学術創成研究「ポスト構造改革における市場と社会の新たな秩序形成―自由と共同性の法システム―」
     =中 間 シ ン ポ ジ ウ ム= 
 
中間シンポジウム 中間シンポジウム
   日 時:平成21年3月13日(金) 10:00〜17:30
   場 所:京都大学百周年時計台記念館2階 国際交流ホールV
第1部 公的秩序と私的秩序との交錯
 土井 真一氏(京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「憲法と私法秩序」
 1 憲法と私法秩序の関係は、憲法の私人間効力論に代表されるように、憲法学と私法学の垣根を越えて盛んに議論されてきた。けれども、憲法学における従来の議論は、個別論点において矛盾を内在させており、また、必ずしも基礎理論的考察を踏まえたものともいえない。本報告は、このような問題意識の下、主に、憲法と私法秩序との関係について、基礎理論的問題の整理と提起を試みるものである。
 2(1)憲法と私法秩序に関する従来の諸論点を振り返ると、相互に矛盾を孕みながら議論が展開されてきた。そうした矛盾は、とりわけ、公共の福祉の解釈論、個別的な基本的人権の解釈論の二つの場において顕在化する。第一の問題点は、公共の福祉の解釈論と私人間効力論が整合的に展開されていない点である。公共の福祉を人権間の実質的衡平の原理と解する通説は、私人相互において人権が対立するという事態を前提にしており、国家と個人の対立を念頭に置いて説かれている私人間効力論の前提とは矛盾を孕むからである。第二に、通説は、総論と各論を二分し、総論においては、私人間効力につき間接適用説を採りつつも、各論では、財産・家族制度という私法秩序の内容についてその根幹を憲法が直接定めていることを当然視しており、今後、その関係についてより踏み込んだ説明を迫られるだろう。
 (2)このように矛盾を孕んだかたちで従来の議論が展開されていることを踏まえると、憲法と私法秩序の関係を基礎理論的観点から再検討する必要が生じてこよう。この点で着眼しておくべきは、森林法違憲判決の判断手法である。同判決は、民法典上の規定をプロトタイプとして森林法の規制の合憲性を判断する手法を採用していると解することも可能であり、個人間の関係を規律する基本法は民法にほかならないことを示唆したものと考えうる。
 (3)以上のような点を踏まえて、今後、憲法と私法秩序の関係を再検討する出発点としては、伝統的な「公法・私法二元論」を批判的検討の素材とすることが適切である。伝統的な二元論が説くように、公法と私法の存在次元をそれぞれ独立に観念するとしても、現実の生活世界においては、両秩序の抵触が惹起されることから、その調整を図るためには、結局、両秩序を整合させる枠組みという意味での「全法秩序の基本原理」が要請される。そこで全法秩序の基本原理の解明が必要となり、具体的には、@この原理の法的性格は何か、A国家と社会の二分論が規範的要請であるとした場合、その根拠は何か、の二点について掘り下げた検討が要請されるだろう。
 @の解明にあたり、超越的な自然法論に与せず、何らかの意味で人間の意思を問題とする限り、国家法人説・社会契約論のいずれを前提とするかが重要な論点となる。全法秩序の基本原理は、国家法人説に立脚した場合、どのように位置づけられることになるだろうか。国家法人説によれば、国家は所与の前提であり、社会は、国家があくまでも権限行使を自己抑制していることにより生じる産物に過ぎない。その意味で国家法人説は、究極的には国家一元論的な色彩を帯び、国家こそが全法秩序の基本原理を司ることになろう。これに対して、社会契約論によれば、社会が全法秩序の基本原理を司ることになる。もっとも、ここにいう社会は「統治契約」後に生じる社会ではなく、それに先行して個人間において締結される「社会契約」における社会を指す。ただ、この社会は仮設的社会に過ぎないから、最終的には国家が残り、国家が全法秩序の基本原理を司ることになるのではないか。このような疑問が残る以上、単純な社会契約論に与することはできず、国家と社会を架橋する理論構成を検討する必要があろう。
 続いてAの課題、すなわち国家と社会を規範的に区分しなければならない根拠は何か。
 国家法人説を採り、かつ、民主主義国家を前提とするならば、このような根拠を求めることには困難が生じる。ここではふたつの説明を想定できる。ひとつの説明として、空間支配の原理が異なるという説明が可能である。国家は権力性の論理が支配するのに対して、社会は合意が支配しているという説明である。しかし、国家による財の再配分の論理を社会に導入することを厭わない「現代立憲主義」を前提にするのであれば、その限りにおいてふたつの空間の連続性を前提としているため、空間支配の原理が異なるという説明が実りあるものとなるか否か、疑問なしとしえない。そこで、もう一つの説明として、行為に対する合理性要求の有無を根拠とする説明を想定しうる。国家には、法の支配・法治主義という規範的要請から、その行為について合理性が要求されるのに対して、私人には自己の行為について合理性は要求されず、全くの恣意も許容されているという説明である。しかし、果たして、国家が合理的であって、社会が不合理であるといえるであろうか。また、本当の意味で恣意的自由なるものを法的に受け入れることができるのであろうか。この点は、人権の基本的理解をめぐる対立にも関連しているが、人権間の調整には何らかの合理的理由が必要となる。しかし、かりに全くの恣意をも許容する一般的行為自由説を採用した上で、かつ私人間においても人権規定を適用するというのであれば、相互の調整はどのような原理に基づいて行うことになるのか。今後、人権の基礎理論とも関連すけながら、更なる検討が必要とされよう。
 3 以上のような報告者の主張に対しては、様々な観点からの質疑がなされた。とりわけ、民法典の規定のプロトタイプ化という現象をどのように理解すべきか、憲法と私法秩序の関係を考えるにあたって、恣意的自由を許容する一般的行為自由説をどのように評価するべきであるのか、が議論の焦点となり、活発な討論が展開された。
第2部 消費者のための市場秩序形成
 山本 豊氏(京都大学大学院法学研究科教授)
  「契約法と法的パターナリズム」
 川M 昇氏(京都大学大学院法学研究科教授、研究代表者)
  「法と行動経済学からみた消費者法」
 第2部は「消費者のための秩序形成」というテーマで報告が行われた。
 まず、山本豊教授は、「契約法と法的パターナリズム」という報告において、@ポスト構造改革という大きな政治的動向と、本報告で対象とするミクロ契約法との関係につき、前者が後者を規定する関係は必ずしもないと考える立場をとるということ、A法的パターナリズムは、自己に有害な選択をすることから個人を保護することとして定義され、特に、虚偽情報提供の場合には、理性的判断それ自体ではなく、その背景をなす情報提供について問題があるので、その場合の介入はパターナリズムに属しないし、また、パターナリズムに基づく介入と言われていても、不当条項規制や過量販売のように、必ずしもそうではないものもあるということ、B適合性原則は、パターナリズムに基づく原則で、情報提供義務とは異なる観点から顧客を守るものであると考えるべきであり、それゆえ、この原則に適うためには、商品のリスクの情報を提供するだけでなく、顧客が自分自身の判断に疑いをもつ機会を提供することまでしなければならないと考えられるということ、Cパターナリズムを人格権の保護によって正当化する考えは、それによれば介入がかなり限定されるので、現行法の正当化理論として成功していないということ等を述べた。
 次に、川M昇教授は、「法と行動経済学からみた消費者法」という報告において、@合理性を追求する個人を前提とする従来の経済学に対して、行動経済学は、システマティックに合理的な意思決定から逸脱していく個人を前提とするものであり、両者の間では、消費者法において正当化される介入の範囲に違いが出る可能性があるということ、A行動経済学における個人の認知能力の限界の問題について、選好の不合理性を示すものとして、一定の局面で個人が危険愛好的に行動する傾向があることが明らかにされ(プロスペクト理論)、また意思力の弱さを示すものとして、現在の利益に対する将来の利益の割引率が指数関数ではなく双曲線であることが広く観察されていること、B行動経済学によって主張される介入については、介入のコストを正しく反映していないのではないか、また、個人の学習の可能性、市場による淘汰、修復機能の問題を勘案していないのではないかという批判があるが、実際に、介入が主張されるのは、個人の学習や市場の修復が困難な領域に限られるということ、C従来の経済学のように、裸の同意をベースラインとするのではなく、ある程度洗練された意思決定がベースラインであると考えることもできるのではないかということ等を述べた。
 これらの報告に対するコメントとして、まず、山本顕治教授は、@弱者の保護の立場は市場秩序形成の立場をどのように考えるかを示す必要があるのではないか、A個人の利益の侵害だけでなく、社会的な利益の侵害もまた、パターナリズムを正当化するのではないか、B行動経済学は、従来の経済学を塗り替えたのか、単なる例外的な事例の指摘にとどまるのかといった問題を指摘した。次に、山佳奈子教授は、詐欺罪を例として、詐欺罪は合理的な経済人を想定しているため重い詐欺の場合に しか適用されず、他方、新しく設けられてきた特別の諸規制は、実際に摘発して処罰することが困難であり、全体として実効的な規制が行われていない状況にあるが、この状況に対し、何もしない、又は自己破壊や生命しか守らないというところまで介入のレベルを下げるべきではなく、かつ、刑事罰という手段だけに頼らず、ソフトウェアの開発や広報活動にも費用を使うことが妥当なのではないかということを指摘した。これらのコメントについて、山本豊教授は、市場秩序形成というマクロ的な立場で考えることには踏み切れていないと述べた。また、川濱教授は、行動経済学と従来の経済学の関係について、第一に、市場による修正が可能かという両者の争点は、経験的に解決されるべきもので、イデオロギー的に解決しようとするリバタリアンの立場には問題があり、第二に、行動経済学には、ウェルフェアを新たに定義し直すという課題があるのであるが、それについては、事実認識を背景としつつ、ある種の形而上学的な判断を下すという考え方が必要なのではないかと述べ、また、パターナリズムの根拠について、個人の利益を根拠とする説も、実はウェルフェアの問題を念頭においているのであり、したがって、いずれの立場でも、意思決定権の質を高めることが問題となるとした。
第3部 社会的連帯の行方
 新川 敏光氏(京都大学大学院法学研究科教授、研究分担者)
  「国際比較にみる福祉レジームの分岐と収斂」
 宮本 太郎氏(北海道大学大学院法学研究科教授)
  「ポスト福祉国家の自由と共同」
  新川報告「国際福祉レジーム変容の構造とパターン」は、先進諸国の福祉レジームについて類型整理を行い、その類型のうちの一つに日本を位置づけるとともに、日本についてはさらに福祉レジーム変容の具体像を明らかにするものである。
 まず、エスピン=アンダーセンによる脱商品化指標に基づく福祉レジーム類型(保守主義、社会民主主義、自由主義)を手掛かりにしつつ、この類型によっては日本などが適切に位置づけられないことを批判した。その上で、脱商品化指標に脱家族化概念を組み合わせ、上記3類型に家族主義を加えた4類型モデルを導入し、家族主義の類型のなかに日本を定置した。
 1990年代以降、いずれの類型においても商品化と脱家族化を促がす圧力が高まってきており、この圧力により福祉レジームの変容が各国で生じている。 特に、給付水準の低下や給付資格要件の厳格化、労働と福祉の関係強化など改革の方向性が共有されているということがいえる。しかし、各類型が商品化と脱家族化が進展した自由主義レジームに収斂するという現象は必ずしも見られず、財政構造・社会支出割合に関する多様性は残存している。
 こうした世界全体の福祉レジームの変容を念頭に日本型福祉レジームの変容について見ると、すでに述べた通り、日本は脱商品化、脱家族化がいずれも進展していない家族主義レジームに分類されていたが、1980年代には財政問題の深刻化から企業福祉が再評価されるかたちで自由主義化の福祉見直しが進んだ。1990年代には若干情勢が異なり、介護保険など脱家族化を促進する社民化政策が採用されるなどしている。だが、これには女性の労働市場参加を促進するという狙いがこめられており、商品化をも加速させる措置と見ることができ、社民化政策のかたちを取りつつも全体としては自由主義化の傾向にあるといえよう。
 日本を含めた福祉レジームの今後の課題としては、新しいリスクとそれへの社会的対応、高齢化と若年層の大量失業、国際的労働力移動、多様な家族形態の採用などへの対応、労働から独立した基礎所得保障政策(ベーシック・インカム)、新しい福祉供給主体の形成など求められる。
  宮本報告「ポスト構造改革における自由と共同」は、新川報告でも明らかにされた日本の福祉、とりわけ生活保障の問題に対し、さらに具体的な検討と提言を行おうとするものである。
 ポスト構造改革の現況を見ると、「荒涼たる自由」と「鬱屈した共同」の二つのパターンが併存・対立した状況に陥っている。前者は疎外された状況を指し、後者は集団のための自己犠牲を強迫されている状況を意味する。しかも、人々は二つのパターンのどちらかに属するが、相互に嫉み合い、自らの状況を改善するよりも相手の状況を自分よりも引き下げることによって満足を得ようとする「ひきはがしのデモクラシー」と呼びうる状況に陥っている。
 このような状況に陥ったのは、これまで有効に機能していた日本型生活保障が逆機能を起こすようになったためである。そもそも日本型生活保障とは、社会保障支出を比較的抑制しつつも、雇用保障によって一次所得段階で格差を抑制する仕組みであった。雇用保障は実に巧く成功しており、日本の失業率は北欧型レジーム並みに低い水準にあった。そして、現役世代の生活保障は企業に委ね、政府の社会保障支出は中高年齢層向けに集中していたために抑制が可能だったのである。他方、日本型生活 には、雇用保障の対象となるのがほぼ男性稼得者に限られ、女性は家事労働か家計補完型・低賃金水準の労働にしか従事できないこと、社会全体の他者への信頼感が(一般に広く共有されるかたちの架橋型社会関係資本としてではなく)企業・業界をユニットとする拘束型社会関係資本としてしか形成されないことなどの問題点があった。
 日本型生活保障が機能不全を起こし、逆機能を生じるようになったのは、1990年代から不況と財政問題が生じるなかで日本型経営が解体したために雇用保障が維持できなくなったことを契機にしている。各世帯に男性稼得者がいれば生活保障は実現されるが、その存在が前提にできなくなり、男性稼得者が不在の世帯では医療保険にしろ年金にしろその他の生活保障のための制度にもアクセスすることが難しくなっているのである。もっとも、男性稼得者がいる家庭が必ずしも恵まれた状況というわけではない。国際競争力の維持のために企業が労働コストを引き下げる方向に走ったために過重な労働負担を余儀なくされ、心身の不調を訴えるケースが増えている。状況改善の一つの方法としては、政府による生活保障の範囲を拡大することが挙げられるが、拘束型社会関係資本としてしか他者への信頼感が形成されていない日本社会にあっては政府に対する不信感が根強く、財源確保のために必要な国民の負担増を行うことは極めて難しい。
 このように困難な状況をどうすれば乗り越えることができるか。そのための施策としては、就労の義務づけ(ワークシェアリングとセット)、就労の見返強化(負の所得税、最低賃金制度の改善、キャリアラダー形成)、就労支援強化(職業訓練、保育サービス提供、職業カウンセリング)、持続可能な雇用の創出(公共事業改革)、雇用労働からの一時的離脱の容認(参加所得・市民手当、無償労働税額控除、ワークライフバランス政策)という5つのアプローチが提言された。国民全体を選別せず包括する制度を導入することが、架橋型社会関係資本の醸成にもつながると指摘された。  
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