記 録 : エンフォースメント部会研究会 〔部会研究会一覧
        
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平成23年度 第7回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成24年3月4日(金)〜5日(土) 14:00〜18:00、9:30〜12:00
   場 所:国際高等研究所 会議応接室
中村 直美氏(熊本大学名誉教授)
「自律の支援と侵害の狭間―医療におけるパターナリズム管見―」
総括討論
 国際高等研究所研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との共催で、わが国のパターナリズム研究の代表者である中村直美教授をお迎えし、研究会を開催した。
 中村教授は、もっぱら非難の対象とされていたパターナリズムについて、それを事実的なタームで定式化することでパターナリズムについての客観的な議論を可能にしようとし、さらに定式化とは区別される正当化の問題については、被干渉者の自律を支援(実現・補完)するパターナリズムは正当化可能であると説き、自律を侵害するか支援するかによって正当なパターナリズムと正当でないパターナリズムは区別できると主張した。その際、ここでいわれる「自律」とは、「中核的自己」――自分らしい自分――が外的要因(自分の外にある力)の支配・統制を免れつつ、かつ「周辺的自己」――自分らしくない自分――をも支配・統制することと理解され、またここで「自律の実現・補完」といわれるのは、抽象的・普遍的に捉えられた理性的個人の自律ではなく、まさに個々別々の具体的な個人の自律を指すと説明された。
 他方、中村教授は、医療におけるパターナリズムにおいて、自己決定(権)思想の行き過ぎ・肥大化への批判・反発、見過ごされた視点の指摘などがなされていることをふまえ、そこに、@個の主張とともに求められる関係性・共同性への配慮、A抽象的な個人から具体的な個人、強い個人から弱い個人への視点の移動、B価値多元主義の中での合理性(事実的な合理性ではない)、C真の意味での個の尊重、D人と人との相互依存性(interdependency)、E正義の思想に対するケアの思想、などを見出すことができると説いた。その上で、中村教授は、自分自身はリベラリズムの立場に立つことを確認した上で、個の解体への回帰、人と人との関係性の回復、行き過ぎた合理主義・普遍主義の是正などの文脈にパターナリズムを位置付けることができると主張した。
 報告の後、中核的自己とは何かという点や、パターナリズムの根拠となる合理性やパターナリズムの射程をめぐる問題を中心に、活発な意見交換が行われた。
 また、本研究会では、高等研プロジェクトとの合同で行ってきた3年間にわたる計7回の研究会を振り返り、専門職倫理の在り方と意義、専門領域固有の倫理規範の形成、法と倫理の関係といった観点から問題点を整理し、総括的な意見交換と課題の確認を行った。
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平成23年度 第6回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成24年2月23日(木)〜24日(金) 13:30〜18:00、10:00〜12:00
   場 所:キャンパスプラザ京都2階第3会議室
佐藤 彰一(法政大学法科大学院教授)
菊本 圭一(NPO法人埼玉県障害者相談支援専門員協会代表)
「障害者の成年後見利用の現状と課題」に関する調査報告
上山 泰(筑波大学大学院教授)
「任意後見契約と自己決定支援の概念上の関係性について」
佐久間 毅(京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
「私法上の行為の支援」
名川 勝(筑波大学人間総合科学研究科講師)
「Capacity Toolkitに関する簡単なまとめとコメント」
菅 富美枝(法政大学経済学部准教授)
「『自己決定支援(supported decision making)』を保障するイギリスの成年後見制度」
池田惠利子(東京都福祉保健財団 高齢者権利擁護支援センター アドバイザー(前センター長))
「自己決定の尊重と公的介入の必要――高齢者虐待の現場から考える――」
 国際高等研究所研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との共催で、研究会を開催した。
 成年後見制度利用の現状および課題について、佐藤彰一教授から、成年後見制度や日常生活自立支援事業の活用状況に関する小樽市・横浜市等での調査結果が、また菊本圭一氏から、成年後見利用支援事業に関する仙台市でのインタビュー調査の結果が、各々報告された。その上で、自己決定支援に関する理論的考察と、成年後見制度の利用をめぐる制度上・実践上の問題点についての検討を行った。
 上山泰教授は、任意後見契約と自己決定支援の概念上の関係を検討した。リビング・ウィルや任意後見の法制化が進むEU諸国では、それらが自己決定の尊重に親和的と理解される。わが国でも、自己決定の保障を理由に任意後見契約による保護が優先される。しかし、本人の客観的保護により法定後見の優先を説く主張もあり、任意後見契約の締結能力につき解釈論上の問題も指摘される。また制度上の問題として、事前的自己決定の拘束力の限界や、自己決定支援と事前的自己決定との抵触が議論となりうる。上山教授は、任意後見制度・事前指示書等が自己決定の尊重に最も整合的であるとする一般的理解の批判的検討が必要であるとした上で、法定後見の枠内での自己決定の尊重の可能性を追求する一方、本人の理念型(認知症高齢者と知的・精神障がい者)の再整理が必要であると説いた。
 佐久間毅教授は、主に高齢者の財産保護に念頭に置いて私法上の行為の支援の在り方に考察を加え、日常生活に関する行為のように成年後見制度の利用が適切とはいえない部分について、法定後見開始後も任意代理権を継続的に認めることの意義を説いた。そのためには、代理人に関しては、選任時の本人の意思能力確認方法の確立、本人の能力変化に左右されない代理権の存続、適切な選任監督の確保が必要であるとし、また、財産保全に関しては、代理人による本人財産の管理を限定するため、信託の利用を例として挙げた上で、代理人が受託者を兼ねるのを禁止し、本人が受益者とすることが必要であると指摘した。
 名川勝講師は、オーストラリアNew South Wales州法務省発行の意思決定能力判断のための手引書であるCapacity Toolkit(2006)について、これをイギリス意思能力法と基本的に同じ思想に立つものと捉えた上で、そこで展開される基本原則、意思決定能力判断の手順、決定の支援の在り方などを整理・紹介した。その上で、このToolkitが日本の福祉現場で具体的に適用することが可能か、日本では「支援された意思決定」に代行決定が混用される懸念はないか、といった疑問点が提示された。 名川報告に関連して、菅富美枝准教授からイギリスにおける判断能力不十分者をめぐる代行決定制度について紹介がなされ、日本の成年後見概念とイギリスにおけるそれとの違い、特に、自己決定支援を優先させる成年後見制度のあり方について、各国による制度枠組みの相違などが議論された。また、イギリスでは、本人の意思であれば客観的に不合理と思われるものでも最終的に尊重すべきであると考えられており、そのために、本人が意思を真に自ら形成したと言えるための支援が重視されていることが紹介された。
 池田惠利子氏は、認知症高齢者を念頭に置いて、本人の自己決定の尊重と、虐待等の危機介入時における公的介入の必要性の両面から、成年後見制度に期待される役割につき検討した。人は認知機能・判断力が低下すると、権利行使ができず権利侵害を受けやすい一方、他者の支援を拒否しやすく危機的状況でもSOSを出しにくい。池田氏は、高齢者虐待防止法が虐待対応では本人意思を尊重し、成年後見制度の利用を規定することをもふまえ、本人に適切にかかわるキーパーソンが不在の場合は、高齢者のとくに身上監護に関し本人の価値観・幸福感を実現する支援・保護を行う上で成年後見制度が重要であると主張した。

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平成23年度 第5回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成24年1月27日(金) 11:00〜16:50
   場 所:国際高等研究所 セミナー1
高山 佳奈子 氏(京都大学大学院法学研究科教授)
「ドーピングの刑法的規制」
小久見 祥恵 氏(日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院法学研究科))
「フェミニズム法理論における平等概念をめぐる議論の展開について」
平野 仁彦 氏(立命館大学法学大学院法学研究科教授)
「自己決定権とソフトロー」
 国際高等研究所研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との共催で、研究会を開催した。
 高山佳奈子教授は、主にドイツにおける議論を参考にし、スポーツにおけるドーピングに刑事規制を及ぼすことは可能か、可能であるとすればその根拠は何かについて考察を行った。ドーピング規制の理由としては、@スポーツ固有の価値を損なうこと、Aフェアプレイに反すること、B教育的害悪、C競技者の健康を害すること、がよく挙げられる。しかし、高山教授は、刑事罰導入の可否には保護法益論が不可欠である以上、ドーピング物質を、(a).もっぱら競技成績を向上させる物質、(b) 競技成績の向上と健康被害をもたらす物質、(c) 競技成績を向上させない物質、に分けて各々について刑事機制の可否を検討する必要があると説き、結論として、(a) については競争を概して不正な利益を得る行為の規制に刑事罰が適切かは疑問であり、(b) については原則不可罰である同意傷害を処罰するだけの根拠をドーピングに見出すことは難しく、(c) については一般の薬物規制を超える規制は必要ない、と主張した。
 小久見祥恵氏は、フェミニズム法理論における平等概念をめぐる議論の意義を検討した。まず、米国のフェミニズム法理論の論者として、M. ミノウ、D. コーネル、M. A. ファインマンの議論を紹介した上で、三者を各々「関係的権利」、「イマジナリーな領域」、「脆弱性」という概念を用いて平等概念の捉え直しを試みるものと捉えた。その一方で、これら三者について、議論の出発点は異なるものの、多様な差異を生じせしめる人々の「身体性」に注目し、そこから生じる「脆弱性(傷つきやすさ)」を備えた主体を平等論の前提に据えようとしている点では共通すると説いた。最後に、脆弱性をめぐる個別の問題への対処法と、近年わが国でも論じられている脆弱性の普遍性がどのように関連しうるのかという点を、三者をめぐる研究の今後の課題として指摘した。
 平野仁彦教授は、現代の複雑な困難な生命倫理問題についてコンセンサス形成の手段としての重要な役割を期待されているソフトローに照準を合わせ、今日の法体系論においてソフトローがどのような構造上の位置を占めるかについて検討を行った。平野教授は、法体系の構造において法的整合性と法の応答性という2つの要請を充たしながら法の自立性を確保していくのに、二重のバランス――すなわち法原理バランスと法システムバランス――をとることが重要であると具体例を挙げつつ指摘した。その一方、リベラル・リーガリズムやメタコンセンサスとしての自己決定権を基底に据えながら、かような法システム全体が存立作動する礎をなすコンセンサス――公正な合意――を形成していく上で、ソフトローがフロンティアとして重要なはたらきをすることを指摘した。

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平成23年度 第4回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成24年1月23日(月) 15:00〜16:30
   場 所:京都大学法経本館3階 小会議室
小泉 明子(京都大学大学院法学研究科・学術創成研究員)
 「家族形成を考える―アメリカにおける議論を手がかりに―」
 本報告では、合衆国における家族形成に関する議論が整理・検討された。1950年代には戦争の疲弊と経済的好況により家族主義が強まるが、60年代以降は家族形成の背景の心理的・社会的要因が変化し、世帯構造が大幅に変化した。 現在は婚姻率・離婚率の高さ、婚外子率の高さ、同棲の多さ等特徴がみられ、その要因として、(a)個人主義の強まり、(b)女性の経済的自立、(c)家族法改正(婚外子差別の撤廃や破綻主義の導入)が指摘される。
 1990年代から本格化する同性婚訴訟をきっかけに、国家がなぜ婚姻制度により特定の親密な関係に法的保護を与えるのかが問われ、この点に関し、@同性カップルも婚姻制度に含めるべきとする見解、A伝統的な異性婚のみを認める見解、B婚姻制度自体に反対する見解が対立している。
 @を説くヌスバウムは、ある集団が社会的には家族として機能しても、それが法的保護を受けるには国家による承認が必要であるとする一方、国家の介入は生命・身体的健康・感情等の中心的ケイパビリティを守るために限定すべきだと主張する。
 Aに与する新自然法論は、(1)当事者の包括的結びつき、(2)子を持つことが前提、(3)子育てには一夫一婦制が最適、を理由に伝統的婚姻の維持を説く。伝統的婚姻を維持しようとする草の根運動の動き(marriage movements)は1996年の福祉改革やルイジアナ州他でのcovenant marriageの導入、離婚率低下を目的とした離婚法改正等に影響を及ぼしている。
 Bには、フェミニズムに依拠して婚姻制度の中に含まれる権力性を批判してその廃止を説くものや、国家による関係性承認と法的保護の付与に疑問を投げかけるものなどがある。 さらに、「家族の価値」等のスローガン下で家族形成が政策対象として政治的議論の対象とされる背景には、ネオリベラリズムやグローバル化の進行が家族等の親密圏を脅かしているとの危機意識(渋谷)や、個人の自由と親密性を重視という、両立しがたい理念が共に強い点(Cherlin)が指摘されている。
 質疑応答では、日本の家族形成をめぐる議論との関連で、家族法改正や夫婦別姓の文脈で婚姻の重要性や家族を重視する表現が見られる等の指摘があった。
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平成23年度 第3回エンフォースメント部会研究会
    日 時:平成23年12月16日(金)・17日(土) 11:00〜16:00
    場 所:国際高等研究所 会議室
近藤 圭介氏(京都大学大学院法学研究科講師)
「「承認のルール」概念の記述的意義の再検討」
豊田 幸宏氏(弁護士、京都大学特別教授)
「弁護士自治と綱紀・懲戒制度について」
大西 貴之氏(立命館大学大学院博士後期課程)
「法的判断の正当性と討議理論」
若松 良樹氏(成城大学法学部教授)
「ロールズと確率」
 国際高等研究所研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との共催で、研究会を開催した。
 近藤圭介講師は、ヨーロッパ統合が生み出した欧州連合(EU)の法と加盟諸国の法から構成される新たな法秩序の構造を把握するための法体系モデルを得る手掛かりとして、H.L.A.ハートの法理論を検討した。具体的にはハートの提唱した「承認のルール」の概念に着目し、ジョン・ガードナーの解釈を手掛かりに、それを公職に就く人々による個別的な法実践のなかから形成される究極のコンヴェンションを表現するものとして理解したうえで、ヨーロッパ統合前後に展開された英国の憲法実践、とりわけ1991年のファクタテイム事件における貴族院の判決を具体例として取り上げ、EUの法を取り込むことで引き起こされた英国憲法の構造変容を、この究極のコンヴェンションが本来的に孕んでいる動態性という観点から説明することができることを指摘した。
 弁護士の豊田幸宏氏は、弁護士自治の観点から綱紀・懲戒制度の趣旨と仕組みおよびその一般的な運用状況について報告を行った。具体的には、まず弁護自治の意味と制度の仕組みを確認した上で、弁護士自治との関係における綱紀・懲戒制度の制度的な位置づけ、綱紀委員会が果たす役割、懲戒委員会と綱紀委員会の手続上の関係、懲戒事由の種類、弁護士職務に関する規定、懲戒処分の種類などが検討され、さらに最近公表された具体的な懲戒事案がいくつか紹介された。報告の後、制度の仕組みに関する質問の他、弁護士にとって専門職倫理がどのようなものとして意識されているのかといった質問も出され、活発な意見交換が行われた。
 大西貴之氏は、J. ハーバーマスとK. ギュンターによる法適用、討議およびその法的制度化の捉え方について、彼らとR. アレクシーとの間で1990年代以降に展開された論争を素材にしつつ検討を加えることを通じて、法的討議と実践的討議のそれぞれの性質および両者の関係について、民主主義や権力分立といった制度的な視点を交えつつ考察した。結論として、アレクシーによる批判に拠りつつ、規範の基礎づけとその適用を厳格に区別することは討議形式としての区別に対応するか疑問であるとの見方に立ち、規範の衝突問題の解決には法適用者による基礎づけが必要となる以上、ハーバーマスのように基礎づけ討議と適用討議の区別をするのは立法と司法の区別として適さないと説いた。
 若松良樹教授は、J. ロールズが正義原理の正当化の際に用いる原初状態において確率に関する一切の情報を排除した理由を、彼が平均効用理論に対して提示する批判のはるか背後にまで遡ることにより、彼に対する批判者である経済学者のJ. ハーサニも想定する、期待効用理論では自明であるところの「事象の独立性」という前提に、社会における正義の問題に関する決定を下す上で重大な問題があると指摘した。事象の独立性がない場合には、ある時点で起きた事象がそれ以降の事象を決定づけるが、そのことは正義論の主題である社会の基本構造にも該当し、それゆえにロールズは事象の独立性を前提とする標準的確率論の使用に慎重となり、マキシミン・ルールを用いたのである。
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平成23年度 第2回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成23年9月20日(水) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館3階 小会議室
仲野 武志氏(東北大学大学院法学研究科准教授)
 「国税の優先権の法的性質――内国税と関税との対比を中心に」
 本報告は、国税の優先権(国税徴収法8条)と先取特権(民法303条)の異同を明らかにすることにより、国税徴収法等の解釈論及び立法論に対して示唆を与えることを目的とするものであり、以下のような分析が示された。
 内国税については、明治10年の布告は、公売の対象を課税物件に限る物権主義を採用していた。そこでの優先権は、物が課税物件であること自体に基礎をおいているから、他の債権者との競合を前提とする相対的優先ではなく、競合以前の絶対的優先である。ここでは物の価値の一部がもともと国に留保されているため、優先権は先取特権ではなく、原始的物上負担に当たる。
 明治22年には現行国税徴収法の原点である国税滞納処分法が制定され、物権主義が廃止されて、租税滞納者の一般財産が公売の対象となった。ここでの優先権は、私法上の優先順位の階梯内に収まることによって、国税に劣後する担保権が必ずしも完全な補償を受けることなく消滅することを正当化している。その論理は先順位担保権の実行に伴う後順位の担保権の当然消滅にほかならないから、優先権は一般の先取特権に当たる。
 一方、関税の優先権は、旧関税法の下では、保税地域内で蔵置期限が切れた貨物の整理競売手続において、質権に対する優先として発現した。関税の優先権は貨物が保税地域内にあることに基礎をおく絶対的優先であり、原始的物上負担に当たる。現行関税法の優先権は、旧法の場合に加え、保税地域外にある貨物についても、国税徴収法の滞納処分の例による強制徴収の形で発現する。ここで輸入貨物以外の一般財産が公売される場合には、関税の優先権は内国税と同じく、一般の先取特権に相当する。しかしながら、輸入貨物が公売される場合には、いかなる私債権にも関税が優先するため、新たに設定された質権との関係では予測可能性が保障されず、内国税との均衡に照らすと、違憲の疑いがある。
 以上の検討にかんがみ、内国税の優先権については、「私法の論理を享受する以上、私法の論理を甘受すべきである」として、例えば不動産から動産への差押換え請求を緩やかに解すべきであり、関税の優先権については、上記の問題を立法上解消すべきというのが、本報告の結論である。
 質疑応答では、納期限の一年前を基準に国税と私債権の優劣を決していた旧国税徴収法における優先権は先取特権とはいえないのではないか、国税徴収法を合憲とし関税法を違憲とする論拠は何か、国税と私債権との競合はあらかじめ契約条項に盛り込んでおくことにより回避しうる問題なのではないか等々の質問が出され、密度の濃い議論がなされた。
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平成23年度 第1回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成23年6月14日(火) 13:00〜16:10
   場 所:京都大学法経本館3階 小会議室
小久見 祥恵(日本学術振興会特別研究員(PD))
 「フェミニズムによる婚姻批判と新しい家族モデル―M.A.ファインマンの議論を手がかりに」
小泉 明子(京都大学大学院法学研究科・学術創成研究員)
 「家族の価値(family values)とはなにか―宗教右派と同性婚」
 小久見報告では、エモリー大ロースクール教授M.A.ファインマンの議論が提示する新しい家族モデルが紹介・検討された。婚姻関係を中心とする従来の核家族モデル(「性的家族」)は、特権化されると同時に私事化された依存の受け皿になっている。「性的家族」の問題性を克服するため、ファインマンは法的カテゴリーとしての婚姻を廃止して「ケア関係」を家族関係の中核にすえ、この「ケア関係」に国家が社会保障による優遇を付与すべきであると主張する。さらに、近年では「脆弱な主体」を前提とした平等論を主張し、家族をめぐる問題から出発してその理論の射程を広げつつある。
 小久見氏は、家族の個人化を追求する個人主義的家族モデルを支持し、法的家族を個人の権利に基づき形成されるとみる権利基底的理論を採用することが適切だと説く。そのような観点から、ファインマンの議論のフェミニズム法理論における位置づけ、法的婚姻制度を廃止し婚姻関係を契約関係として規制することの意義、さらに「ケア関係」を核とする家族モデルの意義と問題点について検討を加えた。
 質疑応答では、権利基底的な家族とファインマンの考えるケア関係を軸にした家族の捉え方はいかにして両立しうるのか、両立のための概念装置が必要ではないか、何をもって「ケア」ととらえるか、国家から社会保障による優遇を受けるとするケア関係をどう捕捉するか、といった点が議論された。 次に、小泉報告では、主に1990年代のアメリカ合衆国における、同性婚に対する保守派のバックラッシュについて「家族の価値(family values)」という言説を手がかりに検討がなされた。
 「家族の価値」とは、いわゆる核家族を伝統的な社会の基本単位として理想視し、擁護・復活を目指すイデオロギー言説であり、特に同性婚問題においては、「家族の価値」をめぐる対立が先鋭化した。第二次バックラッシュの時代(1990年代)には、「家族の価値」を掲げる宗教右派勢力が、共和党の票田となり、具体的な政策にも「家族の価値」が取り込まれるようになる。とりわけDOMA(婚姻防衛法)並びにPRWORA(個人責任および雇用機会調整法)は「家族の価値」が色濃く反映されたものであると指摘された。
 以上のような展開を踏まえて、なぜアメリカでは同性婚などの家族をめぐる問題が政治問題化するのかについて、次のような分析が示された。すなわち、新自由主義などが掲げる「小さな政府」を支えるものとして「家族」が重視され、婚姻に付与される利益が無視できないものとなったのではないか。事実上の家族形態の多様化を背景に、保守派の懸念が高まったのではないか。さらに、多様性にあふれた社会の共通項の一つとして、「家族」が重視されるのではないかといった分析である。
 本報告に対して、「家族の価値」と同性婚批判との関連性などについて質疑が行われた。
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平成22年度 第9回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成23年3月14日(月) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館3階 小会議室
小石川 裕介氏(京都大学大学院法学研究科学術創成研究員)
 「戦間期日本における公益事業公営化の態様――都市ガス事業を中心として」
 本報告では、戦間期日本における公益事業公営化の事例について、都市ガス事業を中心として、契機やその経過、またその法的手段の事例紹介および検討がなされた。
 都市ガス事業は、戦前期から戦後、また現在まで、その事業主体は民間が主流である。しかしながら、現在県庁所在地にて公営ガスとして運営されている諸都市では、全て戦前期に公営として設立、もしくは買収によって公営化がなされたものであり、特に戦間期における公営化論一般は無視することはできないと報告者は主張する。また、水道と並び、事業主体が歴史的に大きく変動しなかったことも、都市に密着的な公益事業として、特徴的であると述べられた。
 戦前期のガス事業規制の特徴としては、法令としての瓦斯事業法のほかに、市町村と事業者との契約によって規制がなされるという、報償契約の存在がある。同契約や瓦斯事業法によって、市町村による買収・公営化については、(1) 任意的な買収のほかにも、(2) 事業の解散等における優先的譲渡、(3) 契約期間満了後の強制買収、また(4) 随時的強制買収といった、多様な(法的)手段が用意されていたのであった。
 本報告では、公営化がなされたという事例とともに、公営化が試みられたが達成されなかった諸事例をもリスト化し、これを同時に検討することによって、戦間期日本における公益事業公営化の諸特質を抽出することがなされた。報告者からは、検討に際し、(1) インフラ維持、(2) 財源強化、(3) 給付行政の達成、(4) 他という、公営化の類型が提案され、同類型に沿って、諸事例の検討がなされた。
 事例検討の結果、報告者は、公営化の動機は様々な要素が複雑に絡み合っているため、単純な理解をすることはできず、時代的な傾向性を確認することは可能であると述べるに留めた。しかしながら、当時、往々にして対立的であった市町村と事業者の関係について、強制的な公営化という選択肢それ自体が、料金低下などの事業公益性の担保として機能したこと、および市町村に能動的なコミットメント見受けられることが、全般的な特徴的であるといえると指摘された。
 報告終了後、現代における公営事業の民営化問題との関連および、その時代性の把握、事業主体問題の重要性等、盛んな議論が行われた。
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平成22年度 第8回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成23年3月12日(土) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法科大学院棟2階 公共政策第1演習室
野々上 敬介氏(京都大学大学院法学研究科学術創成研究員)
 「間接代理における効果帰属の法理」
 本報告では、ある者の法律関係の形成を目的として選任される者がした行為の効果が、どのようにしてその者に帰属することになるか、その効果帰属のメカニズムを明らかにすることを目的とし、とくに間接代理をその対象として、議論の整理と検討が行われた。
 報告ではまず、直接代理を例に挙げた上で、それと間接代理の結果帰属のメカニズムとの対比が行われた。直接代理の場合には、本人の「ために」することを代理行為の相手方に示すことが必要であり、代理人が内心においてそのような意思を有していたか否かは原則として問題とならないのに対して、間接代理の場合は、相手方への表示は必要とされない。しかし、本人の「ために」する意思は必要とされ、この存否が本人への経済的結果の帰属を左右する。この意思の存否は事実問題のように一見思われるが、他方で、この意思の規範的解釈により、事実問題とは切り離して本人への結果の帰属を決しようとする有力な論者もいる。報告者は、このようにわが国の議論をまとめた上で、本人の法律関係の形成のための法制度の一つである間接代理において、本人への結果の帰属のメカニズムが明確でないことは望ましくなく、この点を明らかにすることが必要であるという。そこで、この点への示唆を得るために、外国法の議論、具体的にはドイツ法の議論が参照された。
  ドイツ法の議論では、間接代理の代表例である問屋に関する議論を取り上げて考察が行われた。ドイツ問屋法においても、本人への経済的結果の帰属を決定する契機は、問屋の意思であると考えられている。しかし、報告者によれば、その議論をより詳細に検討すると、経済的結果の帰属が必ずしも問屋の意思に全面的に依拠しているわけではなく、一定の要素がそのような問屋の意思を方向づけると捉えることができる、とされる。そして、そのように意思を方向づける要素とされていると考えられるものとして、問屋が本人に対して負っている誠実義務、問屋が引き受けた事務の性質や、法律行為後の問屋の一定の容態(取得物の委託者名義の登記、取得物の分別管理、委託者への実行通知)、という要素が挙げられた。しかしながら、それらの要素がいかなる根拠からそのようなものたりえるか、どのような限度でその役割を果たしうるか、などの点はなお明らかでなく、この点のドイツ法に対する内在的理解とその解明は将来の課題である、とされた。
 報告の後、質疑応答が行われた。倒産隔離の問題との関係、意思的契機とそれを方向づける要素の関係、問屋を起点とする議論が本人の法律関係形成のための他の法制度にどの程度拡張性を持つか、などについて議論が交わされた。
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平成22年度 第7回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成23年3月4日(金)14:00〜18:00・5日(土)10:00〜12:00 
   場 所:国際高等研究所 会議応接室
田中 成明氏(国際高等研究所副所長、京都大学名誉教授)
 「専門職倫理の実効性確保と「法化」をめぐって―法曹倫理と医療倫理の対比を手がかりに―」
齊藤 真紀氏(京都大学大学院法学研究科准教授)
 「上場会社の規律と倫理の居場所」
宮崎 真由氏(玉川大学文学部人間学科助教)
 「「法による道徳の強制」論議の展開―危害原理の崩壊に関するB・E・ハーコートの所説をめぐって―」
 国際高等研究所研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との共催で、研究会を開催した。
 田中教授は、専門職倫理の実効性確保における法化の意義という観点から、生命医療倫理と弁護士倫理の現状につき、法理学の従来の議論枠組みにも反省を加えつつ、批判的検討を行った。弁護士倫理については、弁護士会が法律を根拠とする懲戒権限を備えた強制加入団体である上に、2004年に「弁護士職務基本規程」が会規として制定され、今日ではその義務規定への違反が会則違反とされて、専門職倫理の法化が進んでいる。生命医療倫理については、医師会は任意加入団体で懲戒権を持たず、関連学会の自主規制も実効性がなく、厚労省医道審査会医道分科会が行う各種処分も刑事・行政制裁の後追いで独立の意義は小さい。2004年制定の「医師の職業倫理指針」は実効性に乏しく、日本学術会議では医師会と別に強制加入団体を創設する等の案も検討中である。田中教授は、専門職倫理の本領は構成員が自律的に遵守し相互に批判しつつ職務の質の維持・向上を図る点にあり、法的制裁への関連のみに注目するのは誤りだとしつつも、「自律的な倫理、強制的な法」という一般的図式もミスリーディングであって、米国でむしろ専門職責任と好んで言われるように、この領域では法と倫理が大いに重なり合うと指摘した。そして基本的に専門職団体内部で倫理の実効性確保をすべきとしつつ、それで不十分である以上、功罪を考慮しつつ法の関与の在り方を検討するのが重要だと説いた。
 次いで、齊藤准教授は、個別的状況でよき経営者が行うべき決定・行動を倫理として捉えた上で、上場企業の様々な規律を具体例として、そのどこにどのような形で倫理が所在するかという視角からコーポレート・ガバナンスの問題に切り入った。上場企業に対する規律は複合的・多層的であるが、その主たる眼目である経営者と株主の関係については、前者をエージェント、後者をプリンシパルと捉え、経営者が株主の利益になる行動をとる機制の解明を試みるアプローチが主流である。また、エンフォースメントの手段に関しては、公的(市場参入規制等)・私的(株主代表訴訟等)なエンフォースメントの他に、公認会計士・弁護士等のゲートキーパーによる統制も考慮される。かかる指摘をした上で、齊藤准教授は、株主の利益を顧みない経営者への制裁、利益供与の禁止、投資家を混乱させる行為や資本市場への信頼を損なう行為の禁止、市民・公衆の関与・監視などについて、会社法上の規律を具体的事件とともに紹介・分析することにより、それが法の倫理のコラボレーションか、それともインセンティブ・メカニズムの成功と理解すべきなのかと問いかけた。
 最後に、宮崎氏は、米国の刑事法学者B・E・ハーコートの論文「危害原理の崩壊」(1999)に依拠して、ハート=デブリン論争後の「法による道徳」論議の展開に検討を加えた。ハーコートによると、この論争でハートが勝利したとされて以来、元来は複雑であったミルの危害原理をハートらとともに簡素に理解する見方が法哲学界で主流となり、そこから刑事立法をめぐる議論においてこの原理はリベラルな基盤を失い、保守派の説く規制強化の根拠にすら使われるようになる。保守的リベラリズムにより危害論法が活用されるかかる現実を、ポルノ・売春・迷惑行為等の規制論議に跡づけた上で、ハーコートはこれを「危害原理の崩壊」として問題視し、危害原理の主張者が念頭に置いていた規範的価値がこの原理の射程を制限していたのを想起すべきだと説く。かかる紹介の上で、宮崎氏自身も、危害原理の境界線としての機能やその中立性が強調されすぎていたことに疑問を呈した。
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平成22年度 第6回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成23年2月10日(木) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法科大学院棟2階 法科第3演習室
石塚 武志氏(京都大学大学院法学研究科学術創成研究員)
 「近年のドイツ環境法に対するEU法の影響―法執行の態様の変化に着目して―」
 本報告は、オーフス条約(「環境事案における情報へのアクセス、意思決定への公衆参加及び司法へのアクセスに関する条約」)及び関連するEU指令を受けて生じつつあるドイツ環境行政法の変容を概観し、そこにおいて環境法令の実効性を確保する機能が期待されている公衆の参加(Offentlichkeits- beteiligung, public participation)がどのような正当性(ないし正統性)を有するのかを検討するものであった。
 ドイツにおける環境情報法は、全ての者が環境情報に対してアクセスする権利を保障するものである。オーフス条約及び2003年EU環境情報公開指令(2003/4/EC)を受けて2004年に改定された同法は、開示請求の対象となる「環境情報」の範囲、環境情報の「保有者」の範囲を、従来の環境情報法に比して拡大した。報告では、裁判例の中から、利害関係人や一般公衆により環境情報法が行政活動の統制のために活用された事案が紹介された。もっとも、このような立法や事案においては、開示される環境情報に係る利害関係人の利益(とりわけ私企業の営業秘密)の保護との緊張関係が問題となる。  環境事案における行政手続への参加に関しては、オーフス条約及びEU公衆参加指令(2003/35/EC)を受けて、公衆参加を要する行政手続の範囲が拡大されてきていることが近年のドイツ環境行政法の特徴である。また、環境・法的救済法(2006年;EU公衆参加指令を受けたもの)に従って行政庁による「認定」を受けた自然保護団体には、連邦自然保護法等によって行政決定過程における意見の表明権や専門家鑑定意見の閲覧権が認められるが、報告者は、ここでの「認定」が果たす役割に着目し、認定自然保護団体が環境事案にかかる行政決定過程において一定の公的性格を有する活動を行うことが正統化されるとする。
 また、オーフス条約及びEU公衆参加指令においては、環境事案における司法へのアクセスの保障が加盟国に対して要求されている。この点に関しては、認定自然保護団体による公益的団体訴訟の提起について、「個人の権利を基礎付ける」環境保護法令の違反を主張しなければならないと規定した環境・法的救済法(2条1項1号、同条5項1号)のEU法への適合性が問題となっている。この点が問題となった事件が現在欧州司法裁判所に係属しており、その帰趨が注目される。
 以上のようなドイツ法の状況の概観を通じて、報告者は、公衆の参加を通じて環境法令の実効性確保が図られることの正当性(ないし正統性)を基礎付けるものとして、直接規制のみによる場合の環境法の執行の不全、「事前配慮」等によって特徴付けられる環境法領域での「知見」の重要性、認定自然保護団体の専門性等を挙げた。
 報告後には、環境情報開示請求権の主観法的性格・公共的性格、法令による環境利益の保護と権利保護手続保障(基本法19条4項)との関係、報告で取り上げられた自然保護利益・環境利益の具体的な内容等について、質疑応答・議論が行われた。
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平成22年度 第5回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年12月10日(金) 15:00〜17:00
   場 所:法科大学院棟3階 法科第5演習室
野々上 敬介氏(京都大学大学院法学研究科学術創成研究員)
 「財産管理人による行為の効果帰属の法理―間接代理人の行為を中心として―」
 本報告は、いわゆる間接代理人につき、その行為の経済的結果の帰属先がいかにして定まるか、この決定に対して「本人のためにする」という間接代理人の意思がどのように作用するか、という問題を扱うものであった。
 私的自治の実現手段としての法律行為は、その実行を他人に委ねることができる。この場合、その効果帰属形式に着目すると、他人の行為の法律効果が直接に本人に帰属する、という形式と、法律効果自体はその他人に帰属するが経済的結果が本人に帰属する、という形式の二つの形式が存在する。法律効果の帰属先については、原則として現実の行為者の表示が決定的であるのに対して、経済的結果の帰属先については、一般に、現実の行為者の意思に依拠すると考えられている。このような現実の行為者の意思への依拠は、経済的結果の効果帰属につき、その効果帰属先に関する現実の行為者の選択の自由が保障されることを意味するが、報告者は、このような前提に疑問を呈し、本人の私的自治の実現のために選任され、その実現の義務を負っている者について、そもそもこのような選択の自由がどこまで保障されるのか、このような行為者の意思の自由が制約される場合があるのではないか、ということが検討されるべきであるとする。
 このような問題意識のもと、これを解決する手がかりとして、本報告では、ドイツ法の議論、とりわけドイツの問屋法の議論が紹介された。ドイツの問屋法においても、経済的結果の帰属は、基本的には問屋の意思に依拠している。しかしながら、この意思の取り扱い方は論者により差異があり、問屋と委託者との間の内部関係を根拠とする問屋の意思の推定則を介して、実質的に問屋の意思の自由を制限しているとみられる見解もあることが示された。もっとも、このような見解が採られる根本的な論拠についてはなお不明瞭なところがあるほか、このような見解を問屋法で問題となる領域以外にどこまで応用することができるかということが問題として残っており、これらの点の検討は今後の課題である、とされた。
 報告に続いて行われた質疑応答では、ドイツ法の議論状況の確認のほか、行為者が本人に対して負っている義務以外に、それと別の論理から行為者の意思を制限する法理があるのではないか、などの質問が出され、議論が行われた。
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平成22年度 第4回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年10月28日(木) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館2階 第5演習室
石塚 武志氏(京都大学大学院法学研究科学術創成研究員)
 「環境法令の規制目的実現の態様―公共事業計画を題材として―」
 本報告では、公共事業計画(とりわけ、道路、空港、鉄道等の交通施設の整備計画)の策定について、環境保全を目的とする手続法的・実体法的な規制の実現がいかに図られているかが取り上げられた。
 公共事業計画の策定に係る事前手続に関しては、環境保全を目的とし、市民参加を伴う事前手続として、環境影響評価が取り上げられた。報告者は、環境影響評価制度が単に手続法的な制度であるに留まらず、横断条項(環境影響評価法33条)に顕われているように、実体法的な性格をも有するとの認識に基づき、「事業者アセス」とされる日本の環境影響評価についても、環境影響評価の実施による環境利益の事業計画への反映において市民や許認可庁が果たす役割について検討が深められるべきであるとする。
 実体法的な環境規制については、事業計画決定における環境利益への配慮を根拠づけるものとしてどのような法規定(土地収用法上の事業認定の要件である20条3号、都市計画法における環境配慮条項(13条1項柱書))や理論構成(考慮事項論における環境保護利益の位置づけ)があるかが概観された。また、騒音、大気汚染物質等について告示によって設定される環境基準について、東京地判平成16年4月22日(圏央道あきるのIC訴訟)を例証として、環境影響評価の適切性等、「判断過程の統制」においてそれが一定の意義を持ち得るとの示唆が行われた。関連して、公害防止計画(環境基本法17条)と都市計画との適合性要件(都市計画法13条1項柱書)の意義にも言及された。さらに、報告者は、事業計画に対する環境法令による規制の性格付けについて参考になるものとして、1980年代以降のドイツの裁判例において、環境法令が計画裁量に対して客観法として覊束を加える側面から、事業に関連する公益・私益の比較考量において環境利益に重み付けを与える側面に着目した位置付けが行われているという点を紹介した。
  最後に、環境行政訴訟に係る救済法上の問題として、公共事業計画について取消判決を行うことの現実的な困難について触れられた。報告者は、公共事業計画について環境利益の侵害を理由として行政訴訟を行う場合、取消判決による解決よりも、環境被害に対する保護措置(防音壁の設置、供用の態様の制限等)の義務付けや調査の補充を認める解決の方が現実的であるとする。
 報告後、事業者による環境影響評価と許認可庁の調査義務の関係、ドイツにおける認定自然保護団体の性格、許認可庁の環境配慮義務の理論的な基礎付け、環境法令と行政決定における考慮事項としての環境利益の関係について質疑応答・議論が行われた。
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平成22年度 第3回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年7月4日(水) 16:00〜17:10
   場 所:同志社大学寒梅館5階 教員共同研究室
小石川 裕介氏(京都大学大学院法学研究科学術創成研究員)
 「近代日本における水道事業の「公営原則」と「衛生」」
 本報告では、1890年水道条例第2条に定められた、いわゆる、水道事業の「公営原則」規定の成立過程について検討がなされた。
 水道事業は、現在でも市町村が優先してその事業主体である。これは1890年水道条例から、いわゆる、水道事業の「公営原則」として変化していない。しかし、報告者は、同条例が、当初、水道の「私設」を推進するための立案であったことを指摘する。
 明治初期のコレラ・パンデミーに対して、衛生警察による罹患者の隔離という対処的方法がとられていたのであったが、これは必ずしも有効に機能しなかった。これに対して、内務省衛生局は、江戸期以来の「旧水道」システムを更新するため、私設による近代水道の建設によって、大幅な環境衛生の向上を目指そうとする。衛生局等による閣議提出案「水道敷設ノ目的ヲ一定スルノ件」(1887年)は、公設水道を「原則」と定めることにより、「変則」としての私設水道をも認め、さらには水道事業の目的として「衛生」を強調することで、内務省への(私営)水道事業の監督権を確保をすることを企図したものであった。私設水道が推進された理由としては、近代水道導入へのコストの問題から、私設にて上水道を、公設にて下水道の建設を図るという、上下水道を一体として把握する衛生局のグランド・デザインがその背景にあったと指摘された。
 しかし、私営事業は本来的に、農商務省の管轄であったため、立法上、その権限の衝突が懸念される。これは、1887年私設鉄道条例に同様の事態が確認されるのであるが、このような議論を予想していたと考えられる衛生局は、水道条例中の規定に関して、内務省衛生局が管轄を主張しうる「衛生」についてを強調し、また農商務省の管轄権と重ならない、建築法制に特化させていく。しかし、法制局や元老院による反対によって、最終的には現在まで続く水道事業の公営原則(市町村優先主義)を強調する内容へと変化することとなったのであった。
 以上のような立法過程を持つために、水道条例中に運営規定等については定められなかった。そして、実際の運営についての疑義や、供給条件の不備等は、その都度、行政措置により解決されるというような傾向を有していたのであったと、報告者は指摘した。
 本報告においては、政策的観点からの公営主義導入の可能性や、長与専斎が近代日本に初めて導入したとされる「衛生」概念の語義等について、活発な質疑が行われた。
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平成22年度 第2回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年6月27日(日) 14:00〜16:00
   場 所:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー22階 現代法研究所会議室
田中 弥生 氏(独立行政法人大学評価・学位授与機構 准教授)
 「公共をめぐる葛藤 〜官と民の狭間で〜」
 法政大学現代法研究所との共催で、非営利組織論・評価論が専門の田中弥生氏を迎え、非営利組織の抱える現代的問題について意見交換を行った。
 田中氏によると、近年の政権のマニフェスト等の分析から明らかなように、歴代政権は公共の担い手を多様化・活性化すべく方針を出し、「市民が担う公共」への関心を高め、NPOを政策上重要な担い手として位置づけてきた。NPOは市民が担う公共の重要な受け皿であるが、P.ドラッガーが説くように、社会変革と市民性創造というその二つの役割のうち、後者が今後はより重要となる。というのも、政治とは異なり、そこでは各人が世の中を変える満足感・実感が得られるからであり、その意味でNPOにおけるボランティアと寄付の意義は大きい。
 わが国では、NPO法が施行され10年が経ったが、その現実はどうか。田中氏によると、要件緩和により数を増やす施策が進められた一方、小さな政府・財政支出削減の時流の中、NPO法人が安い行政先委託先となり、ビジネス化支援の対象となっている。経営基盤も脆弱で、市民とのつながりも築けず、何を目指すべきかを見失っている。寄付金ゼロのNPO法人すら多数あり、行政の下請け化とともに寄付開拓に人を割けないことが、新しいニーズの発見の減少、ボランティアの疎外などの問題も生んでいる。社会的起業の中には、非営利組織であるのに、市民参加を断ち切った収益事業を自認し、社会参加の意識が薄いものも少なくない。NPO法人のうち3割は自治体、社会福祉法人、公益法人が作ったもので、玉石混淆である。
 こうした現実をふまえ、田中氏は、NPOが活動する公領域を、行政から民間に委託された領域から、租税をベースにせず市民が自発的に担う領域へとシフトすべきと説く。自助努力をするところにインセンティヴを与える仕組みにして、NPOセクターの質向上をめざしつつ、市民と同セクターの間に良循環を構築するべきだとして、NPO側の発想、制度的な発想の双方についてパラダイム転換が必要であるという見方を提示した。
 田中氏の報告後、社会貢献のイメージをどう捉えるべきか、営利・非営利の線引きをどう考えればよいか、非営利組織の社会的責任をどのように考えるべきか、などの点について参加者より意見が出され、討論を行った。
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平成22年度 第1回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年6月18日(金)14:00〜18:00
        平成22年6月19日(土)9:30〜14:30
   場 所:国際高等研究所〔セミナー1〕
松尾 陽氏(京都大学大学院法学研究科助教)
 「ポスト規制国家の犯罪予防―状況的犯罪予防アプローチを手がかりとして―」
佐藤 彰一氏(法政大学法科大学院教授)
 「成年後見と自己決定支援―日本の司法と福祉の現状―」
霜田 求氏(京都女子大学現代社会学部教授)
 「脳・心・行動―自由意志と責任概念の再構築に向けて―」
田中 成明氏(国際高等研究所副所長、京都大学名誉教授)
 「生命倫理学におけるPrinciplism論争から何を学ぶか?」
 国際高等研究所研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との共催で、研究会を開催した。
 まず、松尾報告は、近年イギリスで犯罪予防手段の一つとして注目される状況的犯罪予防論を取り上げ、それが前提する人間観・秩序観に着目することで、規範的秩序の変遷を読み解いた。犯罪原因の特定と治療というリハビリテーション・モデルの衰退を契機に、より実効性のある犯罪防止策を目指すこの考えは、犯罪の原因・素質でなくその機会に着目し、犯罪機会を操作によって犯罪減少を達成しようとするものである。かかる見解の背後に非道徳的人間観を看取する松尾氏は、これが福祉国家の理想である人間の完全可能性の断念と関連すると説く一方、互いの自律を目指す積極的尊重型リベラリズムから互いの内面に立ち入らない消極的尊重型リベラリズムへの移行をそこに見て取った。
次いで、佐藤報告は、認知症高齢者や知的障害者等を措置対象から契約当事者とする社会福祉基礎構造改革に種々の問題点があることを指摘した。日常生活自立支援事業は、予算的裏付けの不十分さや制度上の矛盾から十分に活用されておらず、また、成年後見制度には、被後見人になると選挙権がなくなる等の転用問題があるほか、取消権を行使できるため銀行口座が事実上持てない等の問題も生じている。しかも、後見人選任の任を負い選任後もそれに引続きかかわる裁判所の負担も増大し、当初の趣旨に叶った運用が困難になっている。海外での取組みとも比較しながら佐藤教授は、後見支援のディレンマにつき、本人の思いを当人の生き方にどう活かすか、その人らしく生きる自己決定とは何か等の点から検討を加えた。
 さらに、霜田報告は、脳神経科学関連文献に見られる、脳状態と心的活動・性向と身体活動の関係をもっぱら因果的な関係として捉える思考を、「脳心身因果説」的思考と名付け、その背後に物理主義・還元主義・行動主義があると指摘する一方、遺伝子中心主義・優生学的社会工学・心理主義との関連性も説いた。そして、脳心関係、道徳脳、社会脳、犯罪脳、宗教脳、遺伝子と脳などの点につき、脳心身因果説的な言説を具体的に検討した上で、かかる見方の問題点として、外部環境世界との相互作用や各関係の相互往還性を副次化する点などを挙げた。最後に自由意志と責任の問題に関して、<原因−結果>でなく<根拠−帰結>という視点の重要性に言及しつつ、脳が他者との関係の中でネットワーク化する結節点であり、それが自己変容するという人間理解をすることで、自由意志を守られるのではないかとの見方を示唆した。
 最後に、田中報告は、T. L. Beauchamp & J. F. Childress著『生命医学倫理』が採用するprinciplismが、同書が版を重ねる中で、@K. D. Clouser、G. Gertら単一共通道徳理論、AA. R. Jonsen、St. Toulminの決疑論、BH. S. Richardson、D. DeGraziaのspecified principlism、以上3方面からの批判や修正提案を受け、どのように変容してきたかを検討した。田中教授は、従来決疑論との対比で問題にされてきたprinciplismについて、むしろ単一共通道徳理論との関係をどう捉えるかが重要であると示唆する一方、specified principlismについては、J. Rawlsの反省的均衡の発想を具体的ケースに下ろし、討議的合理性を確保する一種の整合性基準を説くものとして、その主張内容に関心を示した。その上で、Beauchampらがどのような仕方で反省的均衡や共通道徳理論を導入し、principlismに修正を加えたかを検討し、それをふまえて、Bioethicsの学問的性質や正当化の方法に関して残された課題を指摘した。
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平成21年度 第11回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年3月31日(水) 14:00〜17:00
   場 所:キャンパスプラザ 第13演習室
佐藤 勤氏(南山大学法学部・教授)
 「信託目的達成のために必要な行為をする者の責任について―東京地判平成21・6・29判決を題材として―」
コメンテーター:福井 修氏(富山大学経済学部・教授)
 現代の商事信託においては、信託法上の受託者以外の専門家の能力を利用して信託目的を達成する類型の信託が多く、これらの者は場合によっては受託者と同等、あるいはそれ以上の役割を果たしている。本報告は、このような現状を踏まえ、信託目的を達成するために重要な役割を果たす受託者以外の者についても、一定の場合には、信託法上の受託者概念を拡張し、信託法が定める受託者と同等の義務を課すべきである、との解釈論ないし立法提言を行うものである。  本報告では、まず、東京地判平成21年6月29日(金判1324号18頁)が紹介され、証券投資信託に関する現在の法制度および法解釈の不十分性が示された。次に、証券投資信託においては、専ら投信委託会社が信託財産の処分を決定しているのが実態であるとの紹介があった。佐藤氏は、このような証券投資信託の実態に鑑みると、信託銀行とともに投信委託会社も信託目的を達成するための権限を本源的に有し、両者で権限の分掌がされているとみるべきだ、とする。また、信託における受託者の本質は、信託財産の名義ではなくその管理権を有することにあると解すべきであるとされる。以上に基づき、佐藤氏は、投信委託会社を信託法上の受託者とみなし、投信委託会社と信託銀行は職務分掌のある共同受託者である、したがって投信委託会社もまた受託者としての義務や責任を負うと解すべきである、とされる。さらに、このような考え方を、証券投資信託に限定することなく、信託目的を達成するために重要な役割を果たす者一般に、すなわち信託法一般に妥当させるべく解釈論ないし立法を行うべきであると主張され、その際に受託者と同等の義務を課すべき者の範囲を画するための要素が提示された。
 続いて、本報告に対して、福井氏によるコメントがされた。コメントでは、1.投資信託スキームを投信委託会社と信託銀行との権限分掌と見ることの是非、2.受託者が複数の場合における信託財産の所有形態が合有とされていることの是非、3.証券投資信託における証券取引の実態を踏まえたときに証券取引の法律関係をどのように捉えるか、の三点が指摘された。
 その後に行われた質疑応答では、投信委託会社を共同受託者と捉えるという報告者の主張の妥当性ないし必要性や、証券投資信託においてはそのように捉えうるとしても、これを信託法一般に妥当する解釈論ないし立法提言として展開することの是非、さらに、現在の証券投資信託スキームにおける信託銀行の役割や、証券投資信託における関係当事者間の法律関係、たとえば証券投資信託における証券取引について誰にどのような根拠で法律効果が帰属するのか、など、きわめて活発かつ多岐にわたる質疑がされた。
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平成21年度 第10回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成22年3月19日(金) 15:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第1演習室
加藤 正明氏 (学術創成研究員)
 「『他者に配慮する』とはどういうことか ―客観的帰属論の基本構想・その2―」
 報告者は、刑法上の因果関係の判断に関し、まず、事後的に判明した事情をもとに行為による結果発生の予測可能性を問う相当性説における、予測可能性の判断資料に限定を加えるか否かの争いを取りあげる。問題を整理すれば、行為者の主観を顧慮すべきかどうかにつき、行為時に存在する事情を、結果発生後にはじめて判明したものも含め、すべて相当性の判断資料とする客観説には、結果に対する刑事責任を行為者に負わせることが今後、法益侵害を抑止するのに有効か否かで結果帰属の判断を決める犯罪抑止の重視がある。これに対して、行為時に存在する事情のうち、行為の時点では行為者にも通常人にも認識できなかったであろう事情は相当性の判断資料に加えない折衷説の背景には、行為の反倫理性をもって、客観的世界における、行為から結果、さらに進んで行為者への刑罰賦科へと至る一連の因果連鎖を理解する応報の重視がある。さらに問題なのは、折衷説が行為者に認識できない事情でも、通常人に認識あるいは認識可能ならば、これを相当性の判断資料に加えてよいとすることであり、その説明が従来なされていたとは言い難いと述べられた。
 報告者は、前回(第6回エンフォースメント部会研究会)での知見を踏まえ、他者への配慮を欠いた行為は徳のなさゆえに称賛を得るどころか憤慨の対象となり、これが行為の結果反価値性を基礎づけるとして、他者への配慮がどのようにして実践されるかについて、アダム・スミスの同感判断論を参考にしながら検討した。報告者によれば、スミスの同感判断論は(1)当事者(行為者または行為の相手)が行為に対してどのような感情を抱くべきかを判断するためには、観察者は想像力により彼の立場にわが身をおくこと、(2)観察者には、当事者の感情をできるかぎり汲むべく「感受性」を発揮することが要請されること、(3)当事者においては、観察者の立場にわが身をおくことにより、観察者が抱くであろう感情を想像し、自らの感情が、利害の対立する当事者のどちらにも与しないという意味で「公平な」観察者の同感を得られるよう自己規制を働かせる必要があることを説くものである。
 その欠如が結果反価値を基礎づけるところの「配慮」とは、相手の立場に立ち(行為者から被害者への視座転換)、彼が憤慨しないように行動することである。これを相当性説に引き写せば、相手が憤慨するのは、行為により相手が害を蒙ることが予測可能な場合であり、相手の危険状況をどこまで汲むかが相当性の判断資料の問題となる。
 この図式のもとでは、客観説は、問題の行為によって相手が損害を蒙るかもしれない危険状況をすべて汲むこと、したがって、自己犠牲(博愛)の精神を行為者に要求する見解であって、市民社会においては過剰な期待だとの批判が向けられる。また、行為者の主観を顧慮する理由としては、問題の行為による損害発生を行為者が具体的に予見もしくは予見しうる場合、通例、当該行為は国家により禁止されうることがあげられる。それと同時に、行為者は、義務者という役割ないし地位をもった者として他者に応対することが考えられる。行為者が被害者の危険領域に直面する前に予め義務が形成される場合、たとえ行為者に具体的に認識できなくとも、彼が義務者として想定しなければならない典型的事情は、判断資料に加えるべきである。―以上により、折衷説が基本的に支持されるというのが、報告者の結論である。
 報告のあとの質疑応答では、徳論は市民としての卓越性を要求するものでその欠如を刑法における制裁賦科の契機とすることができるのか、むしろ、報告者の立場はヒュームやスミスの道徳科学に近く、「徳」という言葉の使用はミス・リーディングではないのかとの指摘があった。また、前回の報告と同様、他者への配慮を義務ではなく「責務」と解さなければならないのか、それは、行為反価値・結果反価値二元論をとるという結論の先取りではないのかという指摘があった。
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平成21年度 第9回エンフォースメント部会研究会
    日 時:平成22年3月5日(金) 14:00〜18:00         
               3月6日(土)  10:00〜15:00    
    場 所:国際高等研究所 セミナー1・応接室
桂木 隆夫氏(学習院大学法学部教授)
 「商人道における自由」
毛利  透氏(京都大学大学院法学研究科教授)
 「市民社会から国家権力へのインプットの諸類型」
吉岡 剛彦氏(佐賀大学教育学部准教授)
 「宗教的理由にもとづく「医療ネグレクト」を考える―確信的行為者をめぐる法と倫理のコラボレーションに向けて―」
瀧川 裕英氏(大阪市立大学大学院法学研究科准教授)
 「組織の倫理から組織の道徳へ―組織倫理への責任アプローチ」
 まず、桂木氏は、西洋化=近代化とみる発想や、個人の自律を中核とする原理的正当化、さらにその帰結としての相互尊重ないし無関心としての寛容という通説的な考え方に対し、多様な近代という発想や、様々な思想の習合または加上、さらに相互変容としての寛容という見方を対置した上で、後者の見方を解明する手がかりを日本の徳川幕藩体制の社会構造に求める。その上で、徳川幕藩体制をある程度の流動性を前提とする柔軟性の高い身分制度とみる桂木氏は、その時代において鈴木正三、石田梅岩、白隠慧鶴、富永仲基、海保青陵らによって展開された商人道における自由の概念に着目することにより、そこに見出される世俗倫理としての「正直」の観念とその様々な展開が、多文化状況や市場平和に適合的なバランスのとれた自由概念を提示していると説いた。
 次いで、憲法学者の毛利氏が取り上げたのは、市民社会の諸結社が本来は私的な性格をもつその諸活動を通じ、国家への正当な影響力を行使する可能性を認める市民社会論である。毛利氏は、現存国家の正当性を前提にしつつ「もう少し多くの民主主義」を求めるものとして市民社会論を捉えた上で、市民社会論の視点から今以上の改革を要しないとするハーバーマスの議会制民主主義論に一定程度肯定的な評価を与えつつ、どのような形で市民社会から国家権力へのインプットがありうるかについて検討を加え、具体的には、行政権の開放との関連ではパブリックコメントの導入について、また立法府の改革との関連で政党活動の公開や委員会の開放等について、「もう少し多くの民主主義」の観点からそれぞれの適切な在り方を探った。
 吉岡氏は、宗教的理由に基づく医療ネグレクトの事例として、最近福岡で起きた「新健康協会事件」をその思想的淵源にまで遡って詳細に分析した上で、医療ネグレクトへの法的対応として親権停止および保護責任者遺棄罪の有効性について批判的に考察を行った。その上で、「正しい」と信じてなされたこのような行為を罰しうるのかという観点から、確信反論を糸口にして、ドイツにおける「法から自由な領域」の理論や、ケアの倫理の考え方も参照しながら、かかる確信的行為者に対し、いきなり警察や刑罰を動員する強硬な対処策をとるのではなく、それ以外・それ以前にいかなる対応策を取ることができ、また取るべきなのかについて原理的な検討を行った。
 最後に、瀧川氏は、機能分化した現代社会における専門職倫理の意義と法の役割という本共同研究の趣旨に関して、倫理・道徳や責任といった基礎的概念に分析を加える。瀧川氏は、全体主義や官僚制との関連から組織倫理の病理的特徴を指摘した上で、恥と罪の観念の分析に基づいて、人が自己の所属集団から準拠集団を拡げることの重要性を説き、さらに、人が善き性格を持つことを問題にする倫理に対し、正しい規範に則して他者をどう扱うかを問う道徳の意義を強調する。その上で、問責者や正当化の在り方の観点から責任の構造を明らかにして、通常は裁量を含む専門職については責任アプローチをとるべきだとし、それが組織内部に対する責任のみ強調する組織の倫理から、外部への責任をも考慮した組織の道徳への転換の必要を強調し、法の役割はそうした責任を保証する点にあると主張した。
 各報告について活発な質疑応答や意見交換を行った。
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平成21年度 第8回エンフォースメント部会研究会 
   日 時:平成22年2月27日(土) 14:00〜21:00
   場 所:京都大学法経北館3階 第13演習室
毛利 康俊氏 (西南学院大学法学部教授)
 「N.ルーマン晩年の理論と法秩序論―DV法を素材に―」
樺島 博志氏 (東北大学大学院法学研究科教授)
 「現代型訴訟の特質と限界―水俣病事件をてがかりに―」
若松 良樹氏 (成城大学法学部教授)
 「奴隷契約について」
 まず、毛利氏は、ニクラス・ルーマンの晩年の理論の独自性に着目し、そこから開かれる法秩序論の展望を概観し、その応用例としてDV法の分析を行った。毛利氏によると、ルーマンの理論は、システムと環境の複雑性の差異に着目した「前期」、オートポイエシス論の影響を受けて作動の再帰的連結を強調した「中期」を経て、「晩期」において、システム論と現象学の視点がついに合流し、意識システムと社会システムに関して、作動を<意味>空間という一般的メディアの変容過程として観察する動的双相理論に到達したとされる。一個同一の事態の多文脈的構成と多文脈的影響の把握を可能にするこうした見方からすると、DVという事象は、統合的「人格」の構成の場として理解されるコミュニケーション・システムであるところの家族ないし親密圏において、種々のコミュニケーション・パターンの歪み等によって生起する病理として捉えられる。その上で毛利氏は、晩期ルーマンのこうした見地は、DV法の制度設計において、DV認知から決着までの多文脈性の考慮を求め、事態の複雑性を歪めずに問題把握する可能性を開く点に魅力があるのではないかと説いた。
 次いで、樺島氏は、複雑化した現代社会において司法・裁判がその機能を十分に果たし得ているかを、法の類型論と関連づけつつ、主に現代型訴訟に着目して検討した。樺島氏は、水俣病事件における病像論の争点を例に取り上げ、そこに立証責任の分配が客観的に妥当な解決を導くとは限らない等の要件事実論の限界や、損害賠償責任の法的責任をめぐる問題点を指摘した。そして田中成明教授の法類型論に依拠しつつ、水俣病事件の現代型訴訟としての特徴について、規準面ではハード・ケースとしての特質を備え、裁判の対象面では権利救済を超えて外に広がる傾向があり、手続・思考面では科学裁判としての性格が強いなど点を指摘した。その上で、裁判全体としてみた場合、効率的紛争解決、統制機能、予防的機能、交渉費用の公正な分配のいずれの点から見ても、水俣病裁判は「法の失敗」であり、法治国家の機能不全と評価せざるを得ないと説いた。そして、管理型法的な見方を強調するシステム論も生活世界を重視する批判理論も、自立型法が内在的に抱える問題を適切に捉えていないとした上で、最終的に一種の懲罰的損害賠償に適切な処方箋が求められるのではないかと示唆した。
 最後に、若松氏は、奴隷契約が自律性の価値について考察するためのよい素材であるとの見方から、奴隷契約を批判することで契約全般を無効にすることなく、また奴隷契約を契約の例外として処理することもなく、むしろ個人の選択や契約の規範的意義を説明する統一理論の中にそれを位置づける道を探り、それとの関連で、自律的な生を強制することはなぜ許され、またそれを優先させる根拠は何かについて検討した。若松氏は、そもそもJ.S.ミルの見解の中に、契約が目指すべき価値(幸福)の観点からの説明と、契約により内在的な価値(自律性)からの説明との両方があることを指摘した上で、まず前者について、実際に奴隷契約を選択した人にそうすべきでないと説明する根拠がなく、奴隷契約の選択がいかなる意味で不正解が不明であるなどの問題点を指摘した。他方、後者については、コミットメント(オデュッセウスのセイレーンの歌の例が典型)や弱い独立性(自分が正しいと判断した人に従う場合)は奴隷契約と区別できず、または両立可能であるから、垂直的自律性(人生の重要な部分における自律性)を奴隷契約が侵害するかが問題になるとされる。そこで若松氏は、自律的な生を送ることの価値を説くJ.ラズの見解を検討するが、生の事実としての自律を所与として受入れる諦念をそこに見出し、納得しがたいと説いた。
 いずれの報告についても、用語・概念の理解に関するものから原理的・内在的な批判まで、活発な議論が行われた。
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平成21年度 第7回エンフォースメント部会研究会 
   日 時:平成22年2月18日(金) 13:00〜17:30、2月19日(土)  9:30〜12:00
   場 所:京都大学法経本館4階 大会議室(2月18日)、京都大学百周年時計台記念館2階 会議室W(2月19日)
佐藤 彰一氏 (法政大学法科大学院教授)
 「自己決定/後見支援―これまでの研究と活動の成果―」
浅野 有紀氏 (近畿大学法科大学院教授)
 「リスク社会における私法の変容」
池田 恵利子氏 (いけだ後見支援ネット)
 「虐待対応を通してみる権利擁護と自己決定」
上山 泰氏 (筑波大学法科大学院教授)
 「地域権利擁護機関としての後見支援団体と地方公共団体(基礎自治体)の成年後見制度における役割について」
大塚 晃氏 (上智大学総合人間科学部社会福祉学科教授)
 「ニーズの行方 ― W.イグナティエフ 『ニーズ・オブ・ストレンジャー』を手がかりに―」
菅 富美枝氏 (法政大学経済学部准教授)
 「イギリス成年後見法における 『ベスト・インタレスト』概念の変容」
名川 勝氏 (筑波大学大学院人間総合科学研究科講師)
 「日本の成年後見制度は国連・障害者権利条約 第12条に違反するか?」
 本研究会は、「自立支援と権利擁護」をテーマとして前年度より継続開催されている研究会であり、各方面の専門家による報告と意見交換を通じて実りある議論の蓄積を目指すものである。
 佐藤報告においては、前回研究会の成果を踏まえつつ、とりわけ障害者の法的能力を巡る制度上及び運用上の問題が取り上げられた。社会福祉の基礎構造改革に際しては障害者による法的サーヴィスの主体的利用が期待されたが、民事法上の成年後見制度の下では知的障害乃至発達障害を持つ者本人から契約能力が剥奪される(行為能力が制限される)という逆説的事態が生じている。刑事法上も、犯罪を犯した障害者は刑事責任を完全には免れないにもかかわらず、その処罰後の境遇に際しての施策(地域生活定着支援センター)のみが提供されているという偏りがある。障害者の自己決定支援をいかにして制度的に確立していくか、そして障害者に対して正義の要求が提起される局面とケアが提供される局面との協働失敗をいかに克服していくかが、今後の課題であろう。
浅野報告においては、「リスク社会」化の認識に照らして、自己決定支援と関連するいくつかの問題点が指摘された。一方で実践的次元においては、複雑化し予見困難になっているリスク社会にあっては、自己決定の範囲を拡大強化することは決定者本人のさらなる負担増大を帰結してしまい、あるいはその危険を免れさせるための組織が意思決定を潜奪してしまう虞がある(例えば取引フォームによる担保の自動執行)。他方で理論的次元では、現在自己決定が問題とされる諸局面(患者、消費者、労働者、高齢者の自己決定支援)においてはパターナリスティックな規制の契機が不可避的に伴われており、ここで伝統的なリベラルな自己決定権論との整合性が問題となる。一例として成年後見制度においては、身上監護との関係でパターナリズムの問題が生じており、また自己決定促進が本人に損害の生じるリスクを高めることになるという側面も指摘される。これに対して不法行為法分野においては、公序良俗違反や取引的不法行為を通じて自己決定権侵害に対する保護を強化する動き(エンパワーメント)があり、本人保護の観点では示唆的である。
 池田報告においては、高齢者虐待防止法を巡る実務上の状況が紹介された。高齢者介護における虐待には、「不適切なケア」から「顕在化した虐待」に至るまでの幅広い段階が存在する。虐待の防止及び解決に際しては、本人意思尊重及び自己決定支援(エンパワーメント)が目的として、本人が適切な人間関係を再構築できるように支援していくことが求められる。ただし、生命の危険のある場合、虐待解決の見込みが立たない場合、被虐待者本人が保護を求めている場合には、緊急保護(危機介入)の措置を行わざるを得ないケースもある。そのために、いくつかの市町村権限が規定されており、また「地域包括支援センター」のような制度も設けられている。
 上山報告においては、ヒアリング調査を通じて、地方公共団体レベルでの成年後見制度の運用状況及びその問題点が検討された。現行法上、一定のケースにおいては自治体が積極的に成年後見制度を活用すべきことが定められている(高齢者虐待防止法における「市町村長申立」や「やむを得ない措置」)が、その運用実態は地域毎に様々であり、行政関与がほとんど行われていない自治体も存在する。その制度上の原因としては成年後見制度の制度上の位置づけ(財産管理制度か社会保障制度か)に由来する法的正当化根拠の曖昧さという問題もあるが、運用上の問題としては申立準備から後見発動までのタイムラグ、「措置」に対する過度の消極化、自治体の組織内部での啓発(周知)不足も指摘される。他方でNPO法人や社会福祉法人による後見支援組織についても、その役割の明確化、過剰負担の解消、経済的脆弱性の克服といった課題がある。これらの問題を認識したうえで、適切な公的後見システムが設計されていくことが望まれる。
 大塚報告においては、「ニーズ」概念に関するW.イグナティエフの議論を手掛かりに、障害者福祉制度におけるニーズ調整と資源分配についての検討が提示された。イグナティエフは、個人の社会的ニーズの中で、「政治的及び社会的権利の言語によって特定されるニーズ」を、個人の潜在能力を開花させるための基礎的ニーズとして重視する。しかしそれが権利の言語によって表現される場合でも、権利言説それ自体の問題と並んで、(他人による)計量可能性、そして代弁の可能性及び正当性の問題が残されている。それを政治(福祉国家)の次元で遂行することは危険を伴うものであるが、連帯の言説によって完全に克服され得るものでもない。自己決定(権)尊重の言説に、可能性を見出したい(ケアの視座にも関わる)。
 菅報告においては、イギリスの(成年後見類似の)意思決定支援法制の特徴及び意義が紹介された。この制度は、本人の自己決定支援(換言すれば、本人の自己決定に極力介入しない)のための制度であり、本人(個々人)にとっての「ベスト・インタレスト」を追求すべきものとされている。ただし、その判断に際しては、従来は客観主義(客観的ニーズの追求)であったものが、主観主義(本人自身の意向の重視)への傾斜が近年見られる。
 名川報告においては、日本の成年後見制度と国連障害者権利条約12条との整合性に関する検討が行われた。条約は、障害者が「他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める」ものとしているが、日本の成年後見制度は本人の行為能力に対する著しい制限を伴うからである。実際に法的能力を持ち得る障害者であっても本人の意思表出を受け止めることが困難になる状況は確かに存在し、また一定の限界を超える場合には、条約趣旨を尊重しつつもやむを得ないであろう。しかし、本人の能力存否を判定する基準が曖昧であるという問題、そして後見の類型変更が困難であるという制度上の問題がある。日本の後見制度の中で、能力判断システムを明確にしていく必要があると考えられる。
 各報告の後、出席者の間で、ニーズ代行判断に際しての法的基準の主観主義と客観主義、未成年者と成年後見との運用上の異同、民法上の取消権との関係、消費者法との比較等について詳細な議論が交わされた。
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平成21年度 第6回エンフォースメント部会研究会 
   日 時:平成22年2月8日(月) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第1演習室
加藤 正明氏 (京都大学大学院法学研究科研究員(学術創成))
 「配慮・答責・共同体―客観的帰属論の基本構想・その1」
 報告者は、因果関係論の問題の所在が結果負責をどのような価値と関係づけるかにあるとした上で、行為者の行為への倫理的非難が客観的帰属の基礎になければならないところ、伝統的な応報理論のもとでは、行為が義務に反するにもかかわらず結果に対する問責がなされないことを根拠づけることができなかったとして、義務とは異なる新たな倫理の提示を検討した。客観的帰属論の一場面に、行為者が問題の行動に代えて規範適合的な行動をとったとしても同様の具体的結果が発生する可能性ないし蓋然性を払拭できないという場合がある。報告者が「残余危険」と呼ぶこのような問題類型の解決策として学説で有力に主張されている危険増加原理の背景思想を明らかにすることで、報告者は上記の課題にアプローチした。それによれば、残余危険は、「人が何らかの行動をとろうとする際に直面する不確かさ」をあらわす。報告者はアルトゥール・カウフマンの寛容原理に着想を得て以下のごとく述べる。そのような状況下でなすべきなのは、他者が損害を蒙らないよう、個別具体的な予見を超えた最大限の注意を尽くすことである。そうした配慮を見せることなく冒険的行動に出た者に対して、法は不寛容にも損害が発生しないことの保障を求める。ここに、許された危険を超えて危険を高めた者が危険全体に対して答責的なのは、義務違反のゆえではなく、彼が他者に配慮すべき責務に違反したからであるとのレトリックが提示される、と。さらに、残余危険ケースにおける、行為者が義務適合的に行動しても損害が発生するかもしれないということは、「行為の相手が自己の利益・財を自力で擁護しきれない」ということも意味している。相手のそのような弱さを汲むことが「他者への配慮」の出発点であるとして、報告者は、「自らのとるべき行動を具体的な他人との間に生じる人間関係から感じ取る」というケアの倫理を引き合いに出す。そうすることで、他者への配慮の起源は、理性というよりは、相手との関係を大事にする感情ないし性格(徳)であり、他者への配慮を欠いた行為は、たとえ動機が純粋でも、その徳のなさゆえに共感を得るどころか、憤慨の対象となる。これが行為の反倫理性を基礎づけるのだ、と報告者はいう。そうだとすれば、応報は行為者への人格的非難というよりも、「もはや誰も行為者と関係をもちたいとは思わない」ということ、つまり、共同体からの排除を意味するものとなる。応報は垂直方向から水平方向へと転換するとして、報告者は「新しい応報思想」を提唱する。新しい応報思想のもとでは、国家が共同体のために刑罰権を行使することになる。ただし、国家と行為者の関係では、義務違反が刑罰を基礎づけるので、犯罪は、義務違反(行為反価値)と責務違反(結果反価値)の二元的構造になるのではないかと報告者は述べる。
 以上の報告のあと、報告者の「新しい応報」論は社会防衛論になるのではないのか、報告者は国家に代わり「共同体」なるものが制裁を加えてもよいと考えるのか、共同体内部での責務を敢えて語ることに意味があるのか、などが議論された。
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平成21年度 第5回エンフォースメント部会研究会 
   日 時:平成22年1月9日(土) 14:00〜16:30
   場 所:芝蘭会館別館 研修室2

河 幹夫氏 (神奈川県立保健福祉大学教授)
 「社会福祉基礎構造改革―新しい公共と法を考える―」

 河氏は、厚生省社会・援護局施設課長、同局企画科長、厚生労働省参事官(社会保障担当)、内閣官房・内閣審議官等を歴任され、本報告のテーマである社会福祉構造改革の実現に尽くされた。関西社会保障法研究会との合同で開催した本研究会では、施行後10年を迎えた同改革の趣旨・理念について、法および公共の在り方と関連づけて話していただいた。
 河氏によると、社会保障論には、現金給付か社会サービス給付か、生活保護か社会保険か、「平等」年金か「公平」年金かといった「大きな流れ」の対立があるが、基本となるのは、その時・その場で提供が行われねばならないという社会サービスの特性を捉えることであり、その意味で社会サービスはもともと地域福祉論とつながるものである。その際、「人間の尊厳」は「自由(権)の尊重」が基盤であり、かつてのハンセン病の治療システムのように、人間の人生を断ち切って初めて社会権が満足されるとする考えは誤りだ。基本には自由権の尊重があり、それをどう支えるかは保護ではなく支援であり、社会権としての支援でなければならない。
 社会サービス論の「舞台」と「舞台装置」という比喩を用いるなら、舞台の上ではサービス提供者がサービス利用者と顔を見合わせて自由にサービス提供を行う。他方、舞台を成り立たせる舞台装置にあたるのが社会保障制度であり、その理念が連帯であって、保険か税金かというようにその在り方は時代により変わってきた。また、国民の負担を求める以上、民主主義との関連で、サービス提供の支援の在り方のルールをどうするかが問題になる。
 社会福祉基礎構造改革は、社会福祉の在り方を、平等化・公法・恩恵を旨とする従来の公的措置制度から、舞台の上では、経済的要因に関しては公平な応能負担により、法律的要因としては私法に基づき、社会的要因としては対等な関係にある「市民社会」を実現し、それを舞台装置の側で、社会連帯に基づき経済的・法律的・社会的に下支えするという体制へと転換するものである。こうした改革の背景には、人々の生活が豊かになったことの他に、少子・高齢化の進展、家庭機能の外部化、地方自治体の変容(中央集権的な統治的組織から自治組織へ)がある。
 重要なのは、社会サービス費用を社会的に支援する理由を議論することだ。ハンセン病療養所のように、公権力の行使に伴う行為は措置制度であるから、国が金を出す。また貧困についても、所得分配の考えが取り入れられ、措置制度として生活保護が行われる。これに対し、介護保険では、サービス市場(「いちば」と呼ぶ方が相応しい)の整備が必要であり、それは自立支援のためのものである。しかし、市場の世界でよいと言っているのではない。市民社会を前提に設計するが、それとペアにして、舞台の上での下支えのシステムを設ける必要がある。サービス情報の提供、権利擁護事業、苦情処理、社会福祉法人の活性化という4つのサブシステムがそれであり、これらが保護を目的に前面に出るべきでないのは、消費者保護行政の場合と同様である。
 以上のように説いて、河氏は、ここで起こっていることが、国家の論理か個人の論理かという枠組みでは整理できない、新たな「公共」と捉えるべきではないかと示唆した。そして、舞台装置と舞台の上についての議論もまた、そうした公共の場に据えられるべきであると指摘した。
 質疑応答では、社会法という法領域をどのように位置付けるかという問いの他、河氏の社会権の捉え方に対する異論も出され、活発な議論が行われた。
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平成21年度 第4回エンフォースメント部会研究会 
   日 時:平成21年12月18日(金)14:00〜18:00、12月19日(土)10:00〜15:00
   場 所:国際高等研究所 セミナー1
服部 高宏氏 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
 「法と倫理のコラボレーション」
那須 耕介氏 (摂南大学法学部准教授)
 「民主政と専門家の役割について」
石本 傳江氏 (山陽学園大学看護学部教授)
 「看護における倫理教育の現在」
大野 達司氏 (法政大学法学部教授)
 「市民社会(論)と法思想史」
 服部は、多様な専門領域に分化した現代社会において、専門職倫理や組織倫理など、各専門領域において独自に形成・維持される倫理規範の意義が高まっており、人々の価値ある生活を実現・維持していく上で不可欠のものとなっているとの問題意識から、法と専門職倫理・組織倫理との関係など、現代社会における法と倫理との間の適切なコラボレーションの在り方に考察の焦点を合わせ、活気ある社会を可能にする秩序形成の在り方を模索する研究を進める意義を説いた。
 次いで、那須氏は、環境ガバナンスの政治的条件について、そもそも「民主的な環境ガバナンス」が語義矛盾ではないかという疑念を抱きつつ、批判的検討を行った。環境ガバナンスの問題設定・構想には、専門家(とくに自然科学者)の理論知が不可欠の前提となっており、ガバナンスの過程が権威主義化する危険がある。かかる問題意識に基づき、那須氏は、環境倫理の中心的理念―世代・国教・種に関する自己中心主義の克服―を民主的に受容・支持されうる形へと練り直すべきだと説く一方、民主的な環境ガバナンスを支えるために果たしうる専門家の役割については、共感的批判者による争点の明確化と、規範企業家による課題・領域の限定と環境負荷の低い生活様式の提案・擁護が重要であると指摘した。また、環境ガバナンスに対する民主政の貢献可能性を再構想するため、テクノクラシー化への抵抗、諸政策・制度の政治的正当性の検証や、環境ガバナンスを先導する価値意識と文化の実験的な想像・試行・育成が重要であると説いた。このような見解との関連で、民主政は「最も説得し難い者」を説得する企てであるべきだと説く一方、専門家の役割については、再帰的・集合的パターナリズムの推進や規範企業家としての活動の意義を指摘した。
 さらに、石本氏は、真に人間の尊厳を守る看護を目指すという観点から、看護における倫理教育の現況について、その背景や歴史的経緯も含めて紹介した。まず、なぜ看護倫理教育が必要かという点に関しては、歴史的に軽視されてきた看護にも重要な独自の価値観があることや、看護師が臨床で体験する種々のジレンマへの対処の必要が挙げられた。また、看護倫理教育の歴史的背景としては、アメリカと対比しつつ我が国における看護倫理の歴史が紹介され、いずれにおいても柱となっているナイチンゲール誓詞の趣旨が説明された上で、看護倫理に対する関心の高まりが、それに関する文献の増加に如実に表れていることが示された。その上で、石本氏は、看護倫理教育の現況と関し、看護実践上の基本的な倫理概念として、「責任」や「協力」とともに、「ケアリング」および「アドボカシー」を挙げ、一方では看護理論におけるケア・ケアリングの概念の受容と展開について、他方では看護によるアドボカシーの可能性と必要性について検討を行った。
 最後に、大野氏は、公的/私的という区分の間に存在する領域に着目し、そこで展開される「市民社会」の活動との関連で、法の制度的な位置づけや国家の責任について検討を加えることの意義を主張した。大野氏は、国際関係のみならず身近なところでもグローバル化が進行しているとの認識に立ち、「市民社会」の活動は国家を通じた公的なものに限定されるものではなく、むしろそれらの問題や課題の性質からして、市民が家族・近隣・結社などで相互に扶助や支援をしつつ、自分たちの生活空間を自ら形成していくところにも、ある種の「公共」が存在すると説く。そして、参加や支援を含めて様々な形で展開されるこうした「公共」の活動を有意味にする上で、それに対する法をはじめとする制度的な位置づけがどのようにあるべきかを検討することが、法形成や責任といった法哲学上のテーマにとっても重要であることを指摘した。
 以上の各報告を基に、活発な質疑応答や意見交換が行われた。
(国際高等研究所 研究プロジェクト「法と倫理のコラボレーション―活気ある社会への規範形成―」との合同研究会)
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平成21年度 第3回エンフォースメント部会研究会
   日 時:2009年11月30日(月) 14:30〜16:30
   場 所:京都大学百周年時計台記念館2階 会議室W
森田 果氏 (東北大学大学院法学研究科准教授)
 「支払決済法―手形法小切手法の再構築」
 本報告は、手形小切手法を、伝統的な手形法理や有価証券法理から解放し、法理論の背後に隠されていた政策判断を明らかにした上で、機能的に説明しようとするものである。
 まず、本報告では、手形小切手法を含む上位概念として支払手段法という視点が示され、その機能として、現金代替機能・リスク配分・信用機能が指摘された。
 次に、支払い手段の機能的分類として、@紙ベースor電子ベース、Auniversal or network、Bopen loop or closed loopという三つの視点が示された。
 このうち、A"universal"とは誰でも使えるものを言い、貨幣が代表例である。これに対して、"network"とはネットワークに加盟している者だけが使えるものを言い、電子マネーやクレジットカードが代表例である。
 報告者によると、約束手形や小切手はuniversal型なのに、裁判例を含めた運用はnetwork型に限りなく近い。手形要件を満たしていても、統一手形用紙を用いていなければ、無効とした裁判例があるのはこの例である。もっとも、手形はuniversal型の側面も有しているために、例えば、手形法四〇条三項(支払免責)が規定されている。これに対して、小切手はnetwork型であり、常に契約や約款によって規律し得るのだから、そのような規定を類推する必要はない。
 つづいて、手形小切手関係の無因性について機能的な説明が試みられ、大量の取引を行う銀行振込の場合と、調査コストを誰が負担するかが問題となる手形小切手の場合とでは、「無因」といっても実質は異なることが示された。
 また、無権限取引についても機能的分析が行われ、預金取引と同様に、リスクの支配領域に応じて法的処理を分けるべきことが示唆された。さらに、交付欠缺についての日本とアメリカの銀行取引実務の相違が参照され、何れがリスク配分として効率が良いかという機能的分析によって、異なる法系を比較できることが示された。
 さらに、B決済機関に1回1回戻す"closed loop"と、決済機関に戻さず当事者の間で転々流通する"open loop"の相違に関して、信販会社が決済機関的な役割を果たすクレジットカードの名義貸しと決済当事者として現れる可能性のある融通手形で取り扱いが分かれることが説明された。
 以上のように、本報告では、手形小切手法の伝統的な争点が、手形法理を使わずに説明された。本報告に対しては、アメリカ及び日本の法実務との関係、経済分析に基づく規範的主張の範囲とそれを裏づけるデータの存否などについて活発な議論が行われた。
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平成21年度 第2回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成21年9月23日(水・祝) 9:00〜12:00
   場 所:京都大学法経北館3階 第13演習室
エリック・ヒルゲンドルフ氏 (ヴュルツブルク大学法学部教授)
 「グローバル化と法―今日の比較刑法の課題と方法―」
 ヒルゲンドルフ教授は、刑法学・法哲学が専門であるが、今回の報告においては、比較刑法の課題と方法という観点から、現在我々が直面しているグローバル化の時代における比較法の共同研究の在り方について詳細な検討と具体的提言とを行った。
ヒルゲンドルフ教授によると、ドイツにおける比較法は民法に関するしれが席巻してきたが、それでもフォイエルバッハ、コーラー、ラートブルフ、イェシェクらにより比較刑法が試みられた。そうした比較刑法の課題のうち、とくに学術面でのそれとしては、自国の法秩序が抱える問題を解決するうえで、自国と類似の経済的・社会的発展状況に他の法文化での取組みを参考にし、そこから学ぶということが重要な点として挙げられる。しかも今日では、国家の刑法システムの同化と調和が試みられ、国際刑法やEU刑法など、国際的な刑法規範が創出されており、比較刑法はますます大きな意義を持つようになっている。
他方、比較刑法の方法としては、ドイツではイェシェク、ペロン、ジーバーらによって提唱されてきたものがあるが、そうしたなかで、外国の刑法典の文言のみを解釈論的に分析するだけではなく、それが現実に及す作用や機能の方に注目する機能主義の見方がとりわけ重要である。以上のようにドイツにおける比較刑法に関する従来の議論を整理した上で、ヒルゲンドルフ教授は、比較刑法の意義がますます高まっている今日、その視座をよりいっそう拡大し、またその学際的性格を強化するためにも、法を文化の一部としてみるという見方を重視しつつ、外国の法文化から学ぶという東アジア諸国の伝統的な姿勢にも触発されて、各法文化の代表者の参加も得ながら共同研究を進めていくことの重要性を強調した。
 質疑応答では、国家を越えた刑法規範と各法文化ごとに制定されるべき刑法規範とを実際にはどのように区別するのか、比較刑法が法理論全体の中でどのような位置をもつのか、法の統一は偶然的なものでよいのか規範的正当化を必要とするのか、などの点について活発な意見交換を行った。
 また、ヒルゲンドルフ教授の報告に先立って、川瀬貴之研究員が「法と政治のグローバル化――土着語における政治と多極共存型民主制」という題目で、また加藤正明研究員が「残余危険と責任倫理」という題目で、それぞれ自己の研究に関する短い報告を行い、ヒルゲンドルフ教授から有益な意見と助言をいただき、意見交換も行った。
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平成21年度 第1回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成21年9月17日(木) 14:00〜18:00
   場 所:京都大学法経北館3階 第13演習室
栗田 佳泰氏 (富山大学経済学部講師)
  「憲法とリベラル・ナショナリズム」
川瀬 貴之氏 (京都大学大学院法学研究科研究員(学術創成))
  「ジョセフ・カレンズの多文化主義―文化批判の観点から―」
 栗田報告においては、リベラルナショナリズムを憲法学の観点からどのように理解することができるのかが示された。まずは、長谷部恭男・佐藤幸治らの議論を参考にして、グローバル化の時代において人権保障や帰化制度・公教育に見られるナショナルな特徴が憲法学においてどのように論じられているのか、リベラリズムが憲法学者によってどのように理解されているのかが検討された。次に、リベラルナショナリズムの論者として、ウィル・キムリッカ、ヤエル・タミール、デイヴィッド・ミラーが紹介され、それらの理論の憲法へのインパクトとして、国籍・幸福追求権・政教分離原則・公教育と信教の自由・公教育と価値教育という論点について、判例を取り上げながら、リベラルナショナリズムの観点からの評価がなされた。そして、このようなリベラルナショナリズム論は、ネイションという概念を利用することによって、憲法学により現実的な理論展開をもたらすという含意が示され、ネイションへの所属感覚が自由・平等・民主主義のような諸理念とどのように密接な関係を持ちうるのかが確認された。
質疑応答においては、個人的権利と集団的権利を区別することの可能性について、移民を受け入れる条件について、ネイション概念の不明確性などについて議論が交わされた。
 川瀬報告では、カナダの政治学者であるジョセフ・カレンズの議論を土台として、文化的に多元的な世界において、我々に固有の規範に基づいて、それを共有しない他者の文化的実践を批判することの是非が問われた。そして、社会内在的な解釈的営為としての道徳を主張する共同体主義者のマイケル・ウォルツァーが、他者への批判に対して消極的であり、コスモポリタンの立場から普遍的人権を説くマイケル・イグナティエフが他者への批判に積極的であるのに対し、カレンズは両者の中間的な立場を取っていることが確認された。そして、同心円としての正義というモデルを提唱するカレンズの文化批判の作法が、特にイスラム社会と西欧社会との対立という具体的文脈に即した事例において、文化規範の尊重・身体的危害防止の重視・独善性の回避という指針として現われていることが説明された。
 質疑応答においては、カレンズの理論の法哲学的意義、文化批判と人道的介入の関係、それらの問題を多文化主義の文脈に位置づけることの問題性などについて、活発な討論がなされた。
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平成20年度 第7回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成21年3月25日(水) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第1演習室
福重 さと子氏(学術創成研究員)
  「行政による民事執行と行政制裁ーフランスにおける新動向ー」
 本報告では、行政上の義務の強制執行について、行政自身による強制を原則とする行政的強制型と、裁判所による執行を原則とする司法的強制型があるが、後者が採られていると考えられてきたフランスにおいて、近年新しい動向があることを示すため、行政による民事執行と行政的制裁の問題について検討が行われた。第一に、動向として、@裁判所による強制型によれば、行政による民事執行は問題なく認められるものと考えられるが、従来も、様々な理由で裁判所はそれを許容しないことがあったのであり、また、近年、立法が行政自身による強制執行を認める例が増加しており、憲法院もそのような立法を合憲と認める傾向があること、A民事執行が認められる場合でも、裁判所が行う行政行為の適法性の審理を希薄化させている例があり、それについて、裁判官は行政の行為に実際上覊束されており、国民の権利の保護において期待された役割を果たしていないと述べる者もいること、B行政制裁が一貫して増加する傾向にあるということが指摘された。第二に、このような動向に対する学説の態度が検討され、一方で、このような動向は、国民の権利保護の要請を犠牲にするもので望ましくないものであると述べる学説もあるが、他方で、従来とは異なる枠組みにおいて、この動向を国家の役割の変化の中に位置づけ、国家は、かつてのように「権力者」ではなく、「調整者」として、複数の利益間の調整を行うようになっており、手段として交渉と説得を基本とするようになっていると述べる学説もあるということが示され、後者の学説によれば、裁判官の統制を強化することは必ずしも望ましいことではないのではないかとされた。
 質疑応答においては、@行政による民事執行を認めることについて、日本では、この訴えの根拠となる権原をどのように構成したら良いかについて議論があるが、フランスでこのような議論はあるか、A行政が民事執行を求めるのが、フランスのように行政裁判所である場合と、わが国のように司法裁判所である場合について、同じように議論することは妥当か、B民事執行についての裁判官の審理が希薄であるとしても、それは、後に行政行為が訴訟によって取消されることを留保して行われるものであり、また、問題となっているのは、レフェレ手続という仮の審理手続であるから、その時点で審理が希薄であることは問題とならないのではないかといった点について議論が行われた。
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平成20年度 第6回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成21年3月10日(水)13:00〜18:00
   場 所:京都大学法経本館4階大会議室  

大塚 晃氏(上智大学総合人間科学部社会福祉学科教授)
  「障害がある人の自立支援とは」
名川 勝氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科講師)
  「介助者関係の形成と意思決定の起始」
梶山玉香氏(同志社大学法学部教授)
  「発達障害者の自立支援―民法で「できる」こと・民法学者が「考えるべき」こと―」
上山 泰氏(筑波大学法科大学院准教授)
  「成年後見制度による権利擁護機能」
池田恵利子氏(いけだ後見支援ネット)
  「自己決定と権利擁護」
石本 傳江氏(青森中央短期大学看護学科教授)
  「看護倫理概念としてのNursing Advocacy」
佐藤 彰一氏(法政大学法科大学院教授・弁護士)
  「総 括」

 本研究会では、「自立支援と権利擁護」をテーマに、実務・実践もふくめて、成年後見・障害者福祉・看護などの分野でご活躍の方々にお集まりいただき、高齢者・障害者・患者などの自立支援・権利擁護の制度の現況とその問題点について、研究報告および相互の意見交換を行った。
 まず、厚生労働省の元障害福祉専門官で、障害者福祉が専門の大塚晃氏は、障害者自立支援法の目指すものという観点から、障害者の自立・自己決定とそれを支える権利擁護の在り方について、理念と制度の両面から検討を行った。次に、同じく障害者福祉が専門で、佐藤彰一氏ととともに、成年後見の利用促進と相談・支援等を目的とするNPO法人の運営にも携わる名川勝氏は、障害者の介助場面における会話分析の手法を通じて、知的障害などのある人の支援の在り方について考察を加えた。さらに、民法学者の梶山玉香氏は、従来の障害観になじまない発達障害を民法上どのように処遇すべきかという問題関心から、発達障害者支援の動きをふまえた上で、発達障害者に対する教育的支援や民法上の支援の可能性とその限界について論じた。同様に民法学者で、成年後見制度に造詣の深い上山泰氏は、成年後見制度に社会保障法的性格を容認する立場から、低所得・無資産の反応力不十分者に対する成年後見利用の可能性や、民法の外部における成年後見人の地位の拡張可能性について、具体的制度をふまえて検討を加えた。また、高齢者の自立支援システムの拡充に大きな役割を果たしてこられた社会福祉士の池田恵利子氏は、当事者の自己決定権と選択権の保障を自立概念の規定に据え、本人を権利主体として捉えた上での自立支援の在り方と、ソーシャールワーカーが果たしうる役割およびその価値前提とを明らかにした。最後に、基礎看護学の専門家で、長年にわたり看護師養成に携わってこられた石本傳江氏は、専門職としての看護師にとっての倫理規範の意義を指摘した上で、とくに看護師によるアドボカシーの重要性に注目し、英米の論者らによるその理論的展開の現状を紹介しつつ、教育および臨床の場での看護アドボカシーの意義を説いた。
 以上の報告ごとに参加者間で意見交換を行い、最後に、民事訴訟法学者・弁護士で、成年後見の利用促進の活動にも携わってこられた佐藤彰一氏が、全体の総括を行った。 
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平成20年度 第5回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成21年2月23日(月) 14:00〜17:30
   場 所:京都大学百周年時計台記念館2階 会議室V
「多元論的リベラリズムをめぐって」
 濱 真一郎氏 (同志社大学法学部准教授)
 玉木 秀敏氏 (大阪学院大学法学部教授)
 平井 亮輔氏 (京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授)

 本研究会は、濱真一郎氏を迎え、同氏の近著『バーリンの自由論 多元論的リベラリズムの系譜』の検討を通じ、バーリンおよびその系譜に位置する現代自由論の意義を探ろうとするものである。本書は、近時研究が深められているバーリンの自由論を題材に、ジョン・ロールズに代表される現代正義論とは異なる、自由論の系譜を再構成するとともに、その背後にあるバーリンの「価値多元論」と「最小限に品位のある社会」の概念に遡ることで、バーリンの思想の現代的意義を明らかにしようと試みるものである。理想の追求に積極的な現代正義論に対し、本書が提示する価値多元論的リベラリズムは理想の追求には禁欲的で、絶望的な状況の回避に力点がある。このような試みは、国家が個人を主導して理想を追求する福祉国家のあり方が強い批判にさらされる中で、ポスト構造改革における自由と共同性を鍛え上げようとする学術創成研究のテーマと密接に関連するものである。
 まず、濱氏の基調報告においては、ジョゼフ・ラズ研究から出発し、その背後にある自由論の系譜の研究へと進み、グレイを経て、バーリン研究に展開したという本書の生成過程が振返られ、その過程で、価値多元論とリベラリズムがいかに調和しうるのかについてのバーリンの議論の概要が提示された。
 次に、玉木コメントは、ロールズに代表される正義論とは異なる流れに注目した点に本書の意義があるとしつつも、価値多元論的リベラリズムの系譜にいかなる論者が入るのか、またロールズの政治的リベラリズムにおける包括的教説と価値多元論とはどんな関係に立つか等の点で、価値多元論の意味と位置づけに関して本書に曖昧な部分が残ると指摘した。
 次いで、平井コメントは、バーリンにおいて妥協が可能である範囲はどこまでか、愚かな振る舞いを許容するのがリベラリズムの本義だとする観点からみてバーリンはリベラリストであると言えるのか、寛容と妥協とはいかなる関係にあるのか、等の問題を提起した。
質疑応答においては、本書は政治思想史的アプローチと法哲学的アプローチの双方を含むが、前者による探求の方がバーリン理解として実りが多いのではないか、ハイエクと比較するとバーリンには権利の観念が見られず、むしろ非リベラルなのではないか、価値多元論は規範的相対主義に位置づけられるのではないか、といった問題をめぐり活発な議論が行われた。

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平成20年度 第4回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成20年11月14日(金) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第1演習室

福重 さと子 氏 (京都大学大学院法学研究科研究員(学術創成))
 「フランスにおける公物管理権の一般理論の成立
  −行政によるエンフォースメントの位置に関する一考察−」

  本報告では、行政的なエンフォースメントの法的構造の一側面を明らかにするという観点から、公物管理権の性質に関するフランスの議論の紹介が行われた。フランスの議論では、公物管理権を所有権として性格づける所有権的学説と、公物管理権は所有権ではなく保管権ないし主権に由来する権能であるとする反所有権的学説が対置されるが、前半では、これら両学説はいかなる点を争点としているのかが、後半では、議論の状況は現在どのようになっているかが検討された。前半では、公物法理論の成立とともに成立し19世紀の間支配的であった反所有権的学説の意図が検討され、この学説によって、一方で、私人が所有権や物権などの何らかの権原を主張して公物に関する行政の決定に口出しすることが阻止され、他方で、行政の側も排他的権利を私人に与えることを阻止されたとされ、このように、反所有権的学説は、公物に関する決定を行政に独占的に行わせるべきであると考える立場であるとされた。後半では、20世紀に徐々に受け入れられた所有権的学説がいかなる射程を有するかが検討され、それによれば、第一に、この学説の提唱者であるモーリス・オーリウは、反所有権的学説のものとは異なる制度上の帰結を導こうとしたというよりは、同じ制度の説明の仕方を変えようとするだけにとどまっていたし、第二に、この学説を決定的なものとした1930年代の判例は、確かに、公物の利用者のうち特定の事業者に他の事業者との関係で独占を与えるという目的で行政が行動し得ると述べていたが、しかし、この判例の射程を判例の際問題であった公共輸送事業の領域以外に容易に拡大しようとする見解は見られず、したがって判例の射程は限定的に解されるべきではないかという見方が示された。
 質疑応答においては、@フランスの学説が、リアリズム法学にみられるように所有権概念を用いるのではなく「権能の束」として捉えるということをせず、所有権概念を用いたことの意味は何であるかという質問がなされた。次に、A我が国の公物法理論における公所有権説と私所有権説の対立という分析枠組みを用いるとき、オーリウの所有権はどのように位置づけられるのか、民法上の所有権と性質の異なる所有権というならば、民事の裁判所において占有の訴えが認められることは整合的に説明できないのではないのではないかという点が指摘された。また、Bこの報告における議論がどのようなアクチュアリティーをもつかが議論され、この問題について報告者は、民営化の流れの中で伝統的な反所有権的学説が再検討されている、なぜなら、経営を委ねられた民間企業が所有権的学説の下で抵当権を設定することを禁止され、それゆえ金融の道を断たれる結果となっている状況があるからであると述べた。
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平成20年度 第3回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成208年5月23日(金) 14:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館3階小会議室

原田 大樹 氏 (九州大学大学院法学研究院准教授)
  「規制手法の多様化と規制システム間調整」

 本研究会ではまず原田氏の報告が行われ、それによれば、(1)「規制」概念を、「法主体に対して外部からのインパクトを与えることにより、 公的利益の実現に適合的な行動がとられるようになること」として、すなわち、一方で誘導のような直接的な行為命令を含まない行動促進も含み得、 また根拠として一定のルールに裏打ちされているかを問わない点で広く、他方で、限られた資源の調達と配分の目的である給付を含まないものとして 定義し、広く「規制」をめぐる現象の変化を捉えていくべきである、(2)「規制」の分析には、行為形式のレベルを超えて、政策目的との関係で行 政が採り得る手段の類型を示す「規制システム」のレベルでの検討が有益である、(3)「直接規制」、「間接規制」、「枠組規制」といったように 規制が「多様化」している現状がある、さらに、(4)公的セクターの内部においてさえ、国際機構・国家・自治組織というように規制主体が「多元 化」しており、またこのため、各主体の定立する法規範の間での調整の問題が生じている等といった分析が行われた。終わりに、この最後の問題を解 決する手がかりとして、国際人権・国際立憲主義、或いは、グローバル・ガバナンス論が示唆された。
 続いて、主に以下のように、氏の見解をめぐって質疑応答が行われた。(1)民主的統制を及ぼしにくい構造のEU法の議論を事情が異なる国内 の法にあえて適用する意義があるかという質問に対しては、問題が共通している場合に限ってではあるが適用することができると考えられ、そのため EU法の全体像を明らかにする必要性があると思われるという答えがなされた。(2)氏の立場と従来の公法理論との関係については、できる限り従来 の理論で処理しようとする立場であるとした。(3)税法の分野では、国際会計基準は公平な課税を実現するという目的での客観的な指標として課税 においても従来重視されてきたのであるが、氏の述べるように、国際会計基準がそのようなものではなく、利害の調整のための「規制」であるならば、 もはや課税を国際会計基準に依拠させることは困難になるかという質問に対しては、アングロ・サクソン系の国においては、国際会計基準の税とは異 なるものとして扱いが確立してきており、客観的指標としての性質は次第に認められなくなるのではないかとした。さらに、(4)「規制」の定義に 行政主体の関与の要素を入れない場合、民法も「規制」の手段であることになるかという質問に対しては、「規制」は何らかの形での行政の関与を想 定しており、かなり遠い関与も含むことになるが、民法は遠すぎると考えられるとした。
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平成20年度 第2回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成20年5月17日(土) 14:00〜18:00
   場 所:南山大学J棟1階特別合同研究室
「キャス・サンスティーンの理論をめぐって」
  稲葉 一将氏 (名古屋大学大学院法学研究科准教授)
 瀧川 裕英氏 (大阪市立大学大学院法学研究科准教授)
 大森 秀臣氏 (岡山大学社 会文化科学研究科准教授)
 大屋 雄裕氏 (名古屋大学大学院法学研究科准教授)
 松尾  陽氏 (京都大学大学院法学研究科研究員(科学研究・学術創成))
 本研究会は、サンスティーン教授の見解を紹介検討するものであり、稲葉報告においては、行政法学の観点からの位置づけとその評価について の報告がなされ、準備会においては、6月の名古屋セミナーに向けて、教授の「司法ミニマリズム超えて」という講演に対する、4人のコメントの概要 が報告された。
 稲葉報告においては、行政機関の法解釈に対する司法審査の謙抑の問題に対するサンスティーン教授の見解が紹介され、その意義と限界が指摘 された。まず、アメリカ行政法学・実務できわめて重要な地位を占め、かつ、その理解が分かれている1984年のChevron判決に対するサンスティーン 教授の理解が取り上げられ、連邦議会における熟議を重視している点、行政の専門性を重視している点が指摘された。次に、20世紀の行政法学におけ る「行政」理解の展開の中におけるサンスティーン教授の位置づけが問われ、教授の見解が参加を重視している点で多元主義的理解と共通点があるも のの、その質を問うている点で相違するという点、また、公私の峻別論に立つことによる限界があるのではないかということが指摘された。本報告に 対しては様々な質疑がなされて、そこで議論された主題は、(1)公私の協同的統治を唱え、近時注目されているJody Freeman教授の見解とどのよう な異同があるのか、(2)立法過程における熟議と行政過程における熟議との異同とりわけ司法審査の謙抑の対象となるべき行政固有の専門性、(3) 日米の相違を前提としてもサンスティーン教授の主張に含まれている価値が日本においてどのように反映されているのかなどである。
  準備会においては、名古屋セミナーのコメンテーター予定者からその概要が紹介され、大森報告においては、ミニマリズムにある二つの制度的 前提「司法不信」と「立法信頼」が抽出され、「狭い」「浅い」判決が立法と司法という二つの機関を上手く機能させるのかという問題が、大屋報告に おいては、@サンスティーンのいうagreementとdisagreementというものが本当に存在するのかという問題とA日米における司法の役割についての理解 の相違の問題が、瀧川報告においては、サンスティーンの法理論が司法ミニマリズムを超えてどこへ向かうのかを考察するために彼の理論前提は何かと いう問題が、松尾報告においては、アメリカ憲法理論からの司法ミニマリズムがどう位置づけられるのかという問題(理由付与との相違、司法の優越性 の問題)が批判的に紹介され、四人を含む研究会参加者の間で意見が交換された。
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平成20年度 第1回エンフォースメント部会研究会
 (三部会合同研究会) (法理学研究会と合同開催)
   日 時:平成20年4月19日(土) 14:00〜18:45
   場 所:同志社大学光塩館・第二共同研究室
土井 真一氏 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「C. Sunsteinの「司法的最小限主義」(Judicial minimalism)の意義と射程」
川濱 昇氏 (京都大学大学院法学研究科教授、研究代表者)
  「認知能力の限界とパターナリズム」
 本研究会は、キャス・R・サンスティーン教授の見解を紹介検討するものであり、土井報告においては、社会の秩序形成における司法の役割(サンス ティーンの司法最小限主義)の問題、川濱報告においては、市場の秩序形成と関わる行動法と経済学の意義(サンスティーンのリバタリアン・パターナ リズムの理論的背景)の問題が扱われた。
  土井報告において紹介検討された論点は、具体的には、(1)司法判断最小主義の手法(判断の射程、判断の理論的正当化の程度、不完全にしか 理論化されていない合意、類比)、(2)その歴史的背景(レーンキスト・コートにおける保守派・中間派・リベラル派の均衡)、(3)司法最小限主 義の前提条件と正当化論拠(多元性、限定合理性、熟議民主政論における司法の役割)、(4)ロールズの議論との比較(政治哲学と憲法学の役割の相 違)、(5)司法最小限主義とBurke主義との関係(「伝統」と「合理主義」との関係の問題)、(6)その意義(プラグマティズム)と限界(ルールが 妥当する領域、漸進的改革の限界)である。
  本報告に対しては様々な質疑応答がなされ、そこで議論された主題は、(1)サンスティーンの熟議民主政はそれが生み出す結果の観点から望ま しいとされるのか、結果の如何に関わらず望ましいとされるのか、(2)司法最小主義は抽象化の問題を扱っているが、体系化、概念化の問題を扱って いるのか、扱っているとすればどのように取り組んでいるのか、(3)欠缺の問題を取り扱っているか否かなどの問題である。
  また、川濱報告においては、リバタリアン・パターナリズムの理論的背景にある行動法と経済学を中心にそのサーベイと検討がなされた。そこで 取り扱われた問題は、具体的には、(1)行動法と経済学の位置づけ(伝統的法と経済学に対抗して登場した点、個人の相互的インタラクションをも取 り扱う実験経済学とオーバーラップする点と相違する点)、(2)合理性からのシステマティックな乖離を引き起こす認知能力の限界(情報処理能力に おける不合理性、選好の非整合性、意思力の弱さ)、(3)認知能力の限界が市場で是正されるか否(鞘取り、Money Pumpの可能性)(4)認知能力の限界とパターナリズム(選択肢を排除することなく厚生を増大させる形での介入の問題、ベースライン問題、厚生 評価の困難)である。
  本稿に対しては様々な質疑応答がなされ、そこで議論された主題は、(1)合理主義的ではない人間は淘汰されうるのか否か、(2)認知能力の 限界が学習によってカバーされうるか否か、(3)リバタリアン・パターナリズムは従来のパターナリズム研究においてどのように位置づけられるか否 かなどの問題である。
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平成19年度 第8回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成20年3月18日(火) 14:00〜18:00
   場 所:京都大学法経北館3階 第13演習室
瀬戸山晃一氏 (大阪大学大学院法学研究科講師)
  「Cass R. Sunsteinと行動心理学的『法と経済学』−反パターナリズムの主張に注目して−」
中林 良純氏 (京都大学大学院法学研究科学生)
  「サンスティーン/セイラー『Libertarian Paternalisum is not an Oxymoron』について」
 本研究会は、平成20年度第2回国際ワークショップに際して主要テーマの一つとなるリバタリアン・パターナリズムに関して検討するために催されたものである。
 中林良純氏の報告は、主として「リバタリアン・パターナリズムは撞着語法ではない(Cass R. Sunstein and Richard H. Thaler, Libertarian Paternalism Is Not an Oxymoron, The University of Chicago Law Review, vol. 70, No. 4, 2003)」の議論を紹介するものである。それによれば反パターナリズムの主張は、(1)本人がみずから決定し得ることに価値があり、(2)パターナリズムは回避可能であり、(3)パターナリズムは常に強制によって本人の選択の自由を失わせるのだという。しかしそれに対する反駁としては、第一には限定合理性の認識から、選択の自由を認めつつもその厚生を促進することの意義が説かれる。また第二に、デフォルト・ルールの定立やフレーミング効果にみられるように、選好形成に対するパターナリスティックな影響は不可避的である(これに関して、介入のいくつかの類型化が試みられる)。さらに第三の論点に関しては、リバタリアン・パターナリストの構想を精緻化することによって応えている。すなわち、費用便益分析をつうじて各制度の結果を計測し比較することと、それが困難な場合にはいくつかの経験則的手法によるというものである。
 瀬戸山晃一氏の報告によれば、伝統的な「法と経済学」においては、合理的行為者モデル及び固定化された選好概念(顕示選好充足をもって効率的とするアプローチ)の下ではパターナリズムの必要性を考慮する余地がアプリオリに否定され、それゆえ反パターナリズムという批判的な知的態度が帰結していた。他方で、認知心理学や行動経済学の洞察を取り入れた90年代後半以降の行動主義(行動心理学)的「法と経済学」は、従来の人間の合理性、意志力、自己利益の強い想定に対する限定性を実証データにより浮き彫りにすることによってこれらのモデル(理論前提)を修正し洗練させ、それによって法と経済学を法現実の記述としても実用的にも規範的分析においてもより有益な分析ツールにする。そしてその重要な帰結の一つとして、被介入者側の決定に対するバイアスのみを考慮するのではなく、介入者側のバイアスをも考慮して経験的に検証することから、反パターナリズムが必ずしも自明でないことが示唆される(反−反パターナリズム)。また、法理論一般に対しても、経験的分析の導入や自我観の洗練化に際してさまざまな知見をもたらしている。これらの洞察は、任意性確保の外部での介入がどこまで正当化されるか、選好の動的変化をいかに評価するのか、生命倫理等の各論においてどのような含意を有するのか、といった新たな検討課題を提示していることなどが報告者によって問題提起された。
 質疑においては、従来のリバタリアニズムの議論との比較、とりわけ自律(選択の自由)の内在的価値、帰結乃至社会的厚生への関心の有無、計画者の能力への不信乃至楽観、について議論された。また、危害原理の議論との関連、介入範囲に基準が設けられず拡大しがちになる可能性、パターナリズムにおける動機乃至意図をいかに評価するかの問題、介入の正当化に関する難解事例、自然権の想定の有無とベースライン問題、などが活発に論じられた。
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平成19年度 第7回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成20年2月22日 14:00〜18:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第3演習室
奈須 祐治氏 (佐賀大学経済学部准教授)
  「キャス・サンスティンの憲法論の全体像」
松尾 陽氏 (京都大学大学院学生、COE若手研究員)
  「C.サンスティーンの『不完全に理論化された合意』の意味とその論拠に関する一考察」
 本研究会は、アメリカの代表的な憲法学者キャス・サンスティーン教授の憲法理論・法理論の検討を通じて、海外研究の動向を紹介し明らかにしていくことを目的とする。
 奈須報告においては、憲法学の観点から、多岐にわたるサンスティーンの憲法理論の重要論点が余すところなく取り上げられ、それぞれの論点におけるアメリカ憲法学におけるサンスティーン教授の見解の位置づけが簡潔明瞭に示された。まず、サンスティーンの憲法理論の全体像(現状中立性批判、熟議民主政論、司法ミニマリズム、法解釈論)が紹介検討されたうえで、それが、彼の統治機構論、権利論(特に、表現の自由、平等)でどのように具体化されているのか(表現の自由の二層理論・反カースト原理など)が明らかにされた。
松尾報告においては、法哲学の観点から、「ウォーレン・コート」期に支配的であった法思想とサンスティーンの法思想を対比させるという目的のもと、彼の司法ミニマリズムの基礎にある「不完全に理論化された合意」という概念を手がかりとして、(@)プリュラリズムから熟議民主政へ、(A)原理に基づいた司法判断から不完全に理論化された合意へ、(B)政治と司法の非対称な問題設定から対称的な問題設定へという3つの理論展開がしめされた。
 両報告に対しては、憲法学・法哲学のみならず、行政法学・刑法学・法社会学をも含めた多様な観点から、数多くの質問やコメントがなされ、活発に議論が繰り広げられた。議論がなされた主なテーマは、@サンスティーン憲法理論の核となる部分はあるか否か、具体的には、ニューディールを擁護するという目的によって彼の理論を説明できるのか、それとも、核となる部分はなく、ケースに応じてさまざまな理論を用いるプラグマティストであるか否か、Aミニマリズムの射程の問題、つまり、ミニマリズムの発想は司法を超えて通常の政治過程にまで拡張されるのか、Bベースライン論と現状中立性批判とはどのような関係を有するのか、すなわち、彼の現状中立性批判はベースライン論を全面的に否定するものなのか、あるいは、彼の現状中立性批判の眼目はニューディール以前の財産権理解を否定し、また、現在の表現の自由論を批判する目的でなされたのであり、一般的にベースラインを否定するものではないのか否か、C民主政論の内容の問題、具体的には、「市民」の境界をどのように確定していくのか、行政過程における人々の参加をどのように評価しているのか、D比較法的問題、具体的には、日本の判例の実践(法令違憲の多用)はミニマリズムの観点からどのように評価されるのか、東欧への憲法輸出の問題についてどのように評価しているのか、Eリスク評価の問題、具体的には、予防原則が否定されてどのような対案が示されているのかなどである。
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平成19年度 第6回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成20年1月28日(月) 14:00〜17:00
   場 所:京都大学百周年時計台記念館会議室V
「高齢社会対応のための民事信託の活用可能性」
 折原  誠氏 (〔社〕信託協会調査部長)
 田中 和明氏 (〔(株)〕中央三井信託銀行法務部長)

 本研究会は、国家による従来型の社会保障が力を失いつつある状況にあって、個人の自律をいかにして支援するか、または個人単位では解決できない問題に対しては新たな担い手をいかにして組織しそれをいかにして支援するかという視座からの、一連の研究会を開始するものである。
 各国の信託制度の発展過程、個別形態、利用実態は様々であり、日本においては明治期以来、商事信託が信託の大部分を占めてきた。それに対して、一昨年に全面改正され昨年施行された新信託法は、民事信託と商事信託とを包括的に規定しつつ、一方では金融のグローバル化に対応した商事信託を整備し、また他方で成熟社会における高齢者のための民事信託活用に対応し得るものとなっている。具体的な特徴としては、受託者の義務の合理化(とりわけ委託の柔軟化)。受益者保護制度の整備(受益者代理人制度の創設など)、多様な信託制度の整備(併合及び分割、新たな信託類型の創設)の三点が挙げられる。
 とりわけ少子高齢社会を迎えた日本においては、公的社会保障制度の先行きに大きな不安があるため、高齢者が保有している不動産資産をフロー化して、老後生活資金の確保の手段として有効活用させることが考えられる。これを実現するものとして、一時期、リバースモーゲージの活用が盛んに説かれた。リバースモーゲージとは、居住用資産を担保として契約期間にわたって分割融資を受け、契約終了時(借入人の死亡時または借入期限時)に融資元利額を担保不動産の売却等によって一括返済するというローン制度である。しかしながら、リバースモーゲージには、その運営上の課題として、利用者の長生きによる担保割れのリスク、不動産の価格変動リスク、金利変動リスクがあり、また法律上の課題としては、とりわけ相続問題への対応があった。そして、バブル崩壊による不動産価格の著しい下落のため、この制度は立ちいかなくなった。
この経験を踏まえて、現在、新信託型リバースモーゲージが構想されている。新信託型リバースモーゲージとは、多数の者(加入者)がその所有する不動産を信託財産に供し、受託者がこれを運用する。受益権は、加入者に老後の生活に必要な資金または住居・医療等のサービスを給付する利用受益権と、証券化して運用益を投資家に配当する価値受益権に二分する、という形をとる。長生きリスクに対しては、受託財産をプール化することにより、大数の法則の下で回避され得るものとし、また価格変動リスク及び金利変動リスクに対しては、受益権の分割及び証券化によって回避され得るものとするわけである。また、法律上の問題としては、高齢者の行為能力低下に対しては新信託法の受益者代理人制度を利用し、また利用者の相続人との関係においては、利用受益権を一身専属権とすることが考えられている。ただし、遺留分の問題を完全に解決しているとは言えず、また運用上の問題として中古住宅市場及び価値受益権市場の整備が求められる。
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平成19年度 第5回エンフォースメント部会研究会
   日 時;平成20年1月22日(火)14:00〜17:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第4演習室
深町 晋也氏 (北海道大学大学院法学研究科准教授)
  「財産犯を規定する要素としての追求権侵害―財物罪の理論的体系化のために―」
 本研究会は、法的規制の実効性を確保するうえで、とりわけ刑法を通じたエンフォースメントのあり方について、民事法及び法哲学といった各法領域との関わりの中での意見交換を企図して催された。
 窃盗罪に代表される財産犯に関しては、主にその保護法益に関する議論が熱心に展開されており、被害者の事実上の所持(占有)自体が保護法益でありその侵害が問題となるという占有説と、その占有の基礎を成す法律上の権利を保護しているとする本権説とが唱えられてきた。しかし従来の保護法益論は、占有侵害要件と占有移転(行為者の占有取得)要件とを要求する占有移転罪における保護法益の基本構造を、必ずしも具体的解釈論に際して説明するものではない。
 盗取罪における法益侵害としての占有侵害の本質は、所有者が自己の手許に置いて財物を利用する可能性の侵害である点に見出される。他方で行為者の占有取得と保護法益との関係については、盗取罪の成立に際して占有移転要件を不要とする立場や、占有移転を保護法益とは関連させず既遂時期を画する機能のみを見出す立場も存在する。しかるに利用可能性侵害としての占有侵害理解と併せて考えるならば、占有取得は財物に対する追求可能性の侵害を顕在化させるという点において法益侵害を基礎づけていると捉えることができる。
 占有移転罪としての盗取罪の保護法益をこのように構成することにより、盗取罪のみならず交付罪及び盗品等関与罪をも含む財産犯全体の構造を一貫したかたちで理解し、かつ従来論議されてきたいくつかの事例を説明することが可能になる。第一に、親族相盗例を含む事例「Bの財物を盗んだ窃盗犯人Aから、さらにAの子Xがその物を盗んだ場合」について、@Xは、AがBに財物を返還するために有している占有を侵害したことによりBの所有権に基づく追求権を侵害しているが故に窃盗罪の成立を認めることができ、かつAAの占有はあくまでもBのためのものであって独自の利益とは言えないため、親族相盗例の適用においては、A−X間の親族関係は不要であって、B−X間に親族関係があれば足りる。第二に、一項強盗罪において行為者が占有侵害時に被害者を殺害してから占有取得までの間に時間的場所的懸隔がある事例については、被害者殺害によって被害者の占有を侵害し、かつ、占有取得によって(被害者の)相続人の追求権を侵害するものと考えれば、強盗罪の成立を認めることが可能になる。第三に、交付罪(詐欺罪)に関して、交付罪は窃盗罪とは性質を異にするものであって法益侵害ではなく行為者の利得時期に着目して既遂時期を論じるべきだとする見解がある(例えば自己名義のクレジットカードの不正使用の事例)。しかし、このような交付罪の事例に対しても、追求権侵害として構成することによって窃盗罪と交付罪とを一貫したかたちで理解することが可能になる。さらに第四に、盗品等関与罪についても、盗品を被害者からいっそう遠ざけることにより被害者の追求可能性を妨げているという意味において、窃盗罪との連続性が見出される。
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平成19年度 第4回エンフォースメント部会研究会 (第43回 愛知法理研究会との共同開催)
   日 時:平成19年12月8日(土) 16:00〜18:00
   場 所:南山大学A棟(法科大学院棟)5階54番ゼミ室
金澤 孝氏 (お茶の水女子大学非常勤講師)
 「Cass R. Sunstein教授の憲法論−Judicial MinimalismとDeliberative Democracy−
 憲法の作用を最善の正義理論の体現ではなく機能的な民主的秩序(すなわち市民の自己統治)を作り出すメカニズムだと考えるSunstein教授にとっては、司法の役割もまた民主主義の促進という観点の下で評価されねばならず、裁判所は民主的出自に欠け、価値対立解決能力にも劣るがゆえに、とりわけアメリカに関しては熟議民主政を目指すうえで「従たる地位」に立たねばならない。裁判所の役割は主として、政治によっては矯正不可能な領域(投票権)や政治的熟議を保障する権利(表現の自由)の執行に存する。このような裁判所の活動を含めて憲法秩序が価値対立を決着させていく形態として彼が(記述的にも規範的にも)主張しているのが、「完全には理論化されていない合意Incompletely Theorized Agreements」、すなわち、類推的推論を活用しそれによって比較的低次の正当化理論のみにとどまる合意形成が可能だというものである。そして高度な原理形成は、より民主的な政治部門に委ねられねばならない(ただしSunstein教授は、ポピュリスト的理論とは一線を画している)。
 かかる裁判所の地位規定は、一方で裁判所の決定手法に関して、決定対象を「狭く」かつ理由付けを「浅く」限定すべきことを帰結し、他方で熟議民主政における裁判所の役割としては、裁判所はそのようなミニマルな決定によって民主的政治過程における熟議を促進するべきだという(広義の)「司法ミニマリズム」(Judicial Minimalism)を意味する。さらにSunstein教授は近時の議論において、一方では卓越主義、多数決主義、原理主義といった対抗モデルと対比しつつミニマリズム的裁判官像の優位性を論じ、また他方で自己の立場を新たに「バーク流ミニマリズム」と称し、司法ミニマリズムのいっそうの精緻化を試みている。しばしば漸進主義的側面を強調するこうした議論展開は、教授が近年とみに実証的行動科学への関心を高めその知見を意欲的に吸収した成果と推察され、より実効的な政治的熟議のための条件整備を目指すものと理解できる。
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平成19年度 第3回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成19年9月25日(木) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第3演習室
佐橋 謙一氏  (京都大学大学院法学研究科研究員(学術創成))
  「補完性の原理と制度化」
 補完性(Subsidiaritaet)の理念は、キリスト教的有機体論、連邦主義(J. Althusius)、リベラルな国家理論(W. v. Humboldt)において論じられてきたとされるが、20世紀においてその明確な定式化を与えたのは、教皇Pius XIによる社会回勅であった。その後、とりわけドイツの国法学が明らかにしたところに依拠して、補完性原理の基本的内容は以下のように整理することができる。第一に、特定の法的効果を導く規範命題ではなく、或る一定の目標を提供する原理(規制的理念)であること。第二に、国家、より大きな共同体、上位団体が、個人、より小さな共同体、下位団体の自律に対して介入しないこと。この点は、概念上、基本権主体としての個人に対する国家的介入の制約の問題と、組織間の権限配分の問題とに区分して論じられる。前者に関しては、法治国家原理を所与として、介入が正当化される要件が詳論され、また後者に関しては連邦主義または地方自治の基本理念との関係が問題となる。そして第三に、国家や上位団体は個人や下位団体に対して、その自律を支援または促進すること。この側面は、社会国家原理との関係が密接であり、またその実施形態および規律形式の多様性が注目される。
 国内的法体系における補完性原理が、とりわけ基本権との関係を強く意識して自由・自律の保障原理としての側面が重視されたのに対して、1970年代以降のヨーロッパ統合の過程でとりあげられた補完性は、もっぱら組織間の権限配分原理または権限画定原理としての役割が期待されている。後者の意味での補完性についての積極的評価としては、補完性理念の普遍妥当性を主張する議論や、補完性理念が政治的討議を活性化させていることを例証する研究、補完性に内在する民主主義促進機能を強調するもの、または補完性原理を具体的手続の中で制度化する試みなどがある。しかし他方で、補完性概念の多義的性格が透明性を阻害するという批判や、補完性原理の曖昧さがたとえば効率性の問題に対して両義的な結論を導く点に対する批判が提起されている。
 質疑応答においては、以下のような論点が扱われた。基本権教義学における保護義務論との関係。権限画定基準の問題とならんで権限画定の決定者の問題があるということ。日本の地方自治法に補完性を導入することの問題。そしてとりわけ、補完性に依拠した規律の実効性が、規律の統一性、透明性、効率性に対して相反的関係に立つのではないかという問が論じられた。
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平成19年度 第2回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成19年10月12日(金) 17:00〜19:00
   場 所:京都大学法経本館3階 小会議室
「Cass R. Sunstein 教授の法理論の展開(意見交換)」
 本学術創成研究は、「研究目的」に掲げているとおり、「ポスト構造改革における新たな法システムのあり方の探究」をその課題としているが、グローバル化の進展により、今日では諸外国においても、市場経済社会に適合した法システムを構築することの必要性が、それぞれの形で指摘されている。かかる問題関心に基づく理論展開の米国における一例として注目されるのが、市場機能の整備・強化と並び、インフォーマルな秩序づけや規制主体の多元化に注目している、同国の公法学者Cass R. Sunstein教授(シカゴ大学)の取組である。
 本学術創成研究は、法哲学者会哲学国際学会連合(IVR)日本支部および日本法哲学会との協力の下で、Sunstein教授を招へいし、各地でセミナー等を開催することを企画しているところ、その準備も兼ねて、Sunstein教授の最近の理論の展開に関する意見交換会として、本研究会を開催した。IVR副理事長で、IVR日本支部の側でこの企画の統括にあたる名古屋大学大学院法学研究科の森際康友教授、さらには京都でのセミナー開催にあたり協力していただくこととなる、同志社大学法学部の戒能通弘准教授および摂南大学法学部の那須耕介准教授(IVR日本支部運営委員)に出席いただいて、今回のセミナー等で中心的テーマとなる予定の司法的ミニマリズムも含め、Sunstein教授の法理論について意見交換を行った。
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平成19年度 第1回エンフォースメント部会研究会
   日 時:平成19年9月25日(火) 14:00〜16:00
   場 所:京都大学法経本館4階 第3演習室
服部 高宏氏 (京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「規制の諸問題への視角−法哲学からみて−」
 本研究会では、法的規制に対して法哲学的視座から、その基本的性質、多様な現象形態とその変容、その事実的側面及び規範的基礎とそれらに対する再検討、代替的規制との比較について幅広い報告がなされ、本研究プロジェクトの各論点に関係する広範な問題提起が行われた。
 法的規制とは、あらかじめ定立された一般的規則への服従を要求することにより、人々の行動を一定の方向と規律するものであると定義できる。一般的規則は、事実に対して普遍的に適用されることによって、その規律が公平かつ平等に行われるべきものとなる。そしてこの規則が人々に対して服従を要求するのは、伝統的な法概念論によれば、それが多かれ少なかれ強制の契機を伴っていることに因る。この二つの要素が、他の規制手法に対する法的規制の基本的特徴だと言える。
 しかし法的規制の現象形態は一様ではなく、とりわけ現代においてはいっそう多様化している。一般的規則は普遍的に適用されるものであるが、しかし様々な機関によって多様な仕方で実施される。また、サンクションとしての強制に着目した場合、物理力の行使である刑罰の威嚇によって人々の行動を制御する刑事法的規制が典型的であるが、しかし民事法システムにおいては、行為に一定の法的効果を結びつけることによって人々の行動を導くという形態が大部分を占める(法概念論においても、民事法的規制を範として、当事者間の合意によって自立的に法的関係が形成されていく側面を強調する立場が現れている)。さらに、強制概念を広義に解することによって、行為誘導の要因として利益を提供するポジティヴ・サンクションもまた、場合によっては実効的な法的規制手段として視野に入ってくる。
 法的規制の射程を測るうえで、その事実的側面たる実効性と、規範的側面たる内容的正当性の二つの観点から検討することができる。前者に関してはすでにドイツの法化論が、法的規制の増大が様々な弊害をもたらすことを指摘しており、また近年ではサンスティンが「規制国家のパラドクス」について注目すべき議論を展開した。また後者に関しては、リベラルな社会における法的規制の正当化根拠として「他者危害原理」「不快原理」「法的パターナリズム」「法的モラリズム」の四点が主に論じられてきたが、しかし経済法における「危害」の不明確化、環境法における予防原則の主張、パターナリズム以外では正当化困難と思われる制度、価値基準を導くうえでのモラリズムの一定の意義など、従来の議論に対して様々に再検討が迫られている。
 こうした中で、法的規制のもつ弊害を回避しあるいは法的規制の負担を軽減するために、行政の非法的規制(例えばガイドライン)、民間団体の自主的規制、あるいは交渉といった様々な代替的規制手法が用いられることが少なくない。しかしこれらの代替的規制に法的正統性乃至民主的正統性の問題がつきまとっていることは無視すべきでない。法的規制と代替的規制それぞれの特性と弊害を考慮することが必要であろう。
 本報告に対して参加者の間では以下のような議論が交わされた。他の代替的規制を利用する間接規制が法的規制の効率性を高めうるという指摘。代替的規制の中でもアーキテクチャによる規制には、民主的統制の欠如、設計の限界と再設計の困難さ(不可逆性)、規制対象の自律乃至自由意志を制約する点、といった問題があること。国家意志に基づく規制に限定されず規制概念一般の観点から論じることの意義。日本社会はむしろ法的規制が弱いがゆえに行政指導に依存しているという議論の紹介。規制の専門化に伴って、実効的な法的規制のためには内部者の専門情報が必要となる場合。生命倫理や科学技術では法律ではなく指針が重要な部分を定めており、しかも法律に基づかない指針独自の不利益処分を発揮している事例。法的規制の前提をなす価値判断は文化的道徳的価値に依存しうること。弱者保護、累進課税、金利規制の正当化根拠についても最後に検討がなされた。
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科学研究費補助金・学術創成研究費 ポスト構造改革における市場と社会の新たな秩序形成――自由と共同性の法システム
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