、社会的価値観と態度に関するもので、個人間の信頼と社会的価値観に関する変数である。最後の二つは、社会および政治参加の度合いに関するもので、社会ネットワークと投票からなる。
 本研究の分析では、民族集団ごとにこれらの社会統合に関する指標を比較している。結果として、第一に、ケベック州のフランス語系は、カナダに対する誇りの点で、大きくマイナスの意識を持っている。また、年齢などをコントロールしない場合には、新しくカナダ社会に加わった東アジア系およびカリブ海諸国・アフリカ諸国出身者は、カナダに対する誇りの点でネガティブな意識を示す。カナダに対する帰属意識を見るとこの傾向はより顕著である。ケベックのフランス語系、東アジア系およびカリブ・アフリカ系は、カナダに対する帰属意識が弱い。次に、社会的価値観に関しては、同性婚に対して、ケベックのフランス語系がややプラスの意識を示している。最後に、社会ネットワーク帰属に関しては、有意な差は見られないものの、投票については、東アジア系、カリブ・アフリカ系で投票率が低い。しかし、この結果は、これらの地域からの移民の年齢が低い事に起因し、年齢をコントロールするとこの傾向は見られなくなる。
 以上のように、旧移民と新移民との間で、社会統合を巡る意識の差が見られることが示された。また、移民集団内部でも、世代間で意識の差があることが示唆された。その上で、報告者からは、今後の社会統合を維持するためには、市民社会と政治参加および共通の文化意識の構築が重要であるという提起がなされた。
 以上の報告の後、討論者および出席者からいくつかのコメントおよび質問が行われた。まず、投票率は現在の体制に対する賛否両方向の姿勢を示す可能性があるのではないかという質問があり、これに対しては民族としての政治代表を出そうという意識を測るものなので、問題はないとの回答がなされた。次に、自発的な移民かどうかという事が社会統合に影響を与えるのではないかとの問いがなされ、これについては今後の課題であるとの回答がなされた。また、R・パットナムの研究(社会資本に関する研究)との関係について、カナダには十分適合しないのではないかとのコメントがなされた。この他にも、分析で利用されたデータソースに関する質問や移民の世代間の意識の差に関する質問などが出された。
 以上のように、報告者、討論者、出席者によって、活発な質疑応答が行われ、非常に実りある報告となった。
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▼題 目:「韓国の移民政策と市民権」
   報 告: Dong-Hoon Seol氏(韓国全北国立大学教授)
 本報告では、韓国における移民の増加とそれに対する韓国政府の政策的対応が論じられた。1980年代までは、韓国から海外への移民はあっても、海外から韓国への移民は稀であった。ところが、1980年代後半以降、ソウルオリンピックや韓国の賃金の上昇を契機として、韓国での労働や、韓国人男性との結婚を目的とした外国人女性の移民が増加している。このような労働や結婚を目的とした移民の増加は、韓国社会の民族的同質的に新たな展開と課題を与えている。移民は、異なる民族的背景、宗教的特徴、人種的背景を韓国にもたらす。それゆえ、今や韓国社会が同質的であるというのは神話であるとされる。すなわち、日本と同じく、今や韓国も、ヨーロッパのような多民族社会へ仲間入りしているのである。ただし、ヨーロッパと韓国の社会の間の違いも存在する。ヨーロッパでは移民は定住するのに対し、韓国での移民は短期滞在である。
 韓国への移民について、具体的には、外国人労働者と国際結婚について紹介された。まず、外国人労働者に関しては、韓国と第三世界諸国との間の所得格差が広がったことなどを要因として、急激に増加している。しかし、外国人労働者への劣悪な労働環境が指摘される。一方、国際結婚について、韓国の結婚に占める国際結婚の比率は2005年13.6%、2006年は11.9%と急激な伸びを見せている。多くはブローカにより、ベトナムやフィリピンの女性と韓国人男性が引き合わせられる。しかしながら、外国人女性は結婚前に知らされた情報と異なる、夫婦が低い所得水準になるなどの問題も指摘される。このような状況で、外国人労働者や、外国人妻の保護が重要な問題であり、政府も様々な保護政策を作っていることが報告された。
 討論者や参加者からは、韓国への移民の多さに驚きが寄せられ、韓国が同質的であるというのは今や神話であるというのは興味深いというコメントが出された。一方で、データの質の問題や、離婚率などのより踏み込んだ分析の重要性が指摘された。あらに、こうした移民の増加が韓国の多文化主義にどのような影響を与えているのかなどの質問も提示された。
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▼題 目:「グローバリゼーション、高齢化、多文化主義:日本の場合」
   報 告:新川 敏光氏 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
   コメント:Ito Peng氏 (カナダ・トロント大学教授)
本報告は、単一民族国家という神話が支配的な日本において、どのように多文化主義をとりうるか、そのためにはどのような社会的、制度的環境を整えなければならないかという問題に焦点が当てられた。急速な高齢化を迎え、さらにグローバル化が進む中、現在の経済規模を日本が維持するためには、労働力の確保が必要であり、そのためには移民を受け入れなければならないという現実を前にして、この問題は重要かつ緊急な課題となっている。一方で、日本国は単一民族であるという神話が、多文化主義的な政策を導入することへの大きな障害となっている。この均質な国民というイデオロギーは、歴史的なものではなく戦後になって国民一般に浸透したものであるにも関わらず、それは日本の経済成長を支え、日本国の統合に本質的な役割を果たしてきた。この神話の根深さを示す最も象徴的な例として在日韓国朝鮮人の問題が取り上げられ、彼らに与えられた市民権の不十分さについて時系列的に制度的な事実に即して概観された。彼らに漸次認められていった権利も、人権に対する国際世論の高まりや韓国との外交問題との兼ね合いの中で認められたものであり、日本政府の自発的なものであったとは言い難い。
 移民を受け入れざるを得ない状況と移民を拒絶する国民性という矛盾した事実を前にして、日本が移民政策を実施するためには、多文化主義を何らかの形で推し進めることが不可欠である。まず、公的に必要なことは、国民の均質性に固執せず、日本人と非日本人の厳格な二分法を緩めることである。つまり、永住権やデニズンシップといった、国籍とは異なる、市民というレベルで、多層的な構造を制度化することが提唱される。例えば、永住者などには地方参政権も認められるべきであろうし、税金を納める限り、社会的な権利も認められるべきである。公的な制度によって、移民労働者の補助、保護を充実させることも、外国人労働者に対する不当な待遇を避けるために必要なことである。一方で、多文化主義を草の根的に支える教育活動もさらに活発に実施されなければならない。
 報告後の議論では、国民の均質性という神話がグローバルな人材活用による経済の活性化を妨げていることに加えて、外国人に対する日本人の過剰で漠然とした不安や不信を助長する原因ともなっているという指摘がなされた。また、多文化主義は、アカデミックな世界では有効な言説として広がりをみせている一方で、その言説が社会的に浸透し、政策に反映されてはおらず、即座に抜本的な改革を期待することは難しいとの認識が確認された。これに関連して、そもそも社会の多様性に対する好意的反応がありえるのかという疑問が提示された。一方で、日本カナダ間で年金互助条約が締結されるなど、グローバリゼーションへの対応が徐々に進みつつある現状や東京が世界でも有数のグローバルで国際的な都市になりつつあるのではないかとの指摘もなされた。
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